同時代の人にも読まれることを前提にした日記だなんて
彰子が立后、
NHKのホームページに載っている写真 後姿の裳の生地紋まで分かる
一帝二后の目論見が断行され、
中宮定子が亡くなった、
この年が1000年(長保2年)で、
ちょうどその年に(多分)紫式部は子を出産、
なんと!ドラマでは道長の子と設定している!!
1000年(長保2年)という年は、このドラマが大きく展開していく年
紫式部が子を出産した翌年に夫の宣孝(佐々木蔵之介)が死去し、
その2、3年後くらいから「源氏物語」を書き始めて、彰子の女房として宮仕にも出仕し始めた。
従って、今週28日からの「光る君へ」は、この辺りの話になるのじゃないか。。。
「紫式部日記」は1008年(寛弘5年)、中宮彰子が道長の土御門邸(ものすご〜っく豪華)で一条天皇の皇子を出産するところから始まっている。
式部も土御門邸に起居しての日記だ。
興味深いのは私としてはこの辺りかな。
定子が残した子を彰子が引き取って育てるあたりからの彰子・見上愛の変化・・
彰子は24歳の時、一条天皇が亡くなるが、今のドラマでの様子とは違って、その後長生きしてゴッドマザーみたいにしっかりしたらしい。
従って、ドラマをどのように作っていくのかが楽しみにはなってきた。
で、私が読んだ「新訳紫式部日記」島内景二著の中でこんなところがあった。
物思ひ増さる秋の夜も、端に出て居て眺めば、いとど、「月や、古を愛でけむ」と見えたる有様を、催す様に侍るべし。
島内景二先生の訳ではこんな部分がある。
物思いが増える秋の夜には、部屋の庭近くまでにじり出て行って空を眺めながら物思いに耽ることがあります。
ドラマでは度々まひろさんが部屋の端に出て月を眺める場面がある。
「紫式部日記」のこんな部分をドラマのつなぎに使っているのだろうか。
NHK 大河ドラマ「光る君へ」のホームページに載っている写真
この場面は先々週の彰子入内の時なんだが、衣装に圧倒された!!
「紫式部日記」には、女房達の儀式の折などの衣装のことをいっぱい書いている。
センスがいいとか、さすがだとか、色合わせが現代的だとか、歳を取った女房の誰それさんの衣装が良くないとか口の悪さも存分だ。
まあ、その切った刀を自分にも向けている様だが、自分の嫌な部分(本当は自己愛と自信の裏返し)を昇華すべく物語を存分に書いたのだろうか。
とにかく、今後のドラマの展開はさておいて、一層華やかになるだろう衣装は大いに楽しみだ。