bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

「良き時代」は人それぞれじゃないのか

「私は、日本は昭和四十年代のころが一番『良き時代』ではなかったかと考えている。」

山田風太郎は言う。

まあすぐさま「あてずっぽう」などという言葉を持ちだしているから、なんとなくそんな気分になることもある、という程度くらいにはぐらかしている。

 

白絣を着た国語の先生が、夏の日差しを浴びながら窓に寄りかかって、こんなふうに言う。

「二年生にねえ、一人、川端狂いがいましてねえ〜」

 

定期テストの前に、数学の先生が授業が終わって、問題集を持ってこいと私を手招きする。

いくつかの問題に印をつけて

「この中から3問出すから、誰かにノートを見せてもらってやっておけ」

膝の上に本を広げて読みふけっている私を、先生はいつも見逃していた。

 

三島由紀夫の市ヶ谷のことは、秋晴れの美しい日であった。

学校を怠けてお昼前に帰った私に、珍しく玄関まで出てきた母が

「○○子、三島由紀夫が・・・」と、告げた。

屋根に干された布団に寝転がって、私は泣いた。

人間って、悲しい、というか、一人ぽっちで遠くに行ってしまうんだ、って、そんなことを初めて思った。

今考えたら、人は死を憧憬することがあるという、怖さだったのかもしれない。

 

大人は本当に一生懸命働いていた。

その分、子どもたちが何を考え、何をしているか、ほおっていたみたいだ。

けれども要所要所では必ず意思の疎通を図ってきたし、子どもたちの変わりようは、ちゃんと見ていた。

私は本当に自由だったと思う。

そうしてそんなふうにさせてくれた親、特に父親の眼差しを、

山田風太郎の言葉を聞いて、今懐かしく思い出すのだ。

 

この間の映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」を見たら、あのころ、どんなふうに子ども達が自由に生きていたかがよくわかる。

昭和四十年代は、子どもたちにとっても「良き時代」だった。

       f:id:bull87:20200321092550j:plain

 

「兆候」と「徴候」

調べて納得しました。今日のいいことにしておきます。

国語力アップ.Comで丁寧に教えてもらえます。便利なことになっている。

だのに、昭和40年代のほうが、本当に良かったの?って聞かれても、ねえ・・・