5:40の朝焼け・・・
下の八畳間の窓を開けて風を入れようとして、
あまりの空に圧倒された。
カメラを持ち出し、前の道路で数枚・・・
この八畳間は、十二年前、父が最期の1ヶ月近くを過ごした。
11月末、松江の病院で診察の後、
私は真っ直ぐ、この村へ連れ帰った。
せめて、春の山桜花を見せたい・・・
村の診療所にはその前から訪問診療の打診をしていた。
父はこの部屋で、毎日看護婦さんの訪問を受け、点滴をしながら、
母と私の付き添いで過ごした。
12月も押し迫った頃、
まだ暗い朝に、父をのぞくと、
「エリコさん、僕はもうダメだから、3人の婿を明日集めてくれないか」
両の手の人差し指で、胸の上で小さくバツの形を作った。
その頃は、3時間おきに私にセデスを要求し、
眠らない夜と、痛みと、畏れを、一人で耐えて迎えた夜明けだった。
12月は東向きの部屋では、夕方の西の夕焼けが照り返しを受けて、
圧倒的な美しさで空の全部を、染め上げる。
ベッドを起こして、父は飽かずその空を眺めた。
唯一の救いは、父が最期を
世界の圧倒的な美しさに触れて過ごしたことである。
「エリコさん・・・」
どういうわけか、父は時々私をサン付けで呼び、
冬の夜明け前、
父が作ったバツの印と、「エリコさん」・・・
折に触れて呼び起こされる記憶だ。