bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

比喩表現は天与の才か

桜のあとは緑が美しい季節になります。 

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      休耕地はどんどん牛の牧草地になっている。

こういう牧草地をどう表現したらいいのだろう。

「草は青々と」という候孝賢監督の若き日の映画のタイトルにこんなのがあったような。。。

(正確には「川の流れに草は青々」でした)

ニュースで花蓮県と聞いた時、胸がキュンとした。

大変な事故だったから不謹慎には違いないけれど、「台湾の花蓮県」という響きには心が反応してしまう。

 

司馬遼太郎の「街道をゆく」の中では、私は「台湾紀行」が一番好きかもしれない。ああ、「愛蘭土紀行」、どちらが一番か、悩むところだ。

このことはつまり、台湾とかアイルランドとか、その歴史が心を惹くからかもしれない。

外省人本省人客家アイリッシュ、こういった言葉に心が反応する。

自分とは遠い出来事だから、余計に心が憧れに近い反応を惹き起こすからだとは思う。

 

私の母校は、小泉八雲が英語教師を勤めた旧制松江中学だ。彼もアイリッシュだった。

話はどんでもない方向ではあるが、ビートルズのメンバーの何人かはアイリッシュの血を引いているのではないか、間違っていたら、すみません。

クリントイーストウッドアイリッシュの血を引いている。

彼が監督した映画はみんな好きだ。

 

お話がそれてしまった。

私は司馬遼太郎の書くもので、なんだってあんなに引き込まれてしまうのかと思うに、やはりその文体と比喩表現にあるような気がする。もちろん、書かれている物語や内容は当然として。

昨夜読んだ「胡蝶の夢」(5)には、こんな比喩表現があった。

「数日して真野湾の波が青玉を溶かしたように青くなり、陽の光が空いっぱいにあふれた。日本海から冬の名残りがの陰鬱さがぬぐったように消えたのである。」

 

また、関寛斎が最期を藩医として看取った蜂須賀斉裕をこう表現している。

「それやこれやで最晩年は精神も体も豆腐のように無力な人物になった。」

「それやこれや」は幕末の騒動でこの藩主の責任感の強さが精神も体も蝕んだことを言っている。

関寛斎はひどくこの藩主の苦悩を気の毒に思ったのである。

 

つまり、私は牧草地の幼い青い草草が風に揺れる美しい様子を表現できないのである。

このことを言いたいがために夕食支度を、ちょっと待ったにしてこうして書いている。

 

ありがたい!

今、角寿司が届いた。こうなると、筍をうんと上手に煮なければ。。。

こういうふうに、道明寺が届いたり、角寿司が届いたり、そのうち柏餅が届いたり、もちろんみんな手作り!筍は昨日いただきました。

山の中の田舎暮らし、ですね!!!

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       角寿司の中の具が各家庭の味。お酢の具合もみんな違う。

 

 

 

 

一反風呂敷って、どんな大きさ?

松本良順さんとか、西周さんとか、出てきますか?

NHK大河ドラマ「青天を衝け」は、今日はもう安政の大獄だそうじゃないですか。

で、徳川慶喜を演じる草彅剛くんですが、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読んでいると、彼ははまり役だったんじゃないかなあと思っています(といっても、ドラマはここ2回しか見ていませんが)。

胡蝶の夢」(4)で、大政奉還のことを、司馬遼太郎は良順にこんなふうに表現させています。

 「ーそれほどなら。

 と、政権を一反風呂敷につつんで御所の塀の中へほうりこんだ、ということは考えられまいか。」

     (司馬遼太郎のこういう比喩表現にはいつも唸ってしまう。)

胡蝶の夢」で描かれる徳川慶喜は、草彅剛くんを思い浮かべてもちっとも違和感がないのです。まあ他の人が書いた慶喜を記憶しているわけではないので、この感想はあくまで個人の感想に過ぎません。

 

