bull87’s blog

言ってみれば、雑記帳・・

認識サバイブ

「裏切り者」は「寝返り上手」

10月31日 NHKラジオ「文芸選評」は、短歌、テーマは「帰る」でした。

聞き逃しで聴きました。

歌人の野口あや子さんの「認識サバイブ」のお話、最高でしたね。

司会の石井かおるさん、思わず(文芸選評の司会では珍しい)大笑いしてましたね。

 

投稿作品はこれです。

「偵察と 言ってそれきり パンケーキ党に 帰ってこない友人」

 

「パンケーキ党」っていう言葉選びが上手なんです。

この歌の後に、「ちょっと違うかもしれないけれど」と言って、野口さんはご自分の経験談を話されました。

ある人のことを「裏切り者」って思うことがあって、その言葉に支配されて怒りがたまる、そういう自分は嫌ですよね、そうだ、「言い換えで認識が変わる」「名付けを変える」、で、結局「寝返り上手」って言葉に行き着いたんですよ。。

それで許せたと言うか・・

そんなお話でした。

 

確かに、名付けを変えたら負のスパイラルから救われるかも・・

 

例えば、私、嫌われてる、疎ましく思われてる・・・

この感じを、どう、認識サバイブすればいいんだ・・

 

以来、台所に立っている時とか、お布団に入った時とか、ずっと「認識サバイブ」って言葉を反芻してしまうのです。

口に出しているかもしれません。

 

私のところから飛び立った・・渡り鳥?

一歩前進したんだ・・ハードル超えた?

私の価値観から逃れて自由になったんだ・・新たな人格形成?

 

笑ってしまいます。

どれも「寝返り上手」みたいにはいきません。。

でも、きっといつか、いい言い換えができるんじゃないかって、希望が湧きました。

だって、これは、私自身が前に向こうとしているってことですよね。。

ユリウス・カエサル(「ローマ人の物語 9巻)3

「四十にして起つ」

ガリア戦役1年目は紀元前58年で、カエサル42歳の年である。

39歳あたりから40歳にかけて、カエサルは近い将来この戦役の指揮権を自分が担う予感のようなものを持っていたのだろうか。

「四十にして起つ」と塩野七生さんに言わせたのは、自分の進む道を見据えた行動の一貫性がカエサルに見られたからだろう。

CAESAR彫られた文字と象の銀貨 

紀元前61年の春から前60年はじめにかけて、カエサル(38歳から39歳)は「遠スペイン」(南部スペイン)に前法務官の資格で属州総督として赴いた。

ここでカエサルは税制改革をしているが、それは執政官になって彼が政策化した税の公正な徴収の一歩でもあった。

喜んだ住民からの献金が結構あったらしく、クラッススへの借金返済にいくらかは役だったかもしれないと、塩野さんは書いている。

もう一つ「遠スペイン」の総督として軍団を率いて「イベリア半島の大西洋岸の制覇行を実施している。」

属州総督任務が明けてローマに戻ったときに「凱旋式を稼ぐつもりだった。」

執政官になろうとする者は凱旋式の一つも挙げて箔をつけておきたい。

 

「三頭政治」カエサルとポンペイウスとクラッスス

カエサルにとって「三頭政治」の始まりは、「名よりも実を取った」、「栄誉よりも、権力を選んだ」結果であり、「一つのことを一つの目的でやる男ではない」。「私益」は「他益」ひいては「公益」と密接に結びつく形でやるのが彼の特色である」9巻p30と、塩野さんは書いている。

1)ローマに帰任したカエサルを待っていたのは、元老院派一色であった。凱旋式をやりたければ、執政官立候補の届出が出せない、執政官立候補の届出を出したければ、凱旋式を諦めざるを得ない、というローマの古くからの日程上のしきたりにはカエサルも手が出せなかった。

カエサルは凱旋式を諦め執政官立候補の届出をするが、元老院派の対抗馬に選挙で勝てる見込みがないという情勢だった。

 

2)一方、40代半ばになっていたポンペイウスはと言えば、20代から数々の輝かしい戦歴を誇り、圧倒的な民衆の人気を得ていたが、突出した個人を怖れた元老院は、ポンペイウスが東方戦役後に提出した要望に対してもあからさまな意地悪をしていた。

政治的な駆け引きに嫌気がさしたか、彼はローマを離れ別荘に引きこもった。

 

