bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

会津藩士の末裔・・・

会津戊辰戦史

さっきの続き。

会津戊辰戦史」に鋤柄の名前がちょこっと出てることは分かった。

 

朱雀隊三番組属事係なにがしが、

西軍が置き忘れた弾薬なんぞを集めて持ち帰った、と書いてあるだけで・・・

 

ひいおじいさんが会津藩士だったことは確かだった。

 

伴之進の跡取りが八戸で教育者として暮らし、確か4男2女をもうけ、

その4男が、正、が、つまり私の舅に当たる。

確か長男さんは逗子に、次男さんは中野に、

3男は大宮に、皆、私が主人と結婚してから亡くなられた。

 

逗子の方が亡くなられた時は、義父が入院中か何かで、

主人と私が代わりにお悔やみに行ったことも思い出した。

中野の方が亡くなられた時は、義父が函館から出てきた。

 

大宮のおじさんの時は、色々差し障りがあって、

義父は来ずに、主人と私が行ったことも思い出した。

 

 「八戸のおばあさん」と主人や義母が呼ぶ人は、

伴之進の跡取りの男子に嫁に入った人であるから、

あるいはこの女性も会津藩士で斗南に入った藩士の娘だったのかもしれない。

 

この人はおそらく、斗南藩の辛酸をつぶさに目撃、経験したのではないか。

そんな苦労話を、まだ小学生の主人は聞くはずもないし、

聞かせるはずもない。

とにかく「しんちゃん、しんちゃん」と可愛がってもらったらしい。

 

義母は、このお姑さんが八戸から函館へよく来られて、

連絡船の船着き場まで、迎えに行ったことを、私にはよく話してくれた。

 

ちなみに、私は先日も札幌の義母のところへ行ったが、

この義母という人は、主人を生んだ母親が亡くなった後に来られた

お母さんである。

 

このお母さんが来られるまで、八戸から鋤柄の一番下の妹さんが、

主人たち兄弟や家の世話をしにきておられたということである。

 

「サハリン」という響きからして、知りたいがいっぱい

で、鋤柄の家は家として、

私が非常に興味があると言ったのは、

鋤柄の3男と4男がサハリンへ行き、そこで2人の姉妹と出会い、

それぞれが結婚し、4男の、私の舅が、この姉妹の姓を受け継ぎ、

つまり、伴之進の鋤柄姓ではないということ。

 

私は2人のこの姉妹に、ミステリアスを感じると言った。

確かにサハリンへは一旗上げに、次男や三男坊や、

色々な人が入ったはずだが、

若い身空の姉妹は、どのような経緯があって、サハリンくんだりへ

行っていたのだろうか?

 

この姉妹の姓、つまり、今の私の姓は、そう多くはない。

主人は和歌山から出たのではないかと言う。

なら一層、北へ北へ流れて、サハリンで出会った四男坊と結婚し、

自分の姓を名乗らせたのは、何故なのだろう。

サハリンへ行った姉妹に受け継ぐ資産や何かがあった風はなく、

鋤柄四男のお義父さんがこの姉妹の姓を継いだのは、

それなりのわけがありそうな気がする。

姉の方は、鋤柄三男と結婚し、鋤柄の姓に入った。

 

腰を据えて、勉強せい・・・

ラジオ深夜便から、ひょんなことで、

世の中には、自分に興味のあることをコツコツと勉強し、

やり遂げようという意思を持って生きている人が、

実はたくさんおられるのだと、当たり前のことを、

今更ながら、思い至った。

 

私なんて、ふわふわ、よろよろ、そしてぼろぼろ、

この年までよくも生きてきたもんだ・・・

いろんな人生があっていいのだけれど、やっぱ、今日は反省した。

 

してみると、我が娘のY子は、頑なに、自分のしたいことの

周辺をずっとずっと我慢して耐えてきて、

やっと、今、そこにたどり着いて、

そして時々「しにそう〜」みたいなワンフレーズで、私に返して、

私はそのことを、一種、わがままという風にもとらえていたが、

あの子はやっぱり、

意思を持って生きている人間なんだ・・・

 

Y子こそ会津武士の血脈と言って良いのかも、ネ。

(すみません、おふざけではなく、私、

娘を見直すきっかけになったことを言いたいだけです)