で、「胡蝶の夢」もいよいよ最後の(5)に入っていますが、そこで伊之助がこう思ったと司馬遼太郎は書いています。

 伊之助は世の中でおよそ勇ましいという言葉ほど嫌いなものはない。なんのために人は勇ましくしたがるのか、勇ましくすれば世間がよくなるのか、ひとびとが楽しくなるのか〜(略)〜わからない以上に、男どもが勇ましくしはじめると、伊之助はおそろしくなってしまう。」

 

「男どもが勇ましくしはじめると」、つまり、ろくなことにはならない、これは昨今のニュースとかを見ていても感じることですね。

男性陣は早々に隠居されて、後進に道を譲り、4割の女性リーダーを登用されたらよかろうと思います。これは、陳腐なつぶやき〜

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      近所のしだれ桜、一昨日がギリギリの満開。昨日の風で散ったことでしょう。

 

で、「胡蝶の夢」が遅々として進まないのは、他にも読むものがあるからです。

新年度の小学校の読み聞かせに、一年を通して、奥本大三郎先生のジュニア版「ファーブル昆虫記」にしようか、福岡伸一先生の「ドリトル先生航海記」にしようかと、今、迷っています。

今年度は小4の教室に行くのですが、「ファーブル昆虫記」は少し難しいような気もします。

自分ちの子どもに読みきかせするなら小1でも小2でもなんの問題もありません。

最初から読み進めたらいっそう楽しいに違いありません。

しかし教室での読み聞かせには、小さな挿絵を見せながら読むことはできませんから、挿絵を拡大コピーしてホワイトボードに貼り付けたり、「ファーブル昆虫記」用の写真集とかを並べておく必要があるような気もします。

時間の制約もありますし、あれやこれやの困難を考えて、でもだ、「ファーブル昆虫記」を知らずに大きくなるのはあまりに可哀想だ、奥本大三郎先生の訳本で、という気持ちが強いのであります。

まだ迷う時間があります。

 

 

 

 

 

 

今、ここにある文久2年 2

橋本左内の弟

一昨日には、橋本左内も医学の道に進んでいればあんなことにはならなかった、と書いたが、昨夜読んだ「胡蝶の夢」(四)の中ほどで、そんなこんなの思いがさらに複雑なことになってきた。

 

佐内には弟がいて、その橋本綱常は福井藩が長崎医学伝習所に留学させていたのである。

佐内は安政6年(1859)に斬死されていて、ポンペが長崎の医学伝習所で初めて解剖実習をした年だ。

 橋本家は福井藩藩医の家だった。

佐内は家を継ぐべく緒方洪庵の塾へ行きながら、医の道を離れたため、弟の綱常が家を継いだ。

文久2年(1862)、松本良順が幕命で長崎から江戸に戻った時に一緒に江戸に戻り、その医学所で起居した伝習生23名のうちに、この橋本綱常もいた。

この同じ年、津和野藩の藩医、池田多仲は幕府医師に登用されている。

文久3年、森鴎外の父、静泰が松本良順の門に入っている。

 

・ 橋本綱常は明治5年には松本良順の推薦でドイツ留学する。

明治18年には軍医総監(中将)、陸軍省医務局長と、トップにまで登りつめている。

・この同じ役職に後年、森鴎外が登った。

・初代の陸軍軍医総監には明治6年に松本良順が就いた。

・この頃に、西周軍人勅諭・軍人訓戒の起草に携わっている。

・池田多仲の養子の池田謙斎は、東京帝国大学医学部の初代綜理である。

 

あ〜あ、入り乱れて(それでいながら狭い世界の出来事に過ぎず)、ため息というか、つまり、ブッとんだ感想にたどり着けば、

江戸時代の各藩にいた藩医という職業を複雑な思いであれこれ想像したくなる。

 

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        どうしても文久2年が心ざわめくことになる

 もう一つついでに、明治政府というのは、あれはもうある意味「生き残り」のえらく自意識の複雑怪奇な、またある意味「青年喪失した」人の集まりでできていた、と言うことはできないか。

森鴎外の遺言

「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」

この言葉には、存外そんな意味合いもあったと感じてもいいのではなかろうか。

 

それにしても津和野藩の藩医は。。。

他藩の藩医にも、それぞれの文久2年があったと思った方がいい。

 

 

今、ここにある文久2年?