3)カエサルは執政官当選のために、ポンペイウス軍団での旧部下たちが持つ票を狙ってポンペイウスと手を組んだ。

自分が執政官になれば、「ポンペイウスの旧部下たちへの農地給付と、ポンペイウスが組織したオリエントの再編成案の承認を実現させる、という協約である。」(他益)

 

4)ポンペイウスとカエサルの2者連合では、明らかにポンペイウスの方が力が優っていたので「力関係が釣り合わない」。ポンペイウスをライバル視している経済界の代表のようなクラッススを加えた3者連合が成った。

 

5)三頭政治によるカエサルの私益→執政官当選と、元老院派の圧力に抗する与党の確保

  他益→ポンペイウスとクラッススへの利益誘導

  公益→旧態依然の元老院による共和政統治を切り崩し、新秩序を樹立する

 

6)この「三頭政治」の意味する三者連合は、誰の頭にも浮かばないシステムだったせいか、半年間も誰にも気づかれなかった。

 

満を持したかのような政治手腕の鮮やかさ

 紀元前59年に執政官に就任してからのカエサルの行動は元老院に反撃の機会を与えない周到さで矢継ぎ早に成された。

1)「アクタ・ディウナル」制度

元老院での議事、討議、議決を日報の形でフォロ・ロマーノの壁面に張り出し公開する制度を実現させた→元老院が持つ特権の一角を突き崩した(公益)

2)ポンペイウスが2年前に提案したまま放置されていた東方諸国の再編成案を政策化した→ポンペイウスとクラッススへの利益誘導に見える法案だが、属州、ひいてはローマの経済活動の活発化になる(他益が公益)

3)「ユリウス国家公務員法」

・「ローマが統治する全域にわたって、そこで勤務するすべての公務者がどう振舞わなければならないかを、百十数項目にわたって定めた法」

・「〜〜低・中級の公務員の公共倫理の浄化を目的にしたというよりも、長期にわたって元老院議員が独占してきた、属州総督をはじめとする高級公務員の資金源を断つのが狙い」9巻p40→元老院の持つ権力の切り崩し、権力の失墜

・この法は、600年後のローマの法律を集大成した「ローマ法大全」にも収録されていて、「国家ローマが存続するかぎり効力をもちつづける法であった。」

 

4)「ユリウス農地法」

執政官就任後、3ヶ月目で提出している。

カエサルの中で相当に温められ煮詰められた「宿願であった」。

70年前、グラックス兄弟が成立させようとした「センプローニウス農地法」は、富裕層が土地を自由に買い占めることで起きる富の格差にメスを入れようとしたものだった。

グラックス兄弟の若さゆえか、その性急さは既得権益者である元老院のあからさまな妨害を受け彼らを無念の死に追いやっていた。

 

カエサルの農地法は、「『センプローニウス農地法』の補正案に近かった。」9巻p45

塩野さんは補正された部分を詳しく説明している。

「元老院を刺激しないように配慮した」農地法だったが、案の定、農地改革に手をつけられたくない元老院は執拗に反対した。ここに至って「カエサルは強行突破を決めたのである。これまで内密にされてきた『三頭政治』がローマの陽光の下に姿を現すときでもあった。」

執政官の権限で市民集会での決議に持ち込んだカエサルは、ポンペイウスやクラッススに賛成演説も求めた。当初元老院会議には提示していない補正案(土地取得に関するさらに厳格な基準)も市民集会で付け加えて、カエサルの考案どおりの農地法が成立したのだ。

 

*執政官就任半年にも満たない期間での数々の改革の手腕は、「鳴かず飛ばず」「女たらしで借金まみれ」のカエサルかと思うほどに鮮やかで、確信に満ちた姿だ。

 

あからさまになっていく元老院体制への挑戦状

いよいよガリア戦役にいきたいところではあるが、まだ付け加えておきたいいくつかが残っている。

1)クラッススへの利益誘導でもある属州税徴収請負い業者法の修正案を可決させている

2)ポンペイウスへの利益誘導は、東方世界の再編成案、農地法成立で彼の面目を立てたが、さらにエジプトで起きていた王位(クレオパトラの父)の揉め事をポンペイウスの旧幕僚が率いた軍団で解決させ、ポンペイウスはエジプトを自分の保護下に置くことになった。

