bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

「いがぐり史料館」に感動した!

戊辰戦争150年

9月29日から30日にかけてのNHKラジオ深夜便は、福島放送局からで、

福島県立博物館で開催の「戊辰戦争150年」について、お話ししていた。

とってもとっても興味深い話をされていて、

会津の博物館に行きたくなったくらいだった。

 

で、昨夜は、パパにこの放送を、らじる⭐️らじる「聴き逃し」で聞かせてあげた。

私が台所を片付けて、お風呂から上がったら、

パパが面白いものを検索していた。

 

「いがぐり史料館」というページをどなたかが作ってらして、

会津戊辰戦争史を書き下し文にしてくださっているのです。

なんと、ここに、パパのひいおじいさんい当たる、

鋤柄伴之進さんのお名前を見つけました。

 

 この資料は、今後、私、少しずつ読むつもりですが、

なんと、奇特な、このような立派なことをされている人が、

世の中には、おられるのですねえ・・・

 

プロフィールがわからないのだけれど、

4月23日に「ふ〜」と題して、校了された旨、書かれています。

しばらく休みます、とありましたが、

その文の中で、

「でわでわ、〜」とあって、

私、この人物は、年寄りじゃないと思った。

だって、「ではでは」でしょ。

若い人は、最近は、わざとみたいに「こんにちわ」って書くし、

「でわでわ」を使うのは、私らの年代じゃない、って思うけど〜

 

会津藩士の末裔

で、やはり、鋤柄伴之進は預かりの新潟から斗南藩に行きます。

ここら辺りからは、パパもおおよそは知っていて、

伴之進の子らは青森八戸で育ち、

パパの八戸のおじいさんは学校の校長先生だったそうです。

この辺りも、斗南藩に流された会津武士の流れですよね。

教育界に行った人が多いそうですから。

 

このおじいさんの四男が、

パパのお父さん、私の舅ということになります。

 

私は、折に触れて、「どうしてもっとお父さんから話を聞かなかったの?」と

問い詰めるのですが、あまり、興味がなかったのでしょうね。

その上、このお父さんはサハリンからの引き揚げ者でもありますし、

姓が鋤柄でなくなったのは、サハリンで知り合った女性の姓をとったのです。

サハリンの話とか、絶対に知りたいし〜

 

このサハリンで結婚したパパのお母さんは、引き揚げ後暮らした

函館でパパを産んで、その後パパが3歳頃亡くなっています。

このパパの生みの親に関しても、

私は非常に非常にミステリアスなものを感じていて、

パパが、自分の両親について、その来歴を細々と聞いていなかったのを、

実に残念に思っています。

 

時間です、お昼の準備をしなければなりません。

 

で、これだけは言っておくと、だからパパは、

今年の大河ドラマを見ないので、私も付き合っているのです。

薩長だぜ・・・」

会津藩にゆかりの人からすれば、そうなるのです・・・