「お医者さんて、首かしげるようなときには、不思議と、ツムラの漢方薬を出しなるけんね。」 (松江市に住む妹は出雲弁で話す)
夫の様子を聞いてきた妹は、こう言った。
笑った!
もう10年若ければ、夫はサッサと?回復したかもしれない。
確かに、1週間も38以上の発熱、次の1週間は7度台、やっとこさ、3週間目になって、36度台後半までに下がった。
血液検査の値も良くなっているというわけで、今週はもう抗生物質は出されなかった。
しかしながら、食事はなんとか7、8分目くらいは食べているけれど、微熱が続くから体の頑張りがきかないらしく、ほぼ寝たり起きたり状態だ。
(しかしながら、こちらも不思議と、金・土曜日の夜には日刊ゲンダイの競馬欄をダウンロードする力はあるらしい)
「死んだかもしれない病気でしたよ」お医者さんはこう言われたそうだ。
で、ここからは笑い話・・・
「僕らの田舎暮らしは、寄生虫で始まって、ダニ感染症で終わるのかあ〜」
笑った!
20数年前に東京から中国山地のど真ん中にやってきて、そうして来春には函館移住することになる「僕たちの田舎暮らし」。
当時、小1でこの村の小学校に通うことになった娘が検便検査(今はもうしないらしい)でひっかかった。
そうして家族全員が薬を飲む羽目になった。中3の兄は言った。
「お前のせいで、こんな大きな薬を8個も飲まなくちゃいけないいんだぜ」
引っ越してきた夏、ご近所からなにくれとなく自家栽培の野菜が我が家の玄関に届くという、「大歓迎」を受けた。
給食のスープに「青虫が浮かんでた」と、Y子の発言もあった。
つまり、「僕たちの田舎暮らし」は、この寄生虫騒ぎに始まった。
そうしてこの村での最後の夏に、夫は日本紅斑熱という感染症のお土産をもらったのである。
で、今日は、集落の道路沿いや桜並木の下草刈りの日だった。
草刈りに出る体力は、今の夫にはない。
「ここに来て、一度も休んだことはなかったのに」と、夫は言った。
「いつか、一人で道路沿いでも刈っとくかな〜」
最後の最後に、田舎暮らしの象徴ともいえる「集落の共同草刈り」をパスする事態になったことは、案外夫の心を傷つけているのかもしれない。
草刈りが好きなわけではない。
田舎暮らしの象徴、これをきちんと収められなかったということは、なんだか「僕たちの田舎暮らし」に、ちょっとしたシミみたいな、つまり、ケチがついたみたいな・・・
うん、わかるよ、その気持ち。
で、夫の看病をしながら、私が作っていたのは、函館の家のカフェカーテンとか、ビーズ小物だった。
台所のカフェカーテンの残り生地で作った小さなポーチ?
「ラジオ聴きながら、ミシンかけとかしてるよ」
Y子のライン
「そんなシケたことしてないで、ゴッドファーザーでも見たら。」
(ゴッドファーザーなら、何度見ても飽きずに楽しむという私の習癖を娘は把握している)
笑った!
そうか、ミシンかけとか、シケたことなンかあ・・・