3)ゲルマン民族の頭目アリオヴィストゥスに「ローマの友人であり同盟者」の肩書を与えた。

4)カエサルの娘ユリア(キンナの孫に当たる)をポンペイウスに嫁がせた。

そもそもポンペイウスが東方の戦役に出ていた数年前に、カエサルは彼の妻を寝とったという醜聞があって、ポンペイウスは妻を離婚し独身だった。

ユリア22歳とポンペイウス47歳というこの結婚はローマの人々の話題をさらったが、ポンペイウスとユリアは幸せな結婚生活を送ったという。

5)執政官当時独身だったカエサルは、次の年に執政官になるピソの娘と結婚した。ローマ政界での与党の確保に必要な政略結婚だった。

6)護民官ヴァティニウスを提案者にして「カエサルの属州統治権に関するヴァティニウス法」を提出させた。

この法を執政官任期が残り6ヶ月になった頃に成立させたカエサルの確信犯的行動にはちょっと舌を巻く。

そもそもになるが、執政官の任期は1年で、翌年は前執政官という肩書きで属州総督の任に就く(属州総督は2個軍団の指揮権を持つ)。さらに赴任する属州は執政官就任前に元老院によって決められている。「元老院体制が振るう特権の一つだったが、就任後に執政官の権力を使って勝手に選べないよう」9巻p60になっていた。

「〜カエサルの任地は、直訳すれば『森林と街道』であった。要するに、イタリア中の森林と街道担当というわけである。建設省と農林省的任務で、これを務めるには軍団は必要でない。『元老院派』がこの聞いたこともない任務を考え出したのは、たとえ執政官当選を阻止できなかったとしても、カエサルには軍事力を持たせたくないからであった。」p61

 

「ヴァティニウス法」はカエサルの任務地を、アルプスからこちら側のガリア属州(イタリア北部)と、イリリア属州(現スロバニア、クロアチア)に変更する、しかも任期は5年、任される軍団は3個軍団というものであった。

元老院は一丸となって反対するが、ここでも「三頭政治」の威力でポンペイウスとクラッススは賛成、さらに強行突破で市民集会にかけて、この法は可決された。

さらにこの1ヶ月後、南仏の属州総督の急死により、カエサルは任地に南仏属州も加える補正案を成立させ、4個軍団の総司令官の任を獲得したのだった。

 

スッラの予言

カエサル執政官の下、次々と元老院の権力は無力化されていくが、元老院も必死になって抵抗はしている。元老院派の言論派キケロや小カトーの名がたびたび出てくる。

かつてスッラ体制の時、処罰者名簿に載った18歳のカエサルは助命嘆願され処刑を免れた。この時スッラはこう言ったという。「きみたちにはわからないのかね、あの若者の中には百人ものマリウスがいることを」8巻p79

この予言は当たっていたのだ。

さあ、ガリアへ

カエサルは自分が留守の間にもローマ政界を遠隔操作できるようにいくつかのことをしてから出発するのだが、普通なら属州総督に赴任する人は連日の祝宴を張り、荘重な見送りを受ける。

「四十二歳を迎えようとしていたカエサルのローマ出発は、母とのつながりの強い彼にとっては当たり前の老母アウレリアへの数々の心遣いと、後時を託す人々への明確な指示に時間を費やした以外は、荘重でも大仰でもなく、市井のローマ人ならば気づきもしない簡素さで行われた。」p85

実はガリア問題は数年前から兆候はあって、カエサルが属州総督任務をガリア方面、しかも任期を5年と望んだのは、このことに自分が対処する決意があったからなのだろうか。

しかも紀元前58年からの属州総督がカエサルと決まっていたので、民族移動を計画していたガリア・ヘルヴェティ族は、ローマ属州内の移動の許可をカエサルに求める書簡を送りつけていたのだ。

カエサルが先を急いだのはもっともなことであった。

CAESALと彫られた銀貨の裏面と、「ローマ人の物語」9巻の帯

*ローマではカエサルの愛人として誰一人知らぬ者はいないほど有名だったのがブルータスの母だった。カエサルが執政官の時、ポンペイウスの暗殺計画が起こった。カエサルはこの一件を何事もなかったかのように処理するが、その加担者の中にブルータスの名もあったのに、暗殺計画をした者たちは処罰させられなかった。

「母の愛人のおかげをこうむる自分を知らされたブルータスが、どんな想いを持ったかは別である。ブルータスとは、この種の縁を愉快に受け取るには、真面目すぎる性格の持ち主であった」

ユリウス・カエサル(「ローマ人の物語」8.9.10)2

37歳にして起ちはじめる・・?

