「四十にして起つ」
ガリア戦役1年目は紀元前58年で、カエサル42歳の年である。
39歳あたりから40歳にかけて、カエサルは近い将来この戦役の指揮権を自分が担う予感のようなものを持っていたのだろうか。
「四十にして起つ」と塩野七生さんに言わせたのは、自分の進む道を見据えた行動の一貫性がカエサルに見られたからだろう。
CAESAR彫られた文字と象の銀貨
紀元前61年の春から前60年はじめにかけて、カエサル(38歳から39歳)は「遠スペイン」(南部スペイン)に前法務官の資格で属州総督として赴いた。
ここでカエサルは税制改革をしているが、それは執政官になって彼が政策化した税の公正な徴収の一歩でもあった。
喜んだ住民からの献金が結構あったらしく、クラッススへの借金返済にいくらかは役だったかもしれないと、塩野さんは書いている。
もう一つ「遠スペイン」の総督として軍団を率いて「イベリア半島の大西洋岸の制覇行を実施している。」
属州総督任務が明けてローマに戻ったときに「凱旋式を稼ぐつもりだった。」
執政官になろうとする者は凱旋式の一つも挙げて箔をつけておきたい。
「三頭政治」カエサルとポンペイウスとクラッスス
カエサルにとって「三頭政治」の始まりは、「名よりも実を取った」、「栄誉よりも、権力を選んだ」結果であり、「一つのことを一つの目的でやる男ではない」。「私益」は「他益」ひいては「公益」と密接に結びつく形でやるのが彼の特色である」9巻p30と、塩野さんは書いている。
1)ローマに帰任したカエサルを待っていたのは、元老院派一色であった。凱旋式をやりたければ、執政官立候補の届出が出せない、執政官立候補の届出を出したければ、凱旋式を諦めざるを得ない、というローマの古くからの日程上のしきたりにはカエサルも手が出せなかった。
カエサルは凱旋式を諦め執政官立候補の届出をするが、元老院派の対抗馬に選挙で勝てる見込みがないという情勢だった。
2)一方、40代半ばになっていたポンペイウスはと言えば、20代から数々の輝かしい戦歴を誇り、圧倒的な民衆の人気を得ていたが、突出した個人を怖れた元老院は、ポンペイウスが東方戦役後に提出した要望に対してもあからさまな意地悪をしていた。
政治的な駆け引きに嫌気がさしたか、彼はローマを離れ別荘に引きこもった。
3)カエサルは執政官当選のために、ポンペイウス軍団での旧部下たちが持つ票を狙ってポンペイウスと手を組んだ。
自分が執政官になれば、「ポンペイウスの旧部下たちへの農地給付と、ポンペイウスが組織したオリエントの再編成案の承認を実現させる、という協約である。」(他益)
4)ポンペイウスとカエサルの2者連合では、明らかにポンペイウスの方が力が優っていたので「力関係が釣り合わない」。ポンペイウスをライバル視している経済界の代表のようなクラッススを加えた3者連合が成った。
5)三頭政治によるカエサルの私益→執政官当選と、元老院派の圧力に抗する与党の確保
他益→ポンペイウスとクラッススへの利益誘導
公益→旧態依然の元老院による共和政統治を切り崩し、新秩序を樹立する
6)この「三頭政治」の意味する三者連合は、誰の頭にも浮かばないシステムだったせいか、半年間も誰にも気づかれなかった。
満を持したかのような政治手腕の鮮やかさ
紀元前59年に執政官に就任してからのカエサルの行動は元老院に反撃の機会を与えない周到さで矢継ぎ早に成された。
1)「アクタ・ディウナル」制度
元老院での議事、討議、議決を日報の形でフォロ・ロマーノの壁面に張り出し公開する制度を実現させた→元老院が持つ特権の一角を突き崩した(公益)
2)ポンペイウスが2年前に提案したまま放置されていた東方諸国の再編成案を政策化した→ポンペイウスとクラッススへの利益誘導に見える法案だが、属州、ひいてはローマの経済活動の活発化になる(他益が公益)
3)「ユリウス国家公務員法」
・「ローマが統治する全域にわたって、そこで勤務するすべての公務者がどう振舞わなければならないかを、百十数項目にわたって定めた法」
・「〜〜低・中級の公務員の公共倫理の浄化を目的にしたというよりも、長期にわたって元老院議員が独占してきた、属州総督をはじめとする高級公務員の資金源を断つのが狙い」9巻p40→元老院の持つ権力の切り崩し、権力の失墜
・この法は、600年後のローマの法律を集大成した「ローマ法大全」にも収録されていて、「国家ローマが存続するかぎり効力をもちつづける法であった。」
4)「ユリウス農地法」
執政官就任後、3ヶ月目で提出している。
カエサルの中で相当に温められ煮詰められた「宿願であった」。
70年前、グラックス兄弟が成立させようとした「センプローニウス農地法」は、富裕層が土地を自由に買い占めることで起きる富の格差にメスを入れようとしたものだった。
グラックス兄弟の若さゆえか、その性急さは既得権益者である元老院のあからさまな妨害を受け彼らを無念の死に追いやっていた。
カエサルの農地法は、「『センプローニウス農地法』の補正案に近かった。」9巻p45
塩野さんは補正された部分を詳しく説明している。
「元老院を刺激しないように配慮した」農地法だったが、案の定、農地改革に手をつけられたくない元老院は執拗に反対した。ここに至って「カエサルは強行突破を決めたのである。これまで内密にされてきた『三頭政治』がローマの陽光の下に姿を現すときでもあった。」
