現代短歌は地中深くに入り込んでいくみたいだ・・・
「うた日記」で教えていただいたうたから三首
小島熱子歌集『ポストの影』の鑑賞が5回にわたって書かれた中から書き出した。
やはらかきひかりのなかに頬杖をつけば面映ゆき記憶がよぎる
耳底にいまも列車の汽笛あり ひとりの輪郭おぼろなれども
ああわれに忘れた昔とわすれないむかしがあって 水がにほふも
この歌を書き出してみると、漢字とひらかなの使い方にも、意味を持たせたのだろうという気がして来た。
味わい深いとしか言いようがないのだが、つまり、私にはちゃんと味わう力があるのだろうか。
ちゃんと味わうもなにも、有り体に言えば、3首に共通の「ある」雰囲気に惹かれた歌ではあった。
「忘れた昔」と「わすれないむかし」
「やはらかきひかりのなか」と「面映ゆき記憶」
「耳底にいまも」と「ひとりの輪郭おぼろ」
「面映ゆき記憶」、そうだね、やはらかい秋日和の日に、お洗濯を取り込みながら、不意に訪れたりするのだね。。。
けれどもだ、こういい感覚って、息苦しくない?
受け手の状態にもよるのではあるだろうけれど、西行さんのような明るさが恋しい気がしないでもない。