「〜早熟の天才タイプでなくても、男ならばせめて、三十歳になれば起ってくれないと困る。それなのにカエサルが『起つ』のは四十歳になってから〜〜〜

それも、『起った』とたんにローマ世界は彼を中心にしてまわりはじめるという珍しいタイプの男〜〜〜」

・紀元前69年 31歳 会計検査官選出(毎年20人) 「名誉あるキャリアのスタート」

・紀元前63年 37歳 最高神祇官就任

一本の糸

この間のカエサルは「表面的には何ら変わりがない」ように見えていても、「よく注意してたどれば、一本の糸がすっきりと通っているのがわかる。」8巻p127

32歳の時の伯母ユリアの葬式の葬列に、スッラによって国賊とされたマリウス(ユリアの夫)の像を立てた。

民衆派の英雄であったマリウスの像を人々の目に晒したカエサルの行為は危険極まりなかった。

しかしスッラ門下の俊英ポンペイウスの輝かしい戦歴で、全地中海世界の眼が39歳のポンペイウスに集中していたから、プレイボーイで借金まみれのカエサルのこの反逆的な行為は、元老院派には問題視されなかった。

カエサルは、彼の筋は通していたのである。

 

37歳で最高神祇官の席が空いた時、カエサルはようやっと表向きにも政治的な動きを見せる。

塩野さんは「これに狙いを定めたのである」と言っている。

最高神祇官というのはローマ社会では何の利権も伴わない名誉職のようなものだ。

一、宗教面での最高責任者であること。

二、執政官でさえ二人という複数構成がきまりのローマの公職にあっても、珍しくも同僚を持たない一人きりの公職であること。

三、それでいて、他の公職との兼任が可能であること。

四、任期の限られているローマの公職の中では例外的に、終身職であること。

五、これまたローマの官職では唯一、公邸を与えられていること。8巻p148

 

「功なり名をとげた」立候補の老人たちに比して37歳という若さで立候補した異例の選挙で、カエサルは選挙運動をしている。ここでもまた借金を重ねた。

また、このとき護民官であった友人のラビエヌスに「宗教祭事の責任者を元老院階級の独占から解放し、市民全体のものにもどす」という過去の法を再提出させ、可決された。

元老院もびっくりしたようなこの動きを、カエサルはちゃんと「一本の糸」に沿って動いていたのだった。

*ラビエヌスはそれからずっとがリア戦役にも重要なカエサルの幕臣として歩むのだが、最終的にはカエサルのもとを去り、元老院派に鞍替えする人物だ。

 

最高神祇官に就任して、フォロ・ロマーノの公邸に移ってからのカエサルは、次第に反元老院派の色を鮮明にしていく。

この間の事件に「カティリーナの陰謀」というのがある。

紀元前63年、執政官に立候補したカティリーナが選挙に敗れてクーデターを企むという騒動にカエサルも巻き込まれることになる。

この際カエサルを潰しておきたいと考える元老院派の急先鋒は32歳の「小カトー」(ハンニバル戦役の時のカトーのひ孫)で、何かと元老院議場でカエサルを追求していく。

またこのクーデターで暗殺名簿に乗った執政官キケロは、クーデター鎮圧のための「元老院最終勧告」の発動を強く元老院会議に求めて、弁護士業で名声を馳せた人物らしく雄弁を奮う。

このときの「カティリーナ弾劾」の弁は有名で、現代でもヨーロッパの高校生ならば一度は訳せさせられる、と塩野さんは書いていて、訳文も載っている。

 

*この一連の元老院会議のある日、遅刻してきた議員がいたという。遅刻の理由は息子が生まれたからだという。その息子こそ、後の初代ローマ皇帝アウグストゥスだ。

*「小カトー」は、ローマでは誰一人知らぬ者のないカエサルの愛人セルヴィーリアの義理の弟で、そしてこのセルヴィーリアはこの時期22歳になっていたブータスの母だ。ブルータスは小カトーの甥になる。

 

