「年末年始どうするの?」
仕事中に空き時間が出たのか、東京の娘からラインがきた。
「ここから動かない」
「ここってしまね」
「うん、コロナが怖い。あなたたちはどうするの?」
「それを考えてる」
「函館集合とかさ」
「いや、北海道もヤバイ。山にこもっていなさい」
わたしらはクマか!
娘夫婦は、特にSくんがスケジュールがどうなるかわからない仕事なので、いつも大晦日に思いつきで動いたりと、そういうお休みをしている。
確か昨年は大晦日の夕方に大阪へ立って、Sくんのおじさんにフグをご馳走になって、深夜からのUSJだったみたいだ。若いからねえ。
息子家族は3年に一度くらいお愛想で帰省するが、下の子の飛行機代がかかるようになってからは、「お母さんたちがこちらへ来てください」と言うようになった。
確かに年末の帰省ラッシュとは逆方向で、私たちが東京へ行って、権田坂の手前で箱根駅伝を見てからこちらへ帰る、この方がフライト料金も安いし、チケットも取りやすい。
なおかつ山ばかり見て暮らしている私らには、東京の空気は稀に、絶対に!必要なのだ。
彼ら家族は年末年始を動かずに、12月初めか1月末に休みを取って旅行する。
それぞれ向こうのご家族にも、大きいおじいちゃんやおばあちゃんがおられたり、お母さんに基礎疾患があったり、お正月を帰省して家族で過ごすのということは、親も子も考えなくなっている。
明らかに、口には出さないが(出した!)、つまり、地方の私たちは東京の人たちは、みんなキャリアなんじゃないかと・・・(すみません、気持ち的にそんな感じだと言うだけですから)・・・
家族同士、会うことを暗黙の了解で「ナシ」としている・・・
こういうのって、家族とは言いながら、なんだか、今までとは違う「家族」が生まれてきているような気がする。
「おらおらでひとりいぐも」
映画.comから拝借しました。田中裕子さんは変わらず素敵です。
先週、この映画を観た(昔からの田中裕子ファンとしては観ないわけにはいかない)。
映画の感想はさておいて、つまり、家族と言ったって、血の繋がりがあるから他の人とは違う感情のやり取りはあるにしても、家族の形態は、ほぼお手本は無くなったと考えた方がいい。
それぞれのあり方で、やっていく。
したがって、基本的には人は自分で自分の感情をコントロールできる強さを持っていることが、一番の課題になっていくのだろう。
寂しさオッケー、悲しさオッケー?
どうせ、生老病死を背負って生まれてきたのだから、元気を持って受け入れるしかない、このことを改めて思ったですね、わたしは。
レビューでは「シニア世代の映画だね」みたいなのもあるけれど、ハイ、そう思っていいのです。
「おばあちゃん、ごめんね、気がついてあげなくって」っていう言葉は、そのうちみんなが通る道になる。
今気がついてあげなくても、そのうち気がついて、人は自分を責めることになるのだけれど、これも仕方のないことと受け止めて、居直っていくしかない。
(これがなかなか居直れなくて、胸の奥深くで苛む、これは結構しんどいのだよ)。
で、田中裕子さん、確か沢田研二は「キネマの神様」の撮影だろうから、良い映画ができるといいですね!