bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

不思議の国・石見

さすがに未明に風の音で目が覚めた

ネットニュースのコメントには

「今まさに暴風雨の只中にいます。怖いです」(佐世保

「一晩中、寝るどころではありません。風の唸りに怯えています」(北九州)

 

暴風雨の円の端にかかっていた我が石見地方だが、どうやらことなきを得たようだ。

昨夜も防災無線は避難所の設置を伝えたが、積極的に勧めている様には聞こえなかった。

もし本当に洪水にもなりそうな雨量なら、ちょうど緩やかなカーブになっている川に沿って建つ避難所そのものが危ないことは目に見えている。

 

怖いのは山崩れだが、雨の降らない1週間を過ごしてきたし、台風の雨が降り出したにしても、1日やそこらの雨量では山は崩れない。

 

結局昨夜は一応の防災グッズの準備をして、アマゾンプライム阪本順治監督「団地」鑑賞と相成った次第である。

 

さて、話を戻せば、未明から風は山の木々を揺らし、時折突風が家を揺らし、風の音に怯えたが、お昼前まで続いて、午後からは青空が広がった。

今現在も強風は続いているが、この程度の風なら、もう何事も起きないだろう。

雨は降ったり降らなかったりだった。

夫は普通に出勤した。

 

この石見地方は昨今の異常な自然災害からは免れている。

私たちがこの地に来た当初の夏に、1時間雨量74ミリを経験したが、この時はあれよあれよという間に川の水位が上がった。もし100ミリも降る様なら、間違いなく川は氾濫して一帯は浸水する。それより何よりあちこちの裏山が崩れてしまう。

 

そういう災害から免れていることが、不思議なことにも感じられて、いつかはいつかは人ごとではないはずだと、そういう不安はどこかにある。

 

石見の国

「私はすぐに石見の虜となり、時間を見つけては石見の山野を巡り歩き、古代景観の痕跡を探して歩いた。石見は大規模開発がおこなわれなかったため、今も古代道路の痕跡がそこかしこに残り、空中写真を読図したのちに現地を訪れると、切通しなどの道路痕跡を確認することができた。」

これは「柿本人麻呂の石見」を著した神英雄さんのはしがきの中の言葉である。 

          f:id:bull87:20200902101156j:plain 浜田市立図書館で見つけた本、まだ読書中

 

また、田端修一郎著「出雲・石見」の中の言葉が紹介されている。

「石見の自然は、現在でも人麿時代とさう著しく変化してゐる筈はない。それどころか、あの長歌の中に感じられる原始的な単調さ、けだるさ、幽かな荒い気配、といふものは今日なお石見の風土を貫いてゐる最も特徴的なものである。それが石見の古さだ。」

 

神英雄さんは人麻呂が京へ上る(と思われる)道筋や、依羅娘子の里(と思われる)を丹念に調査して真偽を検証されようとしておられるが、やはり、このことも、人麻呂が下級の国司として石見の地にいた(と思われる)ことが前提になっている。

 

7世紀末、あるいは8世紀初頭、本当に人麿は石見のこの地で呼吸していたのであろうか。

朝廷から追放された宮廷歌人として、あるいは下級の国司として。。。

 

 *ちなみに、恥ずかしながら書き直し、更新せねばならぬことがあることに気づいていたのに放っておいた。「さばをよむ」この言葉を事もあろうに間違えて使った。気が付いた時には、結構なショックを受けた。