巣ごもりを持て余しておられる方は、読んでごらんになるといいと思う。
始めの、さあ、5分の1くらいかな? 私は、この本を何故「読ませられなければならないのか」と自問した。
はっきり言って、残念だった。
何より藤原定家の象が、あまりにも無惨だった。
2、3日、放っておいて、そうしてまた我慢して!半分までは読んだ。
昨夜、投げ出すわけにもいかず、それに、作家さん、周防 柳さんに悪い気もしたから、またまた読み始めた。
そうして一気に最後まで読んだ。
おかげで寝不足状態の今日。。。
まずは感服した。。。
よくぞここまで和歌の数々を並べて、それらの歌歌に物語を押し込めなさった、その労力と、物書きさんならではの想像力に敬意を表したい。
昨夜読んでいる限りでは、始めの不満はどこかへ置き去りにすることができた。
物語に引き込まれたからである。
元来、藤原定家という人には、特別な、個人的な、好き勝手な象を持っていたわけでもない。
「紅旗征戎我がことにあらず」
これが、私にとっては、藤原定家の象である。
遠い昔、学生さんだった頃、図書館にこもって「新古今和歌集」を私は読んだ。
その時は、摂政太政大臣藤原良経に惹かれたし、家隆には、今思えば、どことなく孤高の、なんだか他の歌とは違った、そう、一陣の風に吹かれたような、そんな印象を持った。
小倉百人一首の最後の3首
来ぬ人をまつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ (権中納言定家)
風そよぐ楢の小川の夕暮れは 禊ぞ夏のしるしなりける (従二位家隆)
人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は (後鳥羽院)
この歌を三つ並べて、作り出した?物語だ、と、私は思って良いのかな。
したがって、定家の象が無惨であっても、源実朝があやふやであっても、よしとすることにした。
周防柳さんの腕力?に敬意を表したい。
やはり、作家という人種は😞、想像力とか構成力とか、半端ない。。。とにかく感服。。。