かなりの努力を強いられる読み書きのしんどさ
識字障害と言うと、うんと重い?感じがするのだけれど、読み書き障害といえば、少し想像できるか。
しかし学習障害の一つの型にはめる言葉であることには変わりがない。
母国語を読むこと、書くことは、成長過程で当たり前のように学習するのが「普通」と思われているようだが、実は当たり前でない子どももいるということが、「識字障害」という言葉で言い表されるようになったのは、近々のことだ。
何か言葉を言い当てて括ってしまわないと落ち着かない大人の身勝手、というか、社会の雰囲気の窮屈さは、こういうところにもある→しわ寄せはみんな子どもが受け止めてくれている←受け止められるはずがない。
それならそれで、「障害」だと認めてもいい。
そうしてこの障害を持った子どもに、誠心誠意、尚且つおおらかに、その困難さに向き合うということは、本当に周囲の大人にできるのだろうか。
たくさんの子供たちとお付き合いのない人にはあまりわからないかもしれないが、私は幾人か、あるいは一定の割合で、そういう子供たちに出会ってきた。
最近私の家に下校帰りに寄ってお勉強をしていく◯ちゃんもその1人だ。
7月に小学校で一斉参加している漢字検定試験がある。
去年も受けたけれど受からなくって、今年もう一度同じ級を受けるのだと知って、うちに寄って漢字のお勉強をしていくのは、私の方から言い出した。
友達と同じようになかなか漢字が覚えられないことを、本人がどのように感じているか、思っているのかは、私にはまだ分からないし、「サンタさん」を口にするような子どもたちは、大人にもわかりやすいように表現しない・・・
例えば、「昼」という漢字の「日」を「目」と書いてしまう。逆に「首」は「日」と書いてしまう。
一つ、これが一番いいかなと持ったのは、一画一画を声を出して「イチ、ニイ〜イ、サン、シ〜イ・・・」というふうに声かけをして付き合うやり方。
つまり、リズムを伝える?
この方法でするしかないのなら、マンツーマンで今後ともずっと続けるしかなくなってしまう。
中学3年になっても、schoolという単語が覚えられないまま高校に進学した◯ちゃんもいた。この年齢になると、イライラを周囲に表現できる。
確かに言えることは、この◯ちゃんたちは、漢字や英単語や解の公式は覚えられないけれど、余りある他の長所を持っているということだ。
つまり読むこと、書くことの短所が、違う彼らの長所を引き立たせるのだろうか。
それとも確かに、例えば聴覚や味覚が他より際立っているのだろうか。
いっぱいいっぱい想像してみるしかないのだけれど、昨今の社会では「創造する力」の方がもてはやされている。
けれども「想像する力」が弱くなった社会から生まれた「創造する力」って、信じることができる?
「創造する力」・・・胡散臭い・・・
誰が言い出して学校の目標なんかに「創造する力」なんて掲げ出したのだろう。。。
昨日はチョコアイスを食べながら、
「来年は8級を受けて、その次は7級を受けたらいいよね」と言った私に
「秋にも漢検はあるよ。秋に8級を受けたらいいよ」って言う◯ちゃん、初めて目標を口にした(学校で毎学期の初めに無理強いさせられる目標、あれは別物)。
私、すご〜っく嬉しい気持ちになった。ありがとサン!