関寛斎は何処へやら

T氏が

「ダメダメ、当分関寛斎は出てこないから」

と言ったが、確かにその通りで、いつの間にやら関寛斎をさておいて、私はあらぬ方へ行ってしまっている。

司馬遼太郎の「胡蝶の夢」(三)あたりから、これはもう年表を作って頭の中を整理しなければ落ち着かないことになった。

 

う〜ん、西周に林洞海の6男が養子に入って西家を継いだ・・・

う〜ん、森鴎外の父親は松本良順の門下生になっている・・・

西周がオランダ留学したその船に榎本武揚も一緒だった・・・

のちに森鴎外がドイツ留学した時に、引退していたポンペから「林研海に似ている、用心しなされ」と言われたとか、言われなかったとか・・・これは女性問題の方で・・・

林研海は林洞海の子で、松本良順からは姉の子、甥にあたる・・・

う〜ん、森鴎外の妻登志子は林洞海の孫にあたるではないか・・・

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   この表はまだ途中だし、明らかに完全ではないし、あくまでも私の覚書であるゆえ、モザイク

 

文久2年が目眩く

ポンペのオランダ帰国、幕命によるオランダ留学生の派遣、海軍伝習生7名(士分)、医学伝習生2名(松本良順の人選、林研海と伊東玄白)、法学、経済学等の伝習で2名(西周津田真道)、この年が文久2年で、生麦事件の年だ。

ちなみにポンペ、西周津田真道は共に文政12年の生まれ、翌年の文政13年に関寛斎吉田松陰が生まれている。 

 

胡蝶の夢」の物語はどこかへ行ったかのようで、司馬遼太郎をこんな風に読んだのは初めてだろう。

それでもって結果的に NHK大河ドラマ「晴天を衝け」を見る羽目になった。

つまり松本良順が、京都でひどいことになっていた一橋慶喜を診療しているわけで、ここのところを確かめないわけにはいかないだろう(慶喜にアヘンを処方したとあるが)。

はたまた、オランダ留学からの帰国後に西周は目付に就任し、慶喜の側近になっているから、これもドラマで確かめないわけにはいかないだろう。

で、昨夜、

おお、橋本左内小池徹平くんではないか!

しかし彼は文久2年を待たずにいなくなった。

医学を捨てずに長崎に行っていたら、あんなことにはならなかったはずだ。

緒方洪庵適塾から伝習生を長崎に送っているから、文久2年になればオランダ留学組になっていたかもしれないのに。。。

その上、松平春嶽福井藩からは他藩を圧倒する人数の学生を長崎に送っているのに。。。

文久2年に春嶽が幕政参与になるのに、どうして文久2年に橋本左内はいなかったのか。。。

 

やはりこの辺りは整理しなければいられないはずで、家系図を作った人はたくさんおいでになりました。

   f:id:bull87:20210329151629p:plain その一つ、拝借です🙏なさい

ありがたいことです。

普通にチョコを口に運んだ

藤井聡太くんです。

昨日はとうとう4時からずっとAbemaTVをつけっぱなしだった。

(う〜ん、アベマをつけっぱなしという言い方は変だな。おばさんにはどういう言い方をしたらいいのかわかりません。。。)

対戦を記録する人は「藤井先生」と呼ぶわけだが、中学生の頃からの藤井くんを見てきたおばさんは、今のところはやはり藤井聡太くんと呼びたいのです。

 

