気になっていることをなんとかしないと・・・
「うた日記」、4月はしばらく蕪村の俳句技法が続いていた。
4月20日(確かめた)、擬人法の項
火桶炭団(たどん)を喰(くら)ふ事(こと)夜ごと夜ごとにひとつづつ
と言う句が載っていた。記憶になかったから、これ、何かの間違いかと・・・
本の断捨離過程で蕪村のものは残してはいたが、ダンボールにしまい込んだまま、探しようがない。
まあまあに検索しても見たが、はかばかしくない。
つまり、この句について書かれたものに出会わない(検索に仕方次第なのだろうけれど)。
この滅法破調の句、すごくよくなくない笑ですか?
「夜ごと夜ごとにひとつづつ」
芭蕉はこのような言い方はしないですよね。
4月初め頃でしょうかね、スーパームーンの日と言われ、おっと、そうであったとカーテンを開けたその