「政治とはおもいやり」
宮城谷正光さんの「楽毅」を読んでいるが、昨夜、こういう文章があった。
「政治とはおもいやりである、と極言してもよい。政治能力のなさとはおもいやりの欠如である。自分をおもいやる、とはいわぬものである。」
中国の歴史年表で言えば、春秋時代の後、戦国時代の群雄割拠の時代の優れた政治家は、100年の大計を見据えて、政治を行おうとしている。
その政治の根本は、突き詰めれば「民」の安寧である。
版図を広げ、周囲を従えることにのみ大望を抱いた君主は、いずれは歴史の評価を得ることもなく、その国そのものも縮小するか、滅びている。
2000年以上の時を経ても、真実は一つなのだなと思った次第・・・
「隠された年金報告?」とか、昨日の香港の様子。。。
子どもの育ちに政治は向き合っているのだろうか
話は逸れるけれど、本質は同じところにあるので書いておく。
昨日、うちに寄って話していったY女子、この村を離れることを考えていると言った。
「お金がやっていけないの」
彼女には4人の女の子がいて、上の2人は大学生、下は中学生。
「このままだと、下の子を大学に行かせてやれない。主人の収入は減る一方だし、先がないから、福岡へ行くつもりです」
子どもたちが中学生になり始めた頃から、俄然お金が要りようになる。
大学生を1人、高校生を1人(当然寮生活)、中学生ということになれば、本当に飛ぶ様に!!!お金が出て行く。
「政治家の人たちは、そういうことがわからないんじゃあないのかと思います。
保育園や小学生は、食べさせて、お下がりを着せて、育ちます。
子育て支援はどこか目の向け方が違っている様な気がします」
彼女の長女さんはT大を目指していたが、2次で落ちてH大に行った。
「塾に行かせていれば、多分受かっていたと思うんですが、そんな余裕がなくて、あの子には済まない気がして」
塾の一つも行かずにH大に受かるのだから、相当なものだけれど、娘さんはT大→国連と夢を持っていた。
またまた三女さんがお勉強がよくできて、先般も彼女の英語弁論はマララさんの国連スピーチを読んでのスピーチになっていた。
ちなみにこの村の中学生は現在19名、40人程度いたこともあったが、彼ら彼女らからは1年ごとに旧帝大に行く子が出る。
それ以外の子たちも国立大学に行く子がそれなりにいるから、パーセンテージは相当なものだ。
しかもほとんど小中高と、塾などとは縁がない。
それなのに全国学力調査でも、全国1位レベルと同等の年が多い。
「10円のお金も出したくない」と、かつてN女子も言った。
こういった地方の子どもの教育環境は、都会で高収入を得ている人たちにはわからないだろうし、あるいは、「それはあなたたちの選択でしょ」という気持ちがありはしないだろうか?
自助はもちろんではあるが、自助にも限りがある。無い袖は振れない。
こんな山の中から、仕送りをし続けて、地方の親は子を送り出している。
まあその結果として、高学歴を収めた子ほど帰っては来ないわけだ。
しかし、幼い頃に彼ら彼女らをはぐくみ育てた「田舎力!」に、間違いはない。
それで良しとするしかない。