戊辰戦争150年
9月29日から30日にかけてのNHKラジオ深夜便は、福島放送局からで、
福島県立博物館で開催の「戊辰戦争150年」について、お話ししていた。
とってもとっても興味深い話をされていて、
会津の博物館に行きたくなったくらいだった。
で、昨夜は、パパにこの放送を、らじる⭐️らじる「聴き逃し」で聞かせてあげた。
私が台所を片付けて、お風呂から上がったら、
パパが面白いものを検索していた。
「いがぐり史料館」というページをどなたかが作ってらして、
なんと、ここに、パパのひいおじいさんい当たる、
鋤柄伴之進さんのお名前を見つけました。
この資料は、今後、私、少しずつ読むつもりですが、
なんと、奇特な、このような立派なことをされている人が、
世の中には、おられるのですねえ・・・
プロフィールがわからないのだけれど、
4月23日に「ふ〜」と題して、校了された旨、書かれています。
しばらく休みます、とありましたが、
その文の中で、
「でわでわ、〜」とあって、
私、この人物は、年寄りじゃないと思った。
だって、「ではでは」でしょ。
若い人は、最近は、わざとみたいに「こんにちわ」って書くし、
「でわでわ」を使うのは、私らの年代じゃない、って思うけど〜
会津藩士の末裔
で、やはり、鋤柄伴之進は預かりの新潟から斗南藩に行きます。
ここら辺りからは、パパもおおよそは知っていて、
伴之進の子らは青森八戸で育ち、
パパの八戸のおじいさんは学校の校長先生だったそうです。
教育界に行った人が多いそうですから。
このおじいさんの四男が、
パパのお父さん、私の舅ということになります。
私は、折に触れて、「どうしてもっとお父さんから話を聞かなかったの?」と
問い詰めるのですが、あまり、興味がなかったのでしょうね。
その上、このお父さんはサハリンからの引き揚げ者でもありますし、
姓が鋤柄でなくなったのは、サハリンで知り合った女性の姓をとったのです。
サハリンの話とか、絶対に知りたいし〜
このサハリンで結婚したパパのお母さんは、引き揚げ後暮らした
函館でパパを産んで、その後パパが3歳頃亡くなっています。
このパパの生みの親に関しても、
私は非常に非常にミステリアスなものを感じていて、
パパが、自分の両親について、その来歴を細々と聞いていなかったのを、
実に残念に思っています。
時間です、お昼の準備をしなければなりません。
で、これだけは言っておくと、だからパパは、
今年の大河ドラマを見ないので、私も付き合っているのです。
「薩長だぜ・・・」
会津藩にゆかりの人からすれば、そうなるのです・・・