元老院最終勧告の発動により死刑に処せるべきか否かを議論する元老院会議で、翌紀元前62年の法務官に選出されていたカエサルは発言しているが、その全文を塩野さんは載せている。

「われわれ後世の者に遺されているカエサルの発言の中で、これが『処女作』になる。〜〜〜

カエサルは、一見無思慮に突っ走ったかに見える十八歳当時の絶対権力者スッラへの拒否回答からはじまって、その言行は終始、一貫していた男であった。」8巻p177

 

元老院最終勧告の違法性とその権力行使の方法を批判したカエサルだが、結局は議論に負けカティリーナ他5名の死刑は決定された。弁論に勝ったキケロと小カトーは人々の歓呼に囲まれたが、この日議場を出たカエサルは袋だたきにあい、しばらくは私邸にこもって過ごす羽目になっている。

「この十三年後にカエサルがルビコン川を超えたとき、『元老院派は』くやしがったものである。あのときに殺しておけばよかった、と。」8巻p190

 

「ローマ政界の日の当たる道」へ

紀元前61年の1年間を、前法務官の資格で「遠スペイン」の属州総督としてカエサルは務めた。属州総督は2個軍団以上の指揮権を認められた「絶対指揮権」を与えられる。

カエサル39歳だった。

 

*9.10巻はいよいよガリア戦役に入っていきます。というわけで私はかの有名なカエサルの「ガリア戦記」を並行して読むことにしました。

 

 

 

 

ユリウス・カエサル(「ローマ人の物語」8.9.10 )

鳴かず飛ばずの30代

8巻では、幼年期、少年期、青年前期のカエサルが書かれている。

ローマ王政期からの名門ユリウス一門ではあったが、共和政期にはカエサル家に勢威はなく、父親のキャリアは法務官までで亡くなったらしい。カエサルは慎ましい暮らしの中で育っている。母親アウレリアは、グラックス兄弟を育てたコルネリアと並んで「ローマの女の鑑」と讃えられる女性で、この母親に養育される。

「生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わなかった点」と、塩野七生さんは書いている。幼少期に母親の愛情を満身に浴びて育ったゆえに、「楽天的」で「ゆるぎない自信」「自信に裏打ちされたバランス感覚」「過去に捕らわれずに未来に目を向ける積極性」が身についたのだろう、とも書いている。(8巻p40)

紀元前100年の生まれのカエサルにとって、幼少期はスッラの全盛期だった。

しかし「民衆派」と「元老院派」の確執は凄まじかった。この辺りのアレコレで「カエサルも「とばっちり」を受けている。

・18歳の時スッラの処罰者名簿に乗るが助命され、代わりに「民衆派」の娘との離婚を命じられるたけれども従わなかった。その結果イタリア中を逃げ回ることになり、ギリシャ、小アジアまで逃亡する。

・19歳で、逃亡中の小アジアで軍団志願して軍事体験する。

・22歳、スッラの死亡によりローマに帰国する。

・23歳、弁護士開業で身を立てようとしたが、この活動が「元老院派」に危険視される。

・24歳、ロードス島へ留学という形で再び国外脱出、その途次海賊船に襲われ捕虜となるも、身代金を払って解放される。

・27歳、伯父の死で空席になった神祇官に任命され、ローマに帰国。この年、高級将校である大隊長(6人の百人隊長を部下に持つ)にもなり、支配階級の末席に連なることになる。

・30歳、会計検査官に当選したことで、ようやく「名誉あるキャリア」のスタートラインに立つ。

・31歳、前会計検査官の資格で、属州遠スペインに派遣され勤務。

 

大雑把にはこのような経歴で、のちに三頭政治と称されるポンペイウスやクラッススの活躍や名声に比べたら、「鳴かず飛ばずの」青年期だった。

とはいえ、これは十分な「雌伏の」時と言えなくもない。

またカエサルは、プレイボーイとして名を馳せ、派手な生活ぶりと莫大な借金で、ローマでは有名人だった。

 

多額の債務者は見殺しできない?

