昨夜のBSフジ プライムニュースは先﨑彰容先生のご出演
お風呂タイムを後にして、ついつい聴いてしまったね。
感想
「この年代の人たちはお勉強が忙しくて、いろんなこと、話してあげる人たちがいなかったんだなあ」
野田佳彦元首相の、衆院本会議での安倍元首相追悼演説には、いたく評価が高かったように話された。
また、野田さんと話したことや、聞いたことに、いたく心動かされた感じでお話になった。
けれども野田さんより一昔前の議員さんには、「ドブ板選挙」と言って、あんな話は掃いて捨てるほど、多分、ある。
挫折というより踏んだり蹴ったりの政治家人生、まあ「青雲の志」を抱いていたからこそ、昔の政治家は、転んでも転んでも起き上がって選挙をしていた、と、私は想像する。
政治家も昔語りしなくなった、というより、話すことない?
二世議員の多い今時の国会で、「二世議員さんにはそれなりにプレッシャーがあって・・・」と、おっしゃってもいたが、
二世議員さんのプレッシャーって、議員の要件?ではなかろうと思うのだけれど。
昔々の議員さんには、地元事務所の電話代も払えなくって、あろうことか地元秘書の奥さんがたいして高価でもない自分の着物を持って、質屋の前を行きつ戻りつした、なんて、話、ないでしょうよ。
まあ、貧しい戦後の日本の話といえばそうなのだし、貧乏を知っているのが政治家の要件でもないだろう。
つまり私が昨夜感じたのは、「昔々の話を聞かないで育った人たちの時代」になったんだということ、かな?
地方の公民館で国政報告に行ったら、聞きに来た人は一人だった、なんて、こういう話を、若い学者さんに昔語りする野田元首相もなんだかなあ〜という感じだが、そういう話に心動かされる若い学者さんには、ちょっとびっくりした。
「大人の責任」という言葉もあるが、戦後の日本には、話せないような人生を生きた人がいて、話せなかったんだと、なんとなくそんな想像もある。
話さなかったそういう「大人の責任」について、次の世代の人は想像するしかない。
そういう想像力が衰えたというか、「昔を今に・・・」なすよしもない時代になったということに、昨夜のテーマの本質を逸れた感想を持ってしまった。
私の義父は、サハリンからの引き上げ者である。
私は夫に何度か言ったことがある。
どうしてもっと話を聞いておかなかったの?
話さなかったということに責任はない。
話を聞こうとしなかったことに責任がある。
ふと私の頭をよぎる昔語りがある。
「こんな幼子ない(いたいけない)赤子を見ると、わしは心が痛むのよ。」
父の友人だったおじさんが、私の子供を見た時に言った言葉なんだが、最近になって私はその言葉を思い出す。
ああ、おじさんは、生まれたばかりの赤ちゃんが長じるにあたって待ち受ける悲喜交々を想像して「いたいけない」と憐んだんだと。
おじさんの人生の悲喜交々を私は聞いたわけではないが、想像することはできる。
でもって、もちろん、野田さんとのお話の全部を言うわけにはいかないのだから、単純に反応した私をお許しください。。。ごめんなさい。。。
それと、政治家の言葉についてのお話、ここのところはちゃんと伝わっていますから。