bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

柿本人麻呂の長歌 3

「殯宮」

山本健吉は「柿本人麻呂」の中で言う。

〜人麻呂の時代を考へてみれば、はたして御用詩人としての道を歩く外に、彼は全力的・全身的な表現の場を獲得することができたであらうか。言ひかへれば、御用詩人となる以外に、詩人であることが可能であつたかどうかといふことになる。茂吉のやうに、「御用詩人であつたにもかかわらず」ではなく、むしろ「御用詩人であつたがゆゑに」彼は眞の詩人となることができ、日本の詩の發生の場に立ち會ふことができたと言ふべきなのだ。〜

 

長歌の完成を、人麻呂の挽歌で見ようとする。

そうして巻一の雑歌に入っていても、

持統天皇の吉野行幸、近江荒都歌や、軽皇子の阿騎野遊猟の長歌反歌・短歌は、挽歌と言ってもよいことを、山本健吉は執拗に解き明かそう?語ろう?としている。

〜文武四年(700)以降火葬制度の普及によつて、天皇・諸皇子等の殯宮行事が廢れるとともに、長歌の生命は終つたのだ。長歌は人麻呂に始まつて、人麻呂に終つたと言つてもよかつたのである。〜

 

長歌の完成、それゆえに長歌が持つ主題の二重奏への自覚によって、人麻呂における詩の自覚を、「言はば、抒情詩を生み落とそうといふ陣痛のさま」のように見せてくれる、と山本健吉は言う。

 

私は唸るばかりの心地である。

人麻呂は、いよいよ憧憬として遠くの彼方に退いていくのだね。

梅原猛の著作名である「水底の歌」という言葉は、

人麻呂の刑死を意味するということはさておいて、

遠のいていく柿本人麻呂を表現しているといってもいいと、今、私は思っているよ。

 

魂魄の遊離を鎮める

で、唐突ではあるが、高村薫さんの「土の記」の舞台である奈良県宇陀の半坂の地名が、山本健吉のこの本に出てきて、私はまたまた唸ってしまった。

「土の記」を取り出してぱらぱらとめくっただけで、こんな文章に行き当たる。

〜漆河原の死者たちはみな、参り墓の夫婦石が建てられるまでの数年、こうして卒塔婆の下でぽつ然と空を仰ぎ続けることになる。〜

 

下巻の帯にはこんなふうにも書いてある。

大宇陀の山は

今日も神武が詠い、

祖霊が集い、

獣や鳥や地虫たちが

声高く啼きあう。

 

「土の記」の前の出版は「空海」だったはずで、高村薫さんは歴史を遡って、「万葉集」の挽歌を丁寧に読み解かれたのかもしれない。

軽皇子の阿騎野への道行は、人麻呂が長歌で詠った魂鎮であり、この行程をたどる道筋を述べる段で、山本健吉は「〜行詰まった泊瀬をさらに越へて、宇陀地方に出るわけでである。半阪を越えれば、さらに完全な異境である。」と書いている。

 

ぼとぼと、ばたばた、ぼとぼと、ばたばた。

男の頭の中で響き合う雨音が、「土の記」をずっと流れている。

老いを迎えた男の頭は、

まだら模様のように、現実なのか幻想なのか、物思いを行きつ戻りつする。

 

生きた証を、微かに鎮めようとして、雨音が頭の中で響き合うのだ。

この本は、鎮魂の書といってもいいのかなあ〜

 

と、まあ、柿本人麻呂が、山本健吉が、梅原猛が、高村薫が、「水底の歌」という語で、

私には強引に(笑)繋がっちゃという次第で。。。

ほんと、支離滅裂な一人思いをしている私だから、ちゃんと他の人麻呂関係の本も読まなくっちゃあね。

     

 

 

 

 

 

 

柿本人麻呂の長歌 2

🎵不思議な世界をさまよい歩いているんだね🎵

中国山地の山あいに住んでいた頃(といっても、春先までいたんですけど)、公民館がやっていた子ども達の学習教室で講師役で一緒だったT氏、何かの時に彼はこう言った。

柿本人麻呂?ああ、持統朝のお抱え歌人ね。」

W大の政経出身ともなれば、この辺りまではちゃんと押さえてるんだ〜と、まあその時はそれくらいに聞いておいた。

 

