昨日からのクマ騒ぎ
昨日朝聞いたところでは、小学校の裏の家近くで、クマが一頭、檻にかかって駆除(?)されたそうだ。
注:過去に、ここから少し離れた柿の木の下にかけられた檻に入ったクマが、猟友会のUちゃんに射殺された直後を私は見ている。
ここ頻繁に家の周りに出ていたそうで、檻をかけたところあっさりと入ってしまった。
それでもって、昨日夕方には防災無線が、学校橋の前の国道の向かいにクマが出たとのお知らせがあった。
案の定、というか、さすがに今朝の集団登校集合場所には校長先生がいらしていた。
私に後を託して(託されても・・・というぐらいなもンですが)、もう一方向の徒歩登校組の方へ車をすっ飛ばして行かれた。
ここ一ヶ月の間に夫は運転中に2度ほどクマを見ている。
この村に来てずっとお目にかかったことのないクマさんに、2度までも遭遇するとは、やはり噂通り、山に食べ物がないようだ。
15人のクマ鈴をつけた集団ではあるし、朝の時間帯には車も頻繁に行き交っているから、クマに遭遇することなく、子どもたちは学校橋を渡り、私は帰宅した。
思い出したのが、函館近くの大沼公園で見たヒグマである。
念のために付け加えれば、現在の大沼公園は楽しみの多い立派な森林公園になっているらしい。
私が過去に見たのはコンクリートの石牢みたいなところに入れられたヒグマだった。
階段状に作られた狭い石牢に閉じ込めれれて見世物になっているヒグマは、哀れを誘う以外の何物でもなかった。。。
これ、「街道をゆく」のワイド版です。確かに朝日文庫で読むよりは文字が大きくて楽ではあるが、ちょっとね、司馬遼太郎さんに後ろめたいような、そんな気がしないでもない。
なんで朝日文庫の方をポチしなかったのか、魔が差したとしか言いようのない後悔の念あり。
あの濃厚な世界を持つ朝日文庫の「街道をゆく」、司馬遼太郎の、なおかつ美しい文体、ワイド版になってしまってはケチがつくような・・・
「オホーツク街道」は他の「街道をゆく」と少し雰囲気が異なっていて、やたらめったら考古学や人類学の方々のお名前が出るし、話があっちへ飛んだりこっちへ戻ったりするので読みにくいといえば読みにくいのではあるが、司馬遼太郎の世界に引き込まれてしまうのはいつも通りではある。
「台湾紀行」「叡山の諸道」「アイルランド紀行」、私的にはこのあたりがワクワクするような本読みになるかなあ。
何故、司馬遼太郎とクマの話がごちゃになっているかといえば、それはもちろん狩猟漁猟採集の過去の文化を語る「オホーツク街道」から、私の回路が勝手に繋がってしまったからである。
中国山地のツキノワグマだって、ずっと昔はよしんば撃たれたにしても、丁重に祈りとともに食されて、その魂は神になって山に戻っただろうに、学校裏で檻にかかったクマは、その後どこへ魂は戻されたのだろうか。
ああ、今日の青い青い空、クマの話をすればこそ、美しさゆえの悲しみをそこはかとなく感じますですねえ〜〜〜