秋がくれば、それはそれで一抹の寂しさ・・・
朝日新聞の土曜日の「be」、小池真理子さんのエッセイが載る。昨日で16回目になっている。
もしかしたら私は2、3回目くらいから読み始めたかもしれない。
名前は知っていたけれど、実は一冊も読んでいないし、どこか他での文章とかにも目を通したことがない。
それがどういうわけでこの「月夜の森の梟」というエッセイを読むようになったのか、その最初のきっかけは思い出せない。
ああ、この人は夫を亡くされたんだ、というようなことだったと思う。
丁寧に、丁寧に書くことで、この人は丁寧に、丁寧に、癒している、昨日読んでそんなことを思った。
小説家だもの、普通の(?)人にはできない。
小池真理子さんは、時間をかけて、ゆっくりと、薄皮をめくるように表現しようとする、その努力の中に癒しを探しておられるのだろうか。
普通の人もそんな風にできるなら、どこかにしまいこんで、今の自分を縛っている何か、それを癒していけるのかもしれない。そんなことを思う。
余計なことだけれども、昨日の文章、ああ、起承転結、コレなんだなあとも思った。
「小さな金木犀は一度も花をつけないまま、夫の死後、鉢の中で静かに枯れていった。」
これが最後の一文だ。
本当だったら、こういう文章を持ってきてほしくない。
私は天邪鬼なのかもしれないが、もっともっと薄皮を剥いで、生の赤身が見えるまで、このエッセイを書き繋いで欲しいと思う。
みんなが怖くて剥ごうとしない薄皮、それを剥いでいったら、その先に何があるのか、知りたいです。。。
決して開けようとしない、心の底に沈んでいるような、そんな「イタサ」を確かに持っていることを、私は薄々感じているから。
なんか、お天気がいいのにしんみりしちゃったなあ〜〜〜
朝日新聞とは縁が切れない
この「be」では、「作家の口福」っていうエッセイも面白い。
こちらは4、5回で書く人が代わるけれど、とんでもない笑う話とか、エエッ〜みたいな話が聞けて元気になる。
「悩みのるつぼ」も、どういうわけか必ず読んでしまう、これはアリか・・・
「歴史のダイヤグラム」もいい。
まあ一番最初に目を通すのは「言わせてもらお」、これもアリか・・・