で、だ、の話なんですが・・・

NHKラジオの「古典講読」の「歌と歴史でたどる『万葉集』」は22回目を終えている。

だのに私は聴き逃し配信停止のスレスレの15回から18回くらいを、まだうろついていて、置いてきぼりになりかけている(人麻呂挽歌群は3回くらい聴いたかも・・・)。

 

鉄野昌弘先生は「フィクション」という言葉を何回か使われた。

山本健吉はこう書いている。

〜壮大華麗な修辭で、藤原朝宮廷の儀式的要求を満足させた〜

〜人麻呂における咒術的長歌の修辭的完成〜

    

        山本健吉著「柿本人麻呂」の目次

T氏がざっくり言った言葉は「正解」?なんだと、なんとなく頷いてしまう状態になってしまって、それこそ「こころもしのに」、沈んだ気分かも。。。

梅原猛さんの想像力が萎んででいきそうな気配が濃厚なんです。

 

鉄野先生がこの回あたりまでで、人麻呂の長歌反歌・短歌群から「フィクション」「時間的経過」という言葉を使われたのは、

山本健吉が言う、

〜全體としては對詠的な聲のなかから、作者の獨語的な聲が響き出す。言はば、抒情詩を生み落とさうといふ陣痛のさまを見せてくるのだ。〜

こういうことなのだろう。。。

 

例えば、石見相聞歌では、三番目の「或本歌一首」の長歌の方が私には、生き生きと感じられてしまう。つまり鉄野先生は、人麻呂が練り直した時間的経過を、こういうところに見ておられるようだ。

そうして人麻呂が、もしかしたら(というより確実に?)宮廷で詠みあげた130の長歌、131、132の反歌は、「フィクション」が勝っていく過程の結果ということになるのかな?

 

加賀美幸子さんの長歌朗読は聞き惚れる

それにしてもだね、人麻呂の長歌加賀美幸子さんの朗読で聴いていると、なんか、やっぱ、すごい!って感動しちゃうんですよ。

タイムマシンがあったら、持統朝の宮廷サロンを覗き見したいのあります。

(ああ、私、ひと段落したら、絶対もう一度梅原猛柿本人麻呂関係は読みます)

 

 

 

 

くちびる寒し・・・というか、言葉の力が・・・

昨夜のBS放送の某なんとかニュース、ひどかった。

こんなこと、ほんとは書いちゃあいけないんだろうけど(言ってる・・・)、「物言はぬは腹ふくるる心地す」(?)って、兼好法師も言ってたし、やっぱ、書いときます。

 

萩生田政調会長の生出演、まあ、見ますよね。

ホントのところはこのお方のお顔とか、積極的に、というか、はっきり言って、見たくない私です。

オマケに安倍政権のおかかえジャーナリストとしか思えない、あのお方のお顔も拝見したくはない私です。

 

あれは、無意味な時間だったとしか言いようがない。

とにかく、ほぼ、何も言ってはいなかった。

あんな厚顔?あんな確信犯?あれは傍若無人、何がしかの説明を聞いてみたい国民を、完全に舐めている、としか思えない。

分かってほしいという、その心根さえも、微塵も感じられなかった。

 

彼が文科大臣だったときも、同じように国民を舐めていた。

もし彼が安倍派を引き継いで、次の総理候補となるとして・・・

まあ、いっか。

高橋源一郎さんだっけ、「たそがれていく日本」って言ってたもんね。

 

猪八戒さん」ーこの番組のキャスター・反町理さんを、親しみを込めてずっと私はこう呼んでいるのだけれど、猪八戒さんも、明らかに匙を投げてた感じだったね。

後で、どっかの椅子を蹴飛ばしてるよ

こんなお行儀の悪い、大人気ないことはしない?

