この間から気になっていて、困ったもの・・・
昨日とうとうこんな本を出してパラパラとめくりましたが、案の定、解決には至らなかった。
古色蒼然!
うん十年も前に、神田の古書店で見つけて読みましたが、国文法の基礎を曲がりなりにも勉強して、本当にありがたい本だった。
「ケーキの切れない非行少年たち」という本を読んだことは、前に書いた。
その際、「ケーキを切れない〜」とうっかり(よくある)書いて、あとで見つけて編集、更新した。
この格助詞「の」が困ったものなのだ。
連体修飾語を作る「の」については特段問題はないのだが、「ケーキの切れない〜」のような「の」、つまり「が」に置き換えられる「の」は、中高生でも勉強するし、格助詞「の」働きの2番手?くらいな「の」だろうか。
従って、「ケーキの切れない非行少年たち」になんら問題はないのだけれど、わたしくらいの年齢でも「ケーキを切れない〜」と本のタイトルを間違えて書いてしまうのだから、なにゆえあえて「ケーキの切れない」としたのか、段々、日を追って、気になり出し方が甚だしくなってきている。
近頃の若い人は「が」に置き換えられる「の」は、あまり使わないようだ。
ましてや新書のタイトルにこの「の」を持ってくる?
なおかつ、これが気になり出したら「切れない」もついでに、違和感を助長することになっていることに思い当たった。
五段活用動詞「切る」と下一段活用動詞「切れる」があることはある。
書く、書ける、知る、知れる、いくらでも変換してくれる。
しかし、「書ける」はいいとして、「知れる」は違和感がある。「痴れる」にも変換してしまうのだよ。
「切れる」は「キレる」が脳内をかすめてしまう語なのだよ。
「ケーキを切ることができない非行少年たち」
こんな新書のタイトルにしたらインパクトが!
だからあえて「ケーキの切れない非行少年たち」って編集したに違いない、というのが結論だろうか?
この本をアマゾンで買ったのはうちのオッチャンだ。
昭和生まれに与える、ザワザワ感、不穏な気配、編集者はそこを狙ってタイトルを持ってくる?
う〜ん、日本語は面白いのか、はたまた、「言葉は生きている」から常に時代を映す鏡、こういうことでこの気がかりをおしまいにすることにするかなあ〜
確かに、昭和生まれのワタクシ、めっぽうめちゃくちゃな話し言葉、書き言葉を連ねて、どうした?みたいな昨今です・・・