どなたかが、将棋を知らない奥さんに、昨夜の四一銀を

「タダでとれる飛車をとらないで、タダで銀をあげた、ということなんだよ」と説明してあげたら奥さん納得、と書いていらした。

あべまの解説棋士さんは、ただただ「神の手」一点張りの自分の感動披瀝解説で、奥さんに説明してあげた旦那様の言がシンプルだ。

 

しかしまあ、アベマの解説棋士さんのやり取りは、これはこれでとっても!面白い。

棋士さんは、どなたも言葉も綺麗だし、皆さん個性的だ。

どんなドラマを見るよりも、藤井聡太くんの将棋を指す姿を見ながら、解説棋士さんのやりとりを聞くほうが断然面白い。

 

今日の昼食は「中華そば」が売れてる?

自分ちの夕ご飯を食べながら、藤井くんの夕食の「中華そば」を見た夫曰く、

「うまそうだなあ」

「今度東京に行ったら、将棋会館近くに行って、この中華そばを食べよう」

そっちか!

そのうち長考に付き合いきれなくなった夫は、カメラ検索に行ってしまった(夫は今、どのカメラにいくべきが、延々長考、ほぼほぼ1ヶ月は過ぎた・・・)

 

「将棋を見る」おばさんはつらつら思うに、

藤井聡太くんの例のボソボソだが、彼は「話すこと」で自分を表現しようとしていないのじゃないか、ということだ。

「話すこと」で説明したり、相手に自分をわかってもらいたかったり、そういうことを、彼は必要としていないのだ。

将棋で彼は自分を表現しきっているから、他の表現への欲求を持っていないのじゃないのだろうか。

「あの手は?」とか、「いつの段階であの手を考えてましたか?」みたいな問いかけには、彼は答えようがない。

従って「あの、そうですね〜」と言葉を探して探して、結局、尋ねた人が「なるほど」と膝を叩く(古いね)ような答えは藤井くんからは期待できない。

 

唯一、終盤で口に運んだ不二家のチョコについて味を聞かれた時には、恥ずかしそうな笑顔がかえったから、見る人を満足させたかな?

すご〜く!何気に!無意識にチョコに手が動いた感が、ちょっと良かった。

                 f:id:bull87:20210324103842p:plain

     今日はこのチョコを買いたいところだが、何しろ山の中の村のAコープでは、このチョコはまだ売っていない笑

 つまりだね、人は誰でも自分を表現したいものに違いないが(そうじゃない人もいる?)、うまく話せなかったり、この私の書きなぐりにしても、やはり、上手に文が書けなかったり、そうやって生きていって、そのうちいなくなる、というわけだ。

これはこれで寂しいことではあるが、どうすることも叶わないのだから、まあ、分相応にボチボチやりまっしょ。。。

 

 

 

春なのに。。。

観光客はまばらで・・・ 

津和野の太皷谷稲成神社に行ってきた。

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        日本五大稲荷があるそうで、この太皷谷稲成神社はその1社

春めいた陽差しなのに、津和野の町は閑散としていて、島根、鳥取県の知事の憂慮もいかばかりかと頷ける。

土日は人出も多いだろうからと、あえて金曜日にしたので、土日ならもう少し観光の人もあったかもしれない

 

津和野の町は本当に小さい。

昔々なら、この町から出て行こうとすると、あちらもこちらも、向かいに立ち塞がるような山を強く感じたに違いない。

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この津和野藩のご城下で幼少期から青年期を過ごした西周がいる。

西周の旧居には今回初めて行ってきた。

川を挟んで向かいに森鴎外の生家がある。西の家も鴎外の家も津和野藩主の御典医で親戚同士だが、森鴎外西周には血縁関係はないそうだ。

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隣の萩市には吉田松陰の旧家があるが、似たような造りになっている。西周は蔵が勉強部屋だったとも書かれている。

