無力感は努力と粘りがないからなのかも・・
今日は午後から村の中学校の評議委員会に行く。
お務めでもあり、今日はお願い事があるから行かずばなるまい・・・
学校にお願い事をして聞いてもらった試しがない?から、今日のお願い事も却下される可能性が大だ。
この村は昭和の合併で2村が1村になり、一校しかない中学生の通学範囲が広い。
こちらの公民館で放課後学習支援教室を週1でやっているが、下の地域の子は親の送迎がないと参加できない。
従って、下の子もこちらの公民館までスクールバスで乗せて下校させてもらったらという、学習教室の講師たちの総意なのだ。
多分、無理だと言われる公算大。
けれども教師が「公民館の教室へ行ったらどうですか?」って親に言ったらしいのにですよ。
小学生が何度もお着替えすることにはどんな意味が?
ずっと以前、小学校の敷地内にある児童クラブへ下校する児童たちは、制服に着替えないで、体操着のままで下校させてもらえないだろうかって、お諮りしたけれど、却下。
子ども達、大変なんですよ。
まず登校して制服から体操着に着替える。
帰りにまた制服に着替えて下校。
児童クラブに下校する子は、児童クラブでまた体操着にお着替えしないと、校庭とかで遊ぶから制服のままじゃ、汚れちゃうのですよ。
1、2年生の小さな子たちが1日に何度も何度もお着替えさせられて、しかもその度にちゃんと畳んでロッカーに収めるなんて、余計なお仕事だ・・・
うちのY子が小学校に行ってた頃は体操着のまま帰ってくることもあったから、あの頃はまだのんびり小学時代だった。
まあ「ゆとり世代」とか言われて、なんか、屈折もあるようですが・・・
「ゆとり」の反動で、どんどん学校の余裕がなくなっている。
「けじめが必要です」「規則は公平に守らないと」
こういう言葉で子どもたちはますます萎縮しているというか、のびのびと子ども時代を過ごせていないわけで・・・