30歳頃までのカエサルの借金額も知られている。政界キャリアをはじめる前にすでに相当な額に積み上がっていた。のちに35歳で按察官になった時は、個人の出費でアッピア街道の補修工事や派手な剣闘士試合も主催し、もはや借金の額は天文学的な数字になっていたそうだ。

彼の最大の債権者は、ローマ一の金持ちであるマルクス・リキニウス・クラッススだった。

「借金が少額のうちは債権者が強者で債務者は弱者だが、額が増大するやこの関係は逆転する」

「不良債権として忘れ去るには、あまりりに多額すぎる」

「債務者が破滅しないように全力をあげて努める」

「属州総督としてスペインに発たねばならないカエサルが借金取りに押しかけられて発つこともできなくなっていたのを、返済保証をすることで発てるようにしたのは、他でもないクラッススである」

「この後も、意に反しはしても結局はカエサルの出世に手を貸すことになるのは、いつもクラッススなのであった」8巻p213

 

カエサルは自分の資産を増やすことはしていない、彼がが書いた「内乱記」にそのことがわかる箇所がある、と塩野さんは書いている。

「そこでカエサルは、大隊長や百人隊長たちから金を借り、それを兵士たち全員にボーナスとして与えた。これは一石二鳥の効果をもたらした。指揮官たちは自分の金が無に帰さないためにもよく働いたし、総司令官の気前の良さに感激した兵士たちは、全精神を投入して敢闘したからである。」

豪邸や別荘を購入することもなく、「自分の墓にさえ関心がなかった」らしく、彼の墓はない。

カエサルは「鳴かず飛ばず」の青年期の頃から、お金とはどういう使い方をするものなのかを知っていたのだ。

クラッススはカエサル暗殺の時より数年前に戦死している。不動産も持たないカエサルの借金をクラッスス家は回収できなかったろう。逆に、あくどく蓄財した金持ちクラッススは、お金の良い使い方をした?とも言えるだろう。

カエサルの実家はカピトリーノの丘の下の方の庶民の住まいが密集していた一帯「スブッラ」にあった。37歳で最高神祇官に選出されてやっとフォロ・ロマーノ内にある公邸に移った。

 

初・イラクの映画

「大統領のケーキ」  10/9 函館シネマアイリス

日に日に世界が悪くなる〜🎶 気のせいか〜 そうじゃない🎶

こういうときにはこんな映画を観たい、そう思わせました。

学校の上を米軍爆撃機が飛び交い、すぐ近くで爆発音が鳴り響く状況で、少年と少女はいつもの「まばたきっこ」遊びをして、周囲からふたりだけの世界に取り残されてこの時間をやり過ごします。

この後流れるラスト映像は、フセイン大統領が誕生日のケーキに囲まれているニュース映像?

 

1990年代、フセイン大統領は国中の学校に命じて、自分の誕生日にケーキを作るよう命じていたそうです。

子供時代にこの体験をしたハサン・ハーディ監督が、演技未経験者のキャストで撮影したという初の映画で、カンヌ映画祭で新人監督賞を受賞しました。

監督のインタビュー記事を読みましたが、フセイン大統領時代から今に至るまでのイラクでの映画の状況などを知りました。

この映画がカンヌで受賞した後、イランのジャファル・パナピ監督からメールをもらったそうです。

パナピ監督はイラクでやっとこのような映画が作られたことを、とてもうれしく思われたのではないでしょうか。

 

物語は、学校のくじ引きで「大統領のケーキ係」に選ばれてしまった少女が、お金も時間もない二日間で、ケーキを作るための食材探しをする姿が描かれています。

同じクラスの男の子は、まるで太平洋戦争後の東京の焼け跡の子供のように、盗みや嘘つきで少女の買い出しを手伝うことになります。

この二人は時々、向かい合って先にまばたきをした方が負けになる遊びをします。

9歳の少女は、イラク北部から流れてきた川がペルシャ湾へ流れ込む湿地帯(マシュ)で、昔ながらの葦で作られた小屋に祖母と暮らしています。

学校へ行く時もこの船を漕いで行きます。

イラクにこんな湿地帯が広がっていることも、初めて知りました。

実際にはとても悲惨な状況なのです。

けれども、少女の瞳、ヒジャブの下の祖母の顔、必ずいそうな親切な郵便配達のおじさん、

意地悪な先生、物売りのお爺さん・・

少女の一枚っきりのエンジのワンピース、埃まみれの傷んだ靴、彼女の唯一のペットの雄鶏・・

 

ホントにかなり悪い状況で人々がその日暮らしで命を繋いでいるのです。

けれども、申し訳ありませんが、私の心が洗われた映画でした。

 

