今朝の登校は雨の中
前の子の傘が当たる→「早く歩いてよ」→「前が遅いから私のせいじゃない」
白いカッパを着た村の駐在さんが学校橋のところに見えた。
「ねえ、水色の小さい車、知ってる?ほら、いつも学校の前の所らへんを通るでしょ。」
「◯◯の方から来る車? じゃああの人かなあ〜」
「いつも一時停止しないで、ほら、ぐ〜と曲がるでしょ。この間駐在さんに捕まったんだよ」
そんなこんなのたわいもない話をしながら学校橋で別れて、戻ってみると、速報が次々と入ってきました。
テレビをつけたら、言葉が見つかりません・・・
さっき、子どもたちと別れてきたばかりですから。
今朝の「うた日記」から
「しんと向かう真昼へつづく」
牛山ゆう子さんの短歌の下七七句の言葉です。
このようなことを思うのは不謹慎のそしりを受けますが、あえて思ったことを書きます。
加害者の心を誰も覗くことはできませんが、人というものは、ふっとどこかへ「しんと向かう」一人ぽっちの底暗さを持っていのではないか。
その底暗さは、「真昼へつづく」時が止まったような感じです。
「しんと向かう」この暗さに向き合わないでいられるように、誰かの愛を受けることはできないのでしょうか。