一人の楽しみ
さて、短歌について、毎日日付の変わる深夜12時に「うた日記」を更新される方がいらっしゃいます。
この方のブログをほぼ毎日読ませていただいています。
現在は「あはれ」という語を使った短歌のことを書き綴っておられます。
万葉集から以降のうたの数々、ここ2回くらいは斎藤茂吉のこの語を使用したうたを並べて、考察なさいます。
今朝は小池光氏が斎藤茂吉の「あはれ」について述べたことを引用されました。
小池光氏が何故あのように斎藤茂吉を考えるのか、私にはなかなか理解できません。
男の人にとっては、茂吉のうたは何か特別な感慨というか、共感というか、そういうのがあるのでしょうか。
茂吉のうたには、どう言ったらいいのか、どことなく不穏な感じ、そして時にあからさまな嫌な部分、そういううたがあって、あまり好きにはなれません。
たらちねの母の姿をひとめみんひとめみんとぞただに急げる
このうたを記憶している程度でしかなかった私が、たくさんの茂吉のうたを教えていただいているわけですが、すーっと共感できるうたに出会えないでいます。
斎藤茂吉は「男うた」、そんな言葉が浮かびます。
もちろん他の作者とて、私が好きなのはほとんどが男の人のうたですが、斎藤茂吉という人のうたは、女が好きでない男が顔を覗かせる、そんな感じでしょうか。
そう思っていくと、「たらちねの〜」のうたも、なんとなく「うそ」というか、そのうたの背後にいる茂吉の持っている理解しがたい感情、感覚、そういうものを探ってしまうような違和感が湧いてしまいました。
才能が才能に嫉妬する?
つまり、男が男に嫉妬する、こうでしょうか・・・
才能ある男の人は、より才能のある男には嫉妬する。
茂吉のあの才能? なんだか超えられない・・・
「・・・・ひとり悲しも」なんて、あま〜い抒情に満足できない男の詩情、こういうのがあるのでしょうね。こうなったら、もう男同士で頑張れ!って感じですかねえ・・
この「うた日記」で知った「知の詩情」という言葉、小池光氏のうたの数々、まさに「知の詩情」という表現はよく理解できました。