彼が、完全に熱意をなくして番組を続けていたことは、ちゃんと伝わった。

 

1時間は我慢してたけど、さすがにバスタイムに入りました。

さっさとipadで何か見てた夫は、私が席を立ったら、すぐにチャンネルを変えてた。

 

で、お風呂から上がって、某ニュース番組がついていたのだが、耳に入った言葉に、今度はびっくりした。

コロナ感染中の岸田総理は〜〜〜〜」

いいのかなあ、こんなに安易に日本語を操るというか、蔑ろにするというか、こんなふうに言葉を使っていいんだろうか。。。

 

「コロナ感染中、かあ」

思わずつぶやいた私に、夫は言った。

「考え中、とか、なんでもナニナニ中、にしちゃうんだもんなあ」

 

ともあれ、人様を批判できるような私ではありませんが、昨夜の萩生田さんには、ただただがっかりでありんした・・・

 

 

 

ワンピースを重ね着したら・・・

ずっと昔から、ときどき、ふっと、このフレーズがよぎる事がある。

 

 ワンピースを重ね着する 君の心は 

 不思議な世界を さまよい歩いていたんだ 

        井上陽水「ジェラシー」。

 

小川洋子さんの「約束された移動」河出書房新社 2019年)

我が家から徒歩5分で函館市の支庁があって、その隣になんとかセンターというビルがある。

まあ、地域の色々な団体さんの定例会とか、子ども達や大人のカルチャースクールなどで利用される建物かな?

一階にはゆったりとしたフリースペースがあり、図書の貸し出しと、学習コーナーも完備!

ちょっと居心地の良い場所な気がする。

     

通りがかりに、思えば吸い寄せられるように目に止まったのがこの本。

博士の愛した数式」しか読んでことはないのに、どうして小川洋子さんにひきよせられたんだろう。

 

そうして、最初の短編「約束された移動」、次の短編「ダイアナとバーバラ」と、本当に不思議な空間に彷徨い誘い出されたような、そんな時間だったね。

 

あとの短編も然り。

 

つまり、「ワンピースを重ね着する 君の心」みたいな、そのような感じとしか、私には言えないですよ。

 

こじつけで、言おうとすれば、こういう言葉しか出てこないね・・・

日常の中に、必ず人は非日常を隠し持っているんだ。

日常の中でごまかしながらというか、隠し持ってることを忘れてたり、忘れなくっちゃって自分をなだめたり、こういう自分を嫌いになったり、他人の目に自分を任せたり、つまり、嘘つきを日常でやっちゃってる。

そういう日常の中で、幸せ?とか、考えちゃってるよ。

いや、幸せとかがそもそも日常の言葉であって、非日常には幸せもナニもなくって、いかなる物差しもいらない。

 

窓辺にたたずんでる 君を見てると

長い年月に 触れたような気がする

 

いつの頃から人は非日常が怖くなったんだろう。

ああ、加速度的に、日常に埋没する方が楽に違いないって、ほんとはそれがすご〜くどんどん、どんどんしんどくなっているのに、ごまかしが反射神経みたいになっちゃってるよ。

例えば誰かに、そういう感じを感じた時、なんか、苦しくなるなあ。

 

かすかにだね、わがままっていうことにして、非日常が日常に抵抗する?

それくらいかな。。。

 

 

 

 

「そんな悲しい目をしてンじゃねえ」

キングダム2 遙かなる大地へ

遅くなったけれども、昨日やっと観に行ってきた。

う〜ん、2019年は、待ち焦がれ感が強すぎたってこともある。

今回は待ちくたびれたし、予告とかが寂しかったし、イマイチ気持ちが・・・

 

と、こんなこと言ってるわりには、私、一生懸命観てしまったわ。

観終わった後も、十分、満足でありんした。

 

やはり、清野菜名さんの羌かいは、大正解!!!

「そんな悲しい目をしてンじゃねえ」信はこう言いましたね。

 

人離れして、女感?が匂ってこないのは、彼女が持ってる透明感だと、私は勝手に思ってる。

 3月に、つまりこの撮影後に、赤ちゃんを産んでらっしゃる・・・おめでとうございます!

 

トーン トントン  トーン トントン

ここはイマイチ、しょうがないと、諦めよう。

だって、あんなアクション、無理、無理。

とにかくもって、羌かいの清野菜名さんは、その姿形で期待を裏切らなかった。ありがとう!