健全な市民階級って・・

独り言なので・・・

 

先日も先崎彰容先生が「プラトンの時代と人は変わっていないのですよ」というふうにおしゃっていたが、「ローマ人の物語」読んでいると、ほぼほぼ現代のアレコレに思いが重なるわけで。。

9巻(新潮文庫版)はカエサルの壮年期の話になるが、その中で塩野七生さんはこのように書いている。

「政治家には、なるべくならば手をつけたくない政策がある。ローマでは、市民権に関する法と、農地改革に関する法がそれだった。」p43

 

拡大していくローマの覇権を阻止しようとしたハンニバルが敗れて言った言葉「内臓疾患」、ローマにおいては富の格差の拡大、市民階級の減少ということになろう。若きグッラクス兄弟は体制側にいたが故にその疾患の重要性に危機感を抱く。

30代に入ったばかりの行動力、怖れを知らない性急さは彼ら二人を、ほんの数ヶ月、ほんの数年の政治行動の足元をすくって葬り去ってしまう。

グッラクス兄弟の改革は「不平等を正すというより、公正を期す」ものだったと塩野さんは言っている。

 

富の格差による「健全な市民階級」の層の減少、これは成長一途のローマの話である、というふうには思えないわけで・・


新聞の一面見出しがこうなっているわけで、やっぱり思いは、歴史って「富の分配」をめぐるベクトルしかないのかしら、って・・

「不平等」と「公正」を、人はどこで判断すればいいのだろうか・・とか、

これこそが政治家のお仕事なんじゃあないのだろうか・・とか、

 

自分が健全な市民階級であるのかどうかの判断だって、それは不平等をどのように意識するかというハードルみたいなもので、ハードルの上げ下げは自身の価値観によるものなわけで・・

 

私、やっぱり、普通の市民なんて未来に責任を取らない衆愚のことを言うんじゃないのか・・とか、

でも、プラトンは健全な政治が行われていれば衆愚は現れない、みたいなことを言ってたような、もっと違う意味だったかもしれないし・・

 

おばさんには、ここまでが限界です。。

そういえば昔々、中学生だった娘にこう言われたことがあります。

「お母さんは、すぐ分からないって言う。分からないんじゃなくて、考えないんでしょ!」

確かに、そうだ。。

だから衆愚とは、すなわちあなたなんだ。。

 

 

「勝者の混迷」(「ローマ人の物語」6、7)スッラ

「最後まで、人を喰った男であった。」

塩野七生さんの、ルキウス・コルネリウス・スッラという男への、これは愛ある言葉と受け取る。

上のマリウスの像はヴァティカン美術館所蔵、スッラの像はミュンヘン美術館所蔵

 

「銀の匙を咥えて生まれてきた」グッラクス兄弟のローマ共和政へ変革は早すぎる死によって絶たれ、ローマは混迷の世紀を送ることになる。

スッラは紀元前81年に、ローマ史上初の任期無期限の独裁官になった。

81年から翌年にかけて彼が成し遂げた国政改革を塩野さんは項目に分けて説明している。

興味深い話が満載。

・福祉問題

 福祉よりも国家財政の健全化を優先して、ガイウス・グラックスが始めた貧民階級への「小麦法」を全廃した。

・失業対策

 新植民都市建設を活発化した(植民都市建設はグッラクス兄弟がはじめに掲げた)。

  *フィレンツェはこのスッラの植民都市建設が起源

・元老院改革

 300人の元老院の定数を600人の規模に拡大した。この規模拡大によって「騎士階級」に属す経済人を政治の世界に参加させた。

  *「騎士」とはローマ初期王政の時代では、単純に「馬に乗る兵士」だったが、共和政前3世紀頃からは、富裕な経済人を指すようになり、ローマの覇権の拡大につれて「騎士階級」という第2の支配階級として台頭した。

  *中世ヨーロッパの騎士のイメージとは全く異なる。

・司法改革

 グラックス兄弟が始めた「騎士階級」や平民も陪審員に加えるという改革を、陪審員は元老院議員の独占とする元の状態に戻した(元老院制度の改革で元老院議員には騎士階級も成れた)。

