一神教って、やはり理解しがたい
塩野七生「十字軍物語」は文庫全四巻あって、2018年秋、その文庫版前書きの塩野さんの言葉はとても興味深い。
「十字軍」は高校の教科書にも載っている。
私だけではないと思うが、受験で世界史をとらなかった人は、「十字軍」とはそれっきり笑じゃないかと思うけど。。。
十三世紀当時にはイスラムとキリスト教の間で解決できたいわゆる「パレスティーナ問題」が、なぜか七百年が過ぎた現代のイスラムとユダヤの間では解決できないのか。
前書きで、塩野さんがこう言った2018年から数年経って、今なお解決の兆しさえなく、
おばさんは、単純に、「どうして仲良くできないの?」と思うばかり・・

「海の都の物語」を終わったら、私は塩野さんの本とはそれでお別れと思っていたのだが、やはり手を出してしまいましたね「十字軍物語」に。
塩野さんの本は、彼女も言うとおり「現場に読者を連れて行」ってくれるから、おばさんの知りたい気分笑を、「まず感性から入って理性につなげていく」ことになるのであって、この魅力には抗いがたい。
ただ「神がそれを望んでおられる」という言葉の魔力?信仰心、というのはなかなか理解しがたい。
塩野さんはその理解しがたい信仰心そのものというより、その信仰心を生まれながらに身にまとった?人たちの生きた姿を描くことで、あとは読書にお任せ?って言ってるみたいだな。
文庫版 1 「神がそれを望んでおられる」
第1回十字軍は年表的には1096〜1099年、キリスト教の聖都イェルサレムをイスラムの支配から解放したことになっている。

この一巻は、ローマ法王ウルバン二世の「聖地奪還」のアピールから書き起こして、十字軍遠征、イェルサレムの奪還、イェルサレム周辺地域の征服、
その後これらの十字軍連邦国家を守った第一世代(塩野さんの言葉)が歴史から退場するまでが、書かれている。
イェルサレム解放までは年表通り3年かかっているが、「聖地奪還」で済まされるはずはなく、そのあとが問題だったのだ。
ウルバン二世は、イェルサレムが十字軍の手で陥落した二週間後にローマで死んでいて、おそらく知らずに亡くなっていたはずだと言う。
そうしてこの後第2十字軍から第8十字軍への歴史となる。
ヨーロッパ側がイェルサレムを維持したのは100年余りで、その後20世紀までイスラムの支配下に置かれるのだ。
(近現代の歴史は、私などの理解に及びませぬ)
第1次十字軍の頃は、日本では鎌倉幕府が成立する前になるわけで、同時代のヨーロッパの動きや、小アジア、中近東の東からエジプトまでの様子が伝わってくる。
イスラム教のシーア派やスンニ派、グルド人、今現代でもよく見聞きする言葉だが、この時代にはどんな風だったのかも朧げながらではあるが、ふ〜んと頷きたくなるわけで・・・
さて、第2巻に入れば、お楽しみの騎士団の登場です。
ここはまだ読み中で、「聖ヨハネ騎士団」とかの文字を見たら、「ロードス島攻防記」とかをもう一度読みたくなってしまったです。。









