bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

「水底の歌」 梅原猛

長い旅だった・・・(大袈裟かもね笑)

読み始めてから、1ヶ月以上かかった。

他の本も同時に読みながらだったけれど、大切に、大切に読んだつもりだ。

そうして、いい旅だった、と、この重量たっぷり(とにかく重いに尽きる)の本を閉じた。

 

解説で中西進先生も書いておられる。

『水底の歌』は簡単な読み物ではない。このメンドウな考証、人麻呂の生没がどうか、官位がどうかといった議論は、御用とお急ぎの方には手間ひまがかかる。しかし、同時に「『水底の歌』の面白さは推理小説を読むようだ」という感想をきかせてくれる人が多いところをみると、そのメンドウさが堪らない魅力でもあるらしい。いずれにせよ、この点が中心だということは動かない。しかし、このメンドウさは、どうも着物らしい。氏の裸は「つんつん」にある、と私は考えた。これは大きな驚きであり、喜びであった。氏の『古典の発見』は、うるおいのある書物だと思っている。非常に柔軟でみずみずしい。それに通うものの、発見であった。

 

ここの「つんつん」については、解説の初めに書かれている話だ。

そうか、梅原猛は、讃岐の狭岑島で死者に遭った時の柿本人麻呂の挽歌に、こういうイメージを抱いたんだなあ、そのイメージの確かさというか、真実というか、それを追い求めて「水底の歌」で、これでもか、これでもかと、問い続ける。その旅に、惹かれてしまうんだなあ〜

 

NHKラジオの「古典講読 万葉集

第29回は「巻十三 長歌の世界」と副題がある。

3240、3241番の長歌反歌(この短歌は、或書云で穂積朝臣老が佐渡に配流されるときに作った歌とある)、この二首について、鉄野昌弘先生は、有間皇子の歌と、柿本人麻呂長歌との関連をお話になった。

「巻一三にはこうした机上で作られた作品が多いように思われるのです。そしてそれらは宴の席で歌われたのではないでしょうか。」

人麻呂が配流されたのだとして、元正天皇のサロンで、皆の記憶に新しい流罪ないし刑死を被った人の歌を連想させる歌が詠まれるということが、本当にあったのだろうか。

 

中西進先生は書いておられる。

〜有間も大津も刑死者である。右の三首は、ともに臨刑詩であった。どうして人麻呂だけが例外でありえようか。〜

 

もちろん、梅原猛と「意見が一致していない」点についても中西先生は述べられる。

このことについては中西進先生の本を読んでみるつもりだ。

 

いずれにしても、「古典講読」では柿本人麻呂の名がたびたび出てくるのだから、鉄野先生は何かを伝えようとしておられるような、いやいや、もっと勉強してごらんなさい、と言っておられるのかもしれませんね〜

 

でもって、途中で読んでいた本「古代史の新展開」(吉村武彦著)には、こんなことも書いてあった。

  稲岡耕二さんが牽引してきた和歌の和文表記の研究が進んでいます。

稲岡さんが指摘されたことについて、このように書かれていた。

 藤原京址出土の木簡宣命に見る大書体表記は、人麻呂の技術的達成の応用に外ならない」

   

 

う〜ん、柿本人麻呂とはなんぞや。

まあ、これだけは私にも分かる。

言葉の豊穣さ、現代人が亡くしたものだね(もちろん私も)、ここに圧倒される。そこんところが人麻呂の醍醐味なんじゃないのか。。。