2、3ミリの糸みたいだったメダカが、3センチくらいには成長した
毎朝、カーテンを開けたらメダカの餌をあげて、しばらく観察するのが日課だが、そういう場面を起きてきた夫は
「じっと手を見る・・・」とつぶやきながら通り過ぎる。
で、Tくんが「タニシじゃない?」と言った小さな生き物は、おそらくカワシジミという生き物ではないかと思うようにまで、こちらも大きくなった。
淡水に生息するカワシジミ、用水路の水を汲んでくるから、その中にいたに違いない。
カワシジミで思い出した。
「あそこの田にはシジミがいっぱいおってなあ、よう、食べたもンだ」
あるおじさんがそう言っていた。
昔の田舎ではこんなシジミを食べたり、川でウナギも獲れたし、イワナも獲れたし、イノシシとか、どこの家でも買っていたニワトリ、ヤギ、そんなこんなでタンパク源を取っていたのだろう。
ごみみたいな赤ちゃんが、ペットボトルに汲む用水路の水から入り込んでくるのだから、おそらく今でもちゃんと生息しているに違いないのに、今では誰もカワシジミの話なんてしない。
まあ食べたにしても、口には合わないだろうが。
昔を今に返すヨシも・・・
ところでこんな山の中の村で生まれたわけでもない私なのだが、どこの田にカワシジミがいたなんて話を知っているのは、今ではよそ者ゆえの!私ぐらいになったかもしれない。
公民館のサークルで十数名のおじさまたちが「ふるさと伝承同好会」なるものをつくって月1で集まりをしておられたのは、私がこの村に来た頃の話だ。
おじさんたちがそれぞれ自分流に手書きでまとめてきたものを入力したり、古い写真をスキャンしたりして、次の回の時の検討資料にする、こういうお節介を私は買って出た。
村のあちこちの歴史を書き残しておくのが趣旨だが、その過程で村の生活についても書き留められていた。
田植えの牛の動き方を書いた図面、
お葬式の手順や、おときの配膳、墓掘り人さんに持たせる酒肴・・・
まず一番に枕経に来られるお坊さんは、玄関からではなく、縁から上がられるという慣いも、一事が万事、私には面白かった。
最終的にはすったもんだの末、2冊の冊子にまとめて刊行されたから、おじさまたちはいかほどかに満足されたように思う。
1年以内にはおそらくこの村を離れる。
よくよく考えたら、この田舎暮らしでは、あのおじさんたちの話がいちばんの財産だったような気がしないでもない。
ああいういろんな色の(?)おじさんは、もういない・・・
つまらないおじさんばかりが増殖中・・・
そういう私も、つまらないおばさんをやっている・・・