「東大教師が新入生に勧める」、その意味は?
車を持って引越しなので、結構面倒な移動になったし、余計な疲労をプラスしたかもしれない。
出発の前々日と前日は、山を降りて街のホテル泊まりだった。
福井県の敦賀港から苫小牧港まで、約20時間のフェリーなので、前日は二人で本屋に行って本を買い求め、敦賀までの途中で一泊する城崎温泉の観光案内などの立ち読みをした。
なんと、私はあろうことか、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を買ったのである。
多分学生さんの頃、ドストエフスキーはいくつか読んだということは記憶している。
多読の頃だったから、「読んだ」というだけだったような。
ところがだ、フェリーの中で読み始めるつもりが、引越しの疲れでひたすら眠って、1ページも開かなかった。
で、この間から、お布団の中で、ほんとにほんとに!少しずつ読み始めた。
ああ、こういうことだったのかと、思った。
長く生きてきたからか、その分だけ人物描写とか、会話の一つ一つが、ものすご〜く、意味を持っているように感じてしまう。
ひたすら事実、いや、真実?(そんなものはないという意味も含めて)に近づこうと、ありとあらゆる描写を、費やす。
どれだけ生きてきたかどうかに関係なく、お利口な人なら、ちゃんとドストエフスキーを読んじゃうという、こちらが正解なんだろうなあ。
もちろん、薪世話でへとへとに疲れた時なんぞは、3ページ読まないうちにバタン・・・
この上・中・下巻を読み終える日が来るのかどうかは、私自身にも自信はないが、やっぱりちゃんとドストエフスキーを読む日が来たことに感謝する。