bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

「月日は流れ、わたしは残る」2

Amazonの「置き配」ですかあ〜

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まあとにかくアマゾンさんで買えば、懇切丁寧にメールをくれるから、ついつい「楽天だとねえ」みたいになっていて、これはもうアマゾンに支配されているとしか思えないと、常々釈然としない気持ちは持っていた。。。

 

そうして午前中にはさらに、マジですか?みたいなメールがきたから、ああ、私らはどんどん置いていかれてる。。。

 

東京の娘に、ある品をアマゾンから購入して送った。昨日のことだ。

今朝アマゾンから私にきたメールは、

今日配送・・・ナントカカントカ・・・置き配の変更はこちらから・・ナントカカントカ

 

続いてお昼前にメールを開けたら9:40に配送完了メールで、なんと!なんと!娘の家の玄関前に置かれたアバゾンの箱が!!!

綺麗な写真が証拠写真として付いている。

思わず、「Y子、玄関前、綺麗にしてるじゃない」(そこじゃない!)

       ちなみに、写真が不要の場合はナントカカントカ・・・

 

私、置き配の設定にしていたのかと思いきや、2020年4月からアマゾンで購入の場合は指定の30都道府県では全てが置き配が前提になっていた。

確かに発送メール置き配の変更はこちらから・・・みたいな文言が・・・

 

そうか、ちゃんとメールを読んで、ちゃんと理解をしていかないと、あなた、どんどん置いてけぼりにされちゃうよと、思ったのだった。

 

そういえばこの間も、えっ、これどういうこと?みたいなことがあって、クズカゴに捨ててあったメールを取り出して読んだことがあった。

クズカゴをカラにするタイミングも考えものだ。

こういうのもみんなの意見を聞かないといけないのですかね〜

        ああ〜やだやだ〜これはこれで生きにくくないですか?

 

「月日は流れ、わたしは残る」のです

小学校の卒業式も間近になった。

こんな山の中でも、来賓無しの卒業式になっている。

 

先月あたりからなんとなく感じていたことを書いておく。

朝の集団徒歩登校組には卒業式を控えた6年生の男子が3人いる。

そのうちのO君の変化が著しい。

まずは朝の挨拶を下級生たちに厳しく指導し始めた。

もちろん自分が率先して、大きな声でお手本を見せる。

おまけにマスクの着用にも厳格に臨む。(こちらはいささか問題アリのようにも思える)

「持ってるなら、今しなさい。」

「鼻からずり落ちたら、直す!」

1年生のおチビで入学した当初から見ている私には、このO君の変わりようが、なんだか眩しくもあり、寂しくもある。

 

気ままに、マイペースだったO君だから、6年生になった当初は、私をつかまえて「学校に行きたくない」だの、「今日の朝朝会に何を話したらいい?」とぼやくほどに、最上級生になったストレスを全身で訴えていた。

それが1年を経ていつの間にか、なんだか普通の、まあ、いい子になった。

そうして今、小学校へ通う残りの日を数えるようになって、一生懸命に1日1日を丁寧に送っている。

 

うん、悪いことではない。

 

もう一人のT君も、私に話しかけながら歩くことが多くなった。

T君は早産の超未熟児で産まれて、小学校へ行くようになってからは普通学級でみんなと同じ様に学習するのが困難になった。

アニメ映画の話をしたり、お兄ちゃんのことを話してくれたり、昨日食べた夕ご飯の話をしてくれたり、会話を楽しんでいる様なT君の暖かさは全身から伝わってきて、こちらもゆったりした心持ちになる。

 

もう一人のM君は、小学校5年で漢検の3級に受かり、学校のテストでも100点以外取ったことのないというお勉強のできる子で、なおかつ、非常に礼儀正しく、なおかつ、常に情緒が安定しているのか、いつでも同じM君しか、私は見たことがない。

遠慮深いから、私が話しかけない限り自分から何かを言ってくることはあまりない。

 