西周榎本武揚らと一緒にオランダ留学している。

榎本武揚勝海舟長崎海軍伝習所で学んだ後、幕命でオランダに軍艦発注に行ったとあるから、その折に西周も行ったことになる。

1862(文久2)年のことで、森鴎外の生まれた年だ。

従って二人は津和野城下の道々で、一方は青年として、一方は幼い少年としてすれ違ったりはしていないだろう。

川を挟んで、お互いがその人影を見たということもないはずだ。

あるいは明治になって、その要職によってすれ違うことはあったろうが、彼らにこの津和野城下の情緒はどのような意味を持つのだろうかと、やはり考えてしまう。

 

駅前にある安野光雅記念館には、中学生の一団が見学に訪れていた。

卒業式はどこも終わっているから、在校生のお別れ遠足か、総合学習の見学なのかもしれない。

太皷谷稲成神社を降りて、町中を歩いていたら、自由行動の時間になったのか、みんなから離れてひっそりと男の子と女の子がベンチに腰掛けて話し込んでいた。

木漏れ日が美しかった。

10代前半の彼らには、津和野の町がどうのこうのとは思わないだろう。

けれどもどういう町で幼少期や青年期を過ごしたかは、必ずその人物の人格のなにがしかを、深い所で形成しているように思われてならない。

津和野の町は、小さいながらも大きな人を生んだのだと、特別な町のような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「月日は流れ、わたしは残る」3

i Tunes...Amazon Music ...Apple Music...泣く

昨夜、夫が「『オトナ』買っといてね」って言った。

i TunesでCreepy Nuts 「オトナ」のシングルを買ったのは買ったから、これはこれで一応済んだわけだが、やはり、釈然としない。

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ミラジーノ愛が半端ない社長(と言っても、奧さんともう一人のお兄ちゃんの車の工場)のところから買った時、あちこち(というよりいっぱい)手を入れて、カーオディオがなんだかわけわかんないのになっていて、夫はとうとうUSBに曲を入れて差し込むみたいなオジさん四苦八苦状態で、曲を流している。

で、また「オトナ」もそうやってUSBに入れて聞くんですかねえ。。。

「コタキ兄弟と四苦八苦」のオープニングみたいに、運転しながらつい踊りたくなったら、どうする?

 

 スマホひとつで多分、お気に入り曲も車で流せるはずだと、なんとなく私はそう思うのだが、オジさんはそうしていない。

つまり、オジさんも置いてけぼりになっている。。。

 

大体が、i Tunes...Amazon Music ...Apple Music...これは何がなんで、どうなっているのか、私はすでに研究?する気力はなくしている。

 

AmazonのAudibleっていうの、こちらで堤幸彦監督の「アレク氏2120」っていうのを聴いてみたいのだが、3ヶ月お試し無料というのも、なんだかなぁと、今、躊躇している。

       この声の映画、窪塚洋介くんも出ている

確か毎月1500円のはずで、ほっといたら、知らない間に引き落としされていることになる。

この時点で、おばさんはすでに置いてけぼり状態なのだ。

 

で、テレ東の「コタキ兄弟と四苦八苦」をプライムビデオで見ていたのだが、夫婦二人でハマってしまった。

やっぱ、テレ東👏

 

昨夜最終回を見たが、アノ終わり、最高に面白かった。

「コタキ兄弟」、よくよく考えたら、随所に至極真っ当な真実?が散りばめれれていると、おばさんは思うのだ。

 

「さっきの発言、センシティブじゃないよ」

お兄ちゃん、相当に落ち込んだね、アリアリ!

 

ファーストラブで褒めちぎりの芳根京子ちゃん、ここで出ていたのだね。

このオープニング曲の「オトナ」の歌詞を読んだけど、なるほどね〜と、こちらも真っ当な真実が散りばめられていた。

昨今のオトナ政治の人たちには、きっとわからないだろうなあ。

あれ?もしかして今のオトナ政治家も置いてけぼり?