北海道は、広い
札幌の義母を訪ねて、函館から車で出た。
車が少ない国道では、私も久々に、しかも余裕で!運転した。
高速を走りたくない私が、意固地に渡島半島の国道を選んで走ったおかげで、間違えて山の中に入ってしまったのは余計だったね。
蘭越町にあるなんとか?ランド・・・ニセコの南西辺りか・・・美しい
札幌では義母に会った後、夫の友人ともウン十年ぶりに会った。
その後石狩湾を小樽へ回って、一泊した。
翌日、夫の兼ねてからの懸案だった積丹半島の泊村へ向かった。
泊村、ここは30代で亡くなった夫の友人の生まれ故郷だった。
泊村役場では親切に対応してくださったが、そのSさんのご実家はすでにSさんの奥様が代々のS家の墓仕舞いをされていて、実家も他の方のお住まいになっているとのことだった。
Sさんのお墓は岩内町の墓園にあるらしいというところまで教えてくださった。
入江になっているから、穏やかな海だ。その向こうの日本海は荒々しい
Sさんが通ったに違いない小学校を探した。
海沿いを走る国道の、浜とは反対側の丘にある小さな小学校は、おそらく建て替えられたものだろう。
小学校へ上がる坂から、泊村の浜を見下ろした。
海を湛えた心・・・
Sさんは、浜がすぐ近くに見えるところにあっただろう小学校に行ったのかもしれない。
学校の窓からは風や波の音、海の香り。。。
泊の小さな村で成長した少年は、一体どんな海を心の底に満たして成長していったのだろう。
Sさんと夫は学生時代の友人だが、Sさんには2度目の学校だったから、夫より年長だ。
友人仲間でも競馬に熱心だったのは夫とSさんだったらしい。
「逃げるだろう」Sさんはこう言ったそうだ。
Sさんが買うのは逃げ馬ばかりだったなあ、と夫から聞かされてきた。
学生時代の帰省には、まだ青函連絡船を使ったのかもしれない。
マッチする 束の間見えし 霧の海 身捨つるほどの 祖国はありや
泊村から岩内町役場へとって返し、また丁寧な対応を受け、夫はSさんのお墓まいりを済ませたのだった。
泊村から岩内町を走る国道229号線はほぼ海沿いを走るが、泊原子力発電所は国道からは見えないふう(?)になっていたですよね。
私の勘違いで、ちゃんと見るところからは見えるのかもしれないが。
陽が傾きかけた頃になって、岩内から先をどんどん走るが、とんでもなく長い!トンネルがいくつかある。
閉所恐怖症のような私には、あのトンネルは絶対に絶対に!走れない。
日本海の荒々しい崖を削って、あのようなトンネルをいくつも作ったのは、原発のためとしか思えない。
浜辺の古い泊のいくつかの町はそのままにあるに違いないが、その浜の人家を隠してしまうかのように走る国道やとてつもないトンネルの規模は、何事かを人に考えさせる。
泊原発再稼働を声だかに叫んだ参議院選の候補者が、全国で一番最後の最後に当選しましたね。