ほんとはもっと怖い話
斎藤環さんが書いておられるHIKIKOMORIとはまた違った感じがするような、あるいは根っこは多分同じHIKIKOMORI心理は静かに社会を浸潤しているような気もしないでもない。
中学校の教室で、休み時間に随分と古びた装丁の武田泰淳を読んでいた女の子を見た。
面白い?って聞いたら、ハイ!
他にはどんなのを読むの? 太宰とかずっと読んでました。
卒業までに8巻まで行けるといいね、でも受験勉強もしなくちゃね。
う〜ん、と笑顔が眩しかったね。
「舟を編む」を静かに読んでいた中3男子、なんと男前な!!!
で、この子たち、他の子たちのように連れ立ってトイレに行くとかないし、教室移動も一人で行くね。
「空気を読む」ことにやんわりと背を向けているように見える
で、この子たち、もっと大人の社会に出るようにあたっては、このままで居られるだろうか。
まあ、ちょっと変わってるね、そんな感じで周囲も適当に包んでいてくれるなら、ありがたいが、activeな人がいて、あれこれ排除の気配を振りまくようなことでもあれば、彼ら彼女らには生きづらいことになってしまうことも無きにしも非ず・・・
小中学校の図書室だが、本読み励行の昨今、新刊本は潤沢に次々と並べられて、文学全集や司馬遼太郎の文庫本などは古びたまま、本棚に佇んでいる笑。
〜お金の使い方が」間違っているような気が、私はしている〜
40代50代の学校司書さんたちとも、あまり本の話はできないかな(向こうもそうかも)。
「うん、うん、って共感できるんだよね」
彼女らはそういう本を読むことが多いようだ。
ハウツー本?(「男の心理」とか書いてあるらしいけれど)を常にいくつか持ち歩いていて、「これ、読みます?」って貸してくれようと手を差し伸べてくれるが、私は読めませんね。
「Sさんて、文学的なんですね」なんぞと言われると、私はのけぞってしまいそうになって、深い溝を、越えられない溝を感じている。
何を言いたいのか、つまり、HIKIKOMORIをしたくなる要因は、こんなところにも転がっている、ということかな?
共感、このことは実に罪深い。
コミュニケーション、このことも実に罪深い。
お釈迦様じゃあるまいし、いろんな人とうまくやっていくって、実に罪深いのだよ。