・行政改革

 年功序列を重視し、会計検査官・法務官を若干増員し、資格年齢を厳格化、序列順位も厳正にした(実力重視は共和政体制にそぐわない)。

 ローマの属州となった地域の統治も厳密にシステム化した。

・軍事改革

 軍団を率いる資格を国内では執政官二人のみとし、属州総督が持つ軍隊指導権も元老院が決定権を持ち、総督の任期は1年限りとし、軍団の「私兵化」を防いだ。

 *スッラ自身は執政官の任を解かれていたにもかかわらず、軍団を指揮して民衆派が支配的だったローマを制圧し独裁官になっている。自身の例がスッラに政治力と軍事力の分離の必要性を知らしめたからこそのシビリアン・コントロール政策である。

・地方改革

 連邦制度に近い「ローマ連合」は、ローマの覇権拡大によって解体され、かつての同盟都市国家はそのままローマの地方自治体に変わった。国家ローマによる中央集権化により、地方自治体の長は中央政府のローマから派遣される。

・護民官制度問題

 平民が市民集会で選出する護民官の権力の強大化は、元老院主導の政治体制を脅かすというスッラの認識から、護民官制度の骨抜きを図った。

 紀元前364年のリキニウス法で平民の代表という形で護民官を置き、貴族と平民の抗争を収め、300年近く機能していたのが護民官制度だった。

 スッラはこの護民官経験者の他の官職への選出は不可とする法を成立させた。護民官経験者が会計監査官や法務官や執政官になれる道は閉ざされたことになり、前途有望な若者は護民官を目指さなくなり、その質は低下、平民層の代表として元老院に対抗するパワーは削がれることになる。

 

ローマ特有の共和政という「革袋」

「ルキウス・コルネリウス・スッラは、『元老院体制』としてもよいローマ特有の共和政という『革袋』を、懸命に修繕しようと努めたのである。あちこちのほころびもただたんに古くなったがゆえであり、丈夫な革きれをあてて補強した革袋の中には、新しい葡萄酒を入れれば、まだ充分に使用可能であると信じていたのだ。」6巻p70

 

スッラは独裁官を2年間務めたあと、あっさりと自ら退任した。権力者の座にいつまでも居続けることは、彼の信義に反する行為であった。

「人間にとっての幸福が、考えたことを実現し、その後に来るのが畳の上の死であるならば、ルキウス・コルネリウス・スッラは、彼の自己評価どおりに「幸福な人」であった。

〜〜〜公人であることを宿命づけられた人にとって〜〜〜非業の死であっても、その人が属す共同体の将来を指し示す道標を打ち立てたことこそ幸福であるとするならば、ルキウス・コルネリウス・スッラは「不幸な人」であったとするしかないのである。」6巻p83

 

スッラが独裁官として固めた盤石のスッラ体制は、彼の死とともにすぐさま「『革袋』は再びほころびはじめるのである。」

 

勝手な感想かもしれないが、塩野さんには書いたものに、男の好き嫌いが感じられる。

スッラに関しても、エピソードで彼の人となりを好意的に?紹介している。彼女が書いた男たちはなかなかに魅力的なのだ。

引退後に35歳も年下の女性と結婚した時の話は、スッラという自信に満ちた男の微笑ましいエピソードであり、私財を貯めこむことにも生涯無関心な男であったそうだ。

 

ポンペイウス、カエサル、ブルータスの名前が登場してくる・・

「この同じ年、マリウスの妻の実家に、一人の男子が誕生した。〜〜〜生まれたばかりの赤ん坊は、ガイウス・ユリウス・カエサルと名づけられた。」6巻p171

「〜〜北部戦線では、ゲルマン人相手の勝将で、その年六十七歳を迎えていたマリウスが再登場。後のポンペイウスの父親である、グネウス・ポンペイウス・ストラボンも最前線に立つ。執政官カエサル(のちのカエサルの伯父)が総指揮をふるう南武線戦には、四十八歳と脂の乗りきった年齢に達したスッラを先頭に、まだ二十四歳と若いが、後年ポンペイウスやカエサルとともに三頭政治の一翼をになうことになるクラッススも、軍団長に任命されていた。」6巻p188

 

独り言なんですが、2、3日前、ロシアの下院議員選挙で退役軍人が200人ほど立候補した、という報道を聞いた時、ああ、失業対策・・社会の不満対策・・って思いました。

ローマの内憂対策とそんなに違わない・・現体制の崩壊の始まり・・・