 

山崎賢人くんですが、アクションがかなり盛り上がってて、こちらもアニメの期待を裏切らなかった。がんばるねえ〜ってやはり、こういうところが好きなんです。

ナニかに、なっちゃうんだよね。

おまけに、馬鹿っぽさを一段とアップしてくれて、これから将軍になっていくんだけれど、ここんとこ、どうするんだろうね。

このあたり、来年のキングダム3への期待値upかな。

 

で、ここからはちょっと勘弁してください。

呂不韋、配役ミスとしか・・・最後の最後の場面になって、ええっ〜。

昌平君、猛武役のお二人は、楽しみだから、

だから、呂不韋さんも、化けてくださいますように!頼みます。。。

 

NHKのアニメワールドのキングダム、こっちもグングン盛り上がってきてますねえ〜

 

 

柿本人麻呂の長歌

NHKラジオの「古典講読 万葉集」は18回目

この講読を聴き出してから(聞き逃しで聴く)、恥ずかしながら、私は柿本人麻呂長歌に目覚めたのです。

万葉集長歌なんて、なんだかめんどくさいくらいにしか思っていなかったことを、今は恥じている(相当に恥ずかしい話だ)。

長歌があってこその、柿本人麻呂だったのですね。。。

 

山本健吉は「柿本人麻呂」(新潮社 昭和37年初版)の中で、こう書いていた。

「人麻呂はある意味では、この長歌様式の完成者であり、壮大華麗な修辭で、藤原朝宮廷の儀式的要求を満足させた。だが、彼が長歌の完成者であったことは、別の意味では、長歌のはらむ矛盾を極限まで発展させたことでもあった。人麻呂は、長歌の可能性を、みづからの天才によって扼殺してしまったのである。」

 山本健吉の「柿本人麻呂」と「芭蕉」は断捨離せずにいたのは正解。今回、また読み直している。

 

「石見相聞歌」と言われる、長歌反歌群の講義は17回目だった。

18回目は、「泣血哀慟歌」だったから、おそらく19回目は石見国での死に臨んだ時の自傷歌の講義になるはずなんだが。。。

その際に、鉄野昌弘先生がどのように講義なさるか。。。

 

今までのところ、当初、私が「ワクワクする」と言ったようなお話は先生からは聞かれない。

けれども、とても分かりやすく、きちんと教えてくださっているから、この講義の本筋はそこにあることを、私はちゃんと理解しなければいけない。

 

  

 

で、石見相聞歌の歌群のうちの「或本反歌曰」には、他の二つの長歌には無い

 「大舟之 渡乃山之」(おおぶねの わたりのやまの)

 「嬬隠有 屋上乃山乃」」(つまごもる やかみのやまの)

という句がある。

 

石見国国府庁があった現浜田市から十数キロ東に向かえば、中国地方の一級河川・江川が流れている。

この川の上流域は中国山地をうねりながら流れ下って、河口は日本海に注ぐ。

河口からさほど遠くない中流域は、過去には幾度も氾濫して、この江川を「中国太郎」と呼んでいたそうだ。

したがって川は、点々と、堅固で巨大な防波堤が築かれ、言ってしまえば「味もそっけもない」川になってしまっているが、仕方のないことで、こんなことを言ってはいけません。

 

そのたびたび氾濫する中流域の右岸に「渡」(わたり)という集落がある。

そんなに詳しくはないが、この「渡」集落の裏に構える山を越えたら、多分?「矢上」という集落があるのだ。

 

古代山陰道については最近とみに研究の成果が出ているそうだ。

「悲願」の山陰高速道が継ぎ接ぎのように工事中なのだが、『やたらと遺跡が出てきて、工事云々』の話を聞いたことがある。

石見国府から大和へ上る古代道がどのようであったかは、私は勉強不足で、それに今現在も検索していないから、勝手なことを言っているのだけれど、「わたり」と「やかみ」という語を目にすれば、「妻に分かれて上り来る時」、なんだか人麻呂が本当に通ったように思えてしまうのだ。