執政官の権限で市民集会での決議に持ち込んだカエサルは、ポンペイウスやクラッススに賛成演説も求めた。当初元老院会議には提示していない補正案(土地取得に関するさらに厳格な基準)も市民集会で付け加えて、カエサルの考案どおりの農地法が成立したのだ。
*執政官就任半年にも満たない期間での数々の改革の手腕は、「鳴かず飛ばず」「女たらしで借金まみれ」のカエサルかと思うほどに鮮やかで、確信に満ちた姿だ。
あからさまになっていく元老院体制への挑戦状
いよいよガリア戦役にいきたいところではあるが、まだ付け加えておきたいいくつかが残っている。
1)クラッススへの利益誘導でもある属州税徴収請負い業者法の修正案を可決させている
2)ポンペイウスへの利益誘導は、東方世界の再編成案、農地法成立で彼の面目を立てたが、さらにエジプトで起きていた王位(クレオパトラの父)の揉め事をポンペイウスの旧幕僚が率いた軍団で解決させ、ポンペイウスはエジプトを自分の保護下に置くことになった。
3)ゲルマン民族の頭目アリオヴィストゥスに「ローマの友人であり同盟者」の肩書を与えた。
4)カエサルの娘ユリア(キンナの孫に当たる)をポンペイウスに嫁がせた。
そもそもポンペイウスが東方の戦役に出ていた数年前に、カエサルは彼の妻を寝とったという醜聞があって、ポンペイウスは妻を離婚し独身だった。
ユリア22歳とポンペイウス47歳というこの結婚はローマの人々の話題をさらったが、ポンペイウスとユリアは幸せな結婚生活を送ったという。
5)執政官当時独身だったカエサルは、次の年に執政官になるピソの娘と結婚した。ローマ政界での与党の確保に必要な政略結婚だった。
6)護民官ヴァティニウスを提案者にして「カエサルの属州統治権に関するヴァティニウス法」を提出させた。
この法を執政官任期が残り6ヶ月になった頃に成立させたカエサルの確信犯的行動にはちょっと舌を巻く。
そもそもになるが、執政官の任期は1年で、翌年は前執政官という肩書きで属州総督の任に就く(属州総督は2個軍団の指揮権を持つ)。さらに赴任する属州は執政官就任前に元老院によって決められている。「元老院体制が振るう特権の一つだったが、就任後に執政官の権力を使って勝手に選べないよう」9巻p60になっていた。
「〜カエサルの任地は、直訳すれば『森林と街道』であった。要するに、イタリア中の森林と街道担当というわけである。建設省と農林省的任務で、これを務めるには軍団は必要でない。『元老院派』がこの聞いたこともない任務を考え出したのは、たとえ執政官当選を阻止できなかったとしても、カエサルには軍事力を持たせたくないからであった。」p61
「ヴァティニウス法」はカエサルの任務地を、アルプスからこちら側のガリア属州(イタリア北部)と、イリリア属州(現スロバニア、クロアチア)に変更する、しかも任期は5年、任される軍団は3個軍団というものであった。
元老院は一丸となって反対するが、ここでも「三頭政治」の威力でポンペイウスとクラッススは賛成、さらに強行突破で市民集会にかけて、この法は可決された。
さらにこの1ヶ月後、南仏の属州総督の急死により、カエサルは任地に南仏属州も加える補正案を成立させ、4個軍団の総司令官の任を獲得したのだった。
スッラの予言
カエサル執政官の下、次々と元老院の権力は無力化されていくが、元老院も必死になって抵抗はしている。元老院派の言論派キケロや小カトーの名がたびたび出てくる。
かつてスッラ体制の時、処罰者名簿に載った18歳のカエサルは助命嘆願され処刑を免れた。この時スッラはこう言ったという。「きみたちにはわからないのかね、あの若者の中には百人ものマリウスがいることを」8巻p79
この予言は当たっていたのだ。
さあ、ガリアへ
カエサルは自分が留守の間にもローマ政界を遠隔操作できるようにいくつかのことをしてから出発するのだが、普通なら属州総督に赴任する人は連日の祝宴を張り、荘重な見送りを受ける。
「四十二歳を迎えようとしていたカエサルのローマ出発は、母とのつながりの強い彼にとっては当たり前の老母アウレリアへの数々の心遣いと、後時を託す人々への明確な指示に時間を費やした以外は、荘重でも大仰でもなく、市井のローマ人ならば気づきもしない簡素さで行われた。」p85
実はガリア問題は数年前から兆候はあって、カエサルが属州総督任務をガリア方面、しかも任期を5年と望んだのは、このことに自分が対処する決意があったからなのだろうか。
しかも紀元前58年からの属州総督がカエサルと決まっていたので、民族移動を計画していたガリア・ヘルヴェティ族は、ローマ属州内の移動の許可をカエサルに求める書簡を送りつけていたのだ。
カエサルが先を急いだのはもっともなことであった。

CAESALと彫られた銀貨の裏面と、「ローマ人の物語」9巻の帯
*ローマではカエサルの愛人として誰一人知らぬ者はいないほど有名だったのがブルータスの母だった。カエサルが執政官の時、ポンペイウスの暗殺計画が起こった。カエサルはこの一件を何事もなかったかのように処理するが、その加担者の中にブルータスの名もあったのに、暗殺計画をした者たちは処罰させられなかった。
「母の愛人のおかげをこうむる自分を知らされたブルータスが、どんな想いを持ったかは別である。ブルータスとは、この種の縁を愉快に受け取るには、真面目すぎる性格の持ち主であった」