でもって、今朝はO君の背中のランドセルが、あまりにも小さく見えたから、

「う〜ん、モノって、つまりは相対的なものなんだなあ」

「ほら、R君(小1)のランドセルはあんなに大きいでしょ。

同じランドセルなのに、あなたのはすご〜く小さく見える。」と言ったら、怪訝な顔をしたから、まあ、O君をケムに巻いたつもりだったが、

「ほら、すごく高い靴を履いていても、着ている服がボロかったら、高い靴に見えない」

「相対的って、そういうものなのよ」と言って、ごまかした。

 

少年は旅立つ。。。私は残る。。。春あさき日の、朝の一コマ。。。

 

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ところでこちらの少年はIちゃん。彼も4月からは最上級生になる。

今朝、学年のお別れ遠足の写真をKちゃんがラインでくれて

「Mくん(我が息子、Iちゃんのパパ)がYちゃん(我が娘、Mの妹)に似ているって言ってました」とあった。

甥っ子が叔母の子供の頃に似ていても不思議はない。

Y子に転送したら「いや、お兄ちゃんそっくりでしょ」。

 

私、気がついたのだけれど、Kちゃんはお弁当箱を使用しないみたいだ。

大体が家のタッパーで済ませているのを見る。

お弁当はお弁当箱に、なんていう思い込みから彼女は!解放されているらしい。

Kちゃんのこういう感じ、合理的?どうでもいいことにはこだわらない?

これって、実に心地いい。

まあ、子供達もそういうことはどうでもいい風に育っているのだろうから、ば〜ばとしては何よりではある、か。。。

 

ミラボー橋の下を川は流れ・・・少年たちは旅立ち、わたしは残る・・・

通学路に沿った○○川を流れる水は、春浅き、冷たき色。

 



 

 

 

「竜とそばかすの姫」

たった30秒の特報が、すご〜く綺麗で、刺激的

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8月公開の細田守さんのアニメ、オリンピックよりも楽しみじゃないですか。

(まあ、開催かどうかは知らないが)

だって、五輪って、何だか泥にまみれた旧態依然の価値の残照みたいな雰囲気が顕になってきたから・・・

 

あの特報で、あまりの美しさには感動した。。。

それと、[高知の現実世界×インターネット空間の仮想世界<U>がどんな風に折り合いをつけるのか、なにか予感。

 

パンデミックの後には必ず新しい文化が生まれるっていうのが、歴史の理だそうだ。

 

 コロナ禍だけでなく、環境の問題とか、食料の問題とか、格差の問題とか、今の若い人たちにとっては、自分たちの未来はものすごく不安だらけの状況に違いない。

今の自分の仕事や状況に悩んだり、生活自体に困ったりしている人はたくさんいるだろうから、シニア割で映画を観れるおじさんおばさんは、精一杯あなたたちを理解することしかできないんだなあ〜〜〜

 

けれども美しいものに感動するのは、みんな一緒だ。

 

 

島根県民を持ち上げられてもねえ〜

あっちこっちのコメントでは

丸山知事を選んだ島根県民はエライ、とか、こういう知事を持つ島根県民は幸せだよね、とか、云々・・・

 

ホントのところ、何のしがらみもない普通の島根県民としては、そんなに積極的選択でもなかったんじゃないのかなあ。

知事選挙の時、もう一人のO候補より若い、これが一つの選択。

もう一つは竹下王国へのウンザリ感、こういう感じで丸山候補に消極的投票行動が向いた一面があると思うよ。

 

結局、政治家にも65歳定年、情状酌量で70まで、ここのところを解決するのが一番なのだけれど、これが一番厄介で、誰も手を出さない。。。

 

繰り返すが

「60越えたおっちゃんは、口出すな!畑で野菜でも作ってろ!」

と言い放ったS女史、シンプルに言い当てているよ。

 

必要があれば先輩の意見を聞きに出向いたり、ちゃんと相談してきましたよ、私だって。

だから、若いもんがご意見を伺いに来るような一目置かれる隠居さんになっていればいいのだ。

そのためには誠実な仕事人生を全うして、視野の広い心優しいジジババになるべく、はい!これにて隠居します! こういう潔さを見せたジジババが育たなくてはならない。

 

実はT議員下ろしは水面下では起きていると思う。

その気配を感じたことがあったのだよ。

去年12月のはじめ頃かなあ、ある県議会議員さんから電話が入った。

お元気ですか?みたいな話に終始して、「議会の合間にご機嫌伺いの電話をしただけですから」という。

 

う〜ん、今度の地方選挙では彼は当選間違いなしの議員さんだったから、何故の突然の電話?すご〜い違和感。

で、まてよ、これは、彼、今度の衆議院選に出るつもりじゃないだろうな、って思ったのだね。

あり得る話だ。

T国会議員はあの体たらくだし、健康不安もあるし、丸山知事の選挙で竹下王国に反旗を翻した県議さんたちは、自分たちの中から次の衆議院議員を出そうという話になっていてもおかしくはない。

 

それが本当ならば、今回の竹下亘さんは、マジで墓穴を掘った。自爆だね。

う〜ん、しかしながら、例の県議さんだって、ガチで竹下派から出てきた人だからね。

竹下亘さんの後釜を狙って(DAIGOは出る気配がないから)、よしんば国政にお出になったにしても、まだまだ青木幹雄さんの目は光っている? 先輩格の青木2世がいるからなあ〜〜〜

 

同じ穴に入れば、泥にまみれちゃうんじゃないの?

 

だから、やっぱり60過ぎたおっちゃんは、畑で野菜でも作っていればいいのだよ。

耕作地は山ほどある。

食糧危機が10年後、20年後に現実的になる前に、これらの耕作地を耕して、いつでもジャガイモやサツマイモが作れるように最後の社会貢献をするべきなのだ。

それこそ幸福度の高い老後じゃないか!!!

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  この雪が溶けたら、田起こしだね。最近は耕作地にハウスだから、景色は良くない。

  ちゃんと草刈りして畑を耕す体力が地方にはもう残っていないのが現状だ。

 

で、丸山知事の発信だが、あれは、島根県民に対する発信でもあったと思う。

ぬるま湯に浸かってんじゃねえ!そんな発信だったんじゃないか。

 

あのね、一番は教育行政、ここんとこは旧態依然、県の教育委員や各市町村の教育委員、ほとんどが公務員とかの定年退職組やどこかのお偉さん。

まあ、何かしらの体裁のために、若い女性とかもいれているけれど、彼女たちって、何の発言権もない感じはありありだからね。

おまけに教育委員の定例会の議事録は非公開になってる。

 

島根県の教育行政の遅れは致命的だ!

教育長一人も変えられない知事なんですけどね。。。

したがって女性にはそんなに評価されていません。。。

 

今回の騒動のメリットは、全国的に、おお〜島根県スか・・・ってところかなあ。

でもだ、丸山知事、前に進め!!!

ファーストラヴ

意外だった堤幸彦監督

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堤監督の作品には当たり外れがあるって、どこかで誰かが書いていたけれど、これは当たり?と言っては申し訳ないかな〜

 

映像が違っているのだね(と言うほど全作品を見ているわけじゃないからすみません)。

 

例えば、「SPEC」、ちょっと変だけれど、私は好きなのだ。

戸田恵梨香ちゃんの洋服がわざとみたいにダサかったり、あの地下?の倉庫みたいな部屋のパイプ椅子に、黄緑色のラインジャージがなにげにひょいとかけてあったりする、そういう小道具の色使いとかが、とてもとても好きなんだ。

 

11日封切りの「ファーストラヴ」、昨日12日に観に行った。

最初からおそらく最後まで、小道具とかに目が行かない展開というか、すごく丁寧に作ってあって、その上途中からはハンカチ投入になってしまったから・・・

 

多分一年前頃か、NHK BSの単発ドラマで真木よう子さんが「ファーストラヴ」をやった。

この時にはとっくに堤監督の映画の方の撮影は済んでいるはずなのに、NHKさんに遠慮して公開が後になる?とか、思ったりもした。

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堤監督は上映会で、「全身全霊」(本人の言葉だけれど、どこまで受け取ったらいいかなあ)の作品とかおっしゃったらしいから、1年間編集がすごかったのかもしれない。

 

あの美しいい映像は、きっと、どこかの、誰かの、あるいは世界中の女の子の「ファーストラヴ」がそんなふうに美しく、儚い淡い桜色みたいでありますように、って、これは、みんなの祈り?

 

淡い桜色、私は翌朝、つまり今朝になって、ああ、やっぱり、こういうところが堤監督の映画だって、気がついた。

最後の最後に、桜色だった・・・

 

窪塚洋介くんがいい!  芳根京子ちゃんがいい!

*男の人とかはどうでもいいけれど、女の人はみんな見て欲しい映画だと思う。

 

「高貴な単純さ」に妻は死す 2

「阿波紀行」に関寛斎のことは書かれていた。

昨夜はぱらぱらとめくっただけで、しかも池田のあたりに書かれていたような思い込みがあって、阿波紀行の始めのあたりは飛ばしてめくっていた。

 

しかし幕末に蜂須賀家の藩医となって最後の藩主の死を看取った、とあったから、もう一度阿波紀行を丁寧にめくったら、関寛斎の名が出て来た。

 

胡蝶の夢」で「高貴な単純さ」と司馬遼太郎が書いたのを、信じがたいほどの馬鹿、と言い換えた私は恥じなければならない。

 

阿波紀行でこう書いている。

「ひとことでいえば、幕末・明治の名医である。さらにいえば医術によって暖衣飽食しようとしなかった人である。」

「もうひとつ言いかさねると、人生に強烈な意味を見出そうとし、その後半生、古代インドの苦行僧のように身をくるしめた人でもあった。」

「栄爵や栄職をつぎつぎにすてて、後半生、北海道の陸別にほとんど単独で入植し、斧をふるって密林をひらき、自ら、くわをとって畑をつくったひとである。」

 

「明治三十五年、七十三歳のとき、徳島の医院をたたみ、結婚五十年の老妻をつれて北海道に入植し、明治四十五年、八十三歳のとき、開墾屋敷で死んだ。」

 

しかしやはり、彼の「高貴な単純さ」は、その妻を道内随一の寒冷地に引き連れ、阿波の鳴門の穏やかな暖かさの中で老後を過ごさせなかった人であることは事実だ。

胡蝶の夢」を読めば、この妻のことを司馬遼太郎がどのようにか書いているだろう。

 

 

「高貴な単純さ」に妻は死す・・・

晩年の北海道移住は有りか無しか

確か、晩年になって、北海道のへそ、厳寒の地に移住して、奥さんを死なせた江戸時代の学者がいたはずだ。

昨夜お風呂から出て、ちっとも温まらない洗面所で髪を乾かしながら、そんなことを思い出してしまった。

 

この二日、またまた寒波がやって来て、山の中は零下に凍えている。

おそらくこの次の冬は函館だと思うと、暖房のことが気がかりだ。

家全体を夜間にも温めておくのだろう。

 

司馬遼太郎の「街道をゆく」で読んだはずだと、とりあえず阿波紀行をめくったが、ない。

「北海道の諸道」はしまい込んだか、見つからない。

こういうとき、検索はありがたい、と言うべきかどうかだが、実際助かる・・・

 

関寛斎

司馬遼太郎は「胡蝶の夢」で「高貴な単純さは神に近い」と書いているそうだ(「胡蝶の夢」は読んでいない)。

この言葉、つまりは、信じられないほどの馬鹿、と言い換えてもいいような気がする(スミマセン)。

 

関寛斎、72歳、志はよし、しかし付いて行かされた妻はどうなる・・・

零下の、荒涼たる未開の地で、薪を燃やすだけの掘っ立て小屋で、

綿を重ねてまとい、眠り、開拓途中の惨めな作物を食いつないで、夫の志に死んだ老妻は、どうなる・・・

 

山田風太郎の「人間臨終図鑑」4に、関寛斎の死は書かれていない。

82歳の服毒自殺を、何故、山田風太郎は書かなかったのか。

単純に漏れたか、山田風太郎には関寛斎の「高貴な単純さ」が、お気に召さなかったおそれもある。

 

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