 

斎藤茂吉が人麻呂終焉の地と結論付けた「湯抱」鴨山の地は、この江川をさらに上流へ遡った山の中にある。

おやまあ、と意外なほどにポツネンと、その終焉の地と名付けられた場所は現れる。

斎藤茂吉の「鴨山考」を読んでいないので、「渡」や「矢上」集落に触れている部分があるのかどうか、わからない。

けれども湯抱を終焉の地としたからには、江川流域の集落も調べているだろう。

嘘かホントか、ちょっと定かではないが、江川左岸に沿った国道沿いのどこかに「人麻呂渡しの地」(?)という立て看があったような記憶が・・・

 

まずは、これにて。。。

 

*ちなみに、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」はとっくに読了しているが、感想文は書けない。なぜだろうか、なあ・・・単純に、好き嫌いの話か、なあ・・・

 

 

 

石狩湾、積丹半島、日本海、そうして噴火湾へ

北海道は、広い

札幌の義母を訪ねて、函館から車で出た。

車が少ない国道では、私も久々に、しかも余裕で!運転した。

高速を走りたくない私が、意固地に渡島半島の国道を選んで走ったおかげで、間違えて山の中に入ってしまったのは余計だったね。

 

   

    蘭越町にあるなんとか?ランド・・・ニセコの南西辺りか・・・美しい

札幌では義母に会った後、夫の友人ともウン十年ぶりに会った。

その後石狩湾を小樽へ回って、一泊した。

翌日、夫の兼ねてからの懸案だった積丹半島の泊村へ向かった。

泊村、ここは30代で亡くなった夫の友人の生まれ故郷だった。

 

泊村役場では親切に対応してくださったが、そのSさんのご実家はすでにSさんの奥様が代々のS家の墓仕舞いをされていて、実家も他の方のお住まいになっているとのことだった。

Sさんのお墓は岩内町の墓園にあるらしいというところまで教えてくださった。

   

      入江になっているから、穏やかな海だ。その向こうの日本海は荒々しい

Sさんが通ったに違いない小学校を探した。

海沿いを走る国道の、浜とは反対側の丘にある小さな小学校は、おそらく建て替えられたものだろう。

小学校へ上がる坂から、泊村の浜を見下ろした。

 

海を湛えた心・・・

Sさんは、浜がすぐ近くに見えるところにあっただろう小学校に行ったのかもしれない。

学校の窓からは風や波の音、海の香り。。。

泊の小さな村で成長した少年は、一体どんな海を心の底に満たして成長していったのだろう。

 

Sさんと夫は学生時代の友人だが、Sさんには2度目の学校だったから、夫より年長だ。

友人仲間でも競馬に熱心だったのは夫とSさんだったらしい。

「逃げるだろう」Sさんはこう言ったそうだ。

Sさんが買うのは逃げ馬ばかりだったなあ、と夫から聞かされてきた。

 

学生時代の帰省には、まだ青函連絡船を使ったのかもしれない。

 マッチする 束の間見えし 霧の海 身捨つるほどの 祖国はありや

                  寺山修司

 

泊村から岩内町役場へとって返し、また丁寧な対応を受け、夫はSさんのお墓まいりを済ませたのだった。

 

泊村から岩内町を走る国道229号線はほぼ海沿いを走るが、泊原子力発電所は国道からは見えないふう(?)になっていたですよね。

    私の勘違いで、ちゃんと見るところからは見えるのかもしれないが。

陽が傾きかけた頃になって、岩内から先をどんどん走るが、とんでもなく長い!トンネルがいくつかある。

    閉所恐怖症のような私には、あのトンネルは絶対に絶対に!走れない。

日本海の荒々しい崖を削って、あのようなトンネルをいくつも作ったのは、原発のためとしか思えない。

浜辺の古い泊のいくつかの町はそのままにあるに違いないが、その浜の人家を隠してしまうかのように走る国道やとてつもないトンネルの規模は、何事かを人に考えさせる。

泊原発再稼働を声だかに叫んだ参議院選の候補者が、全国で一番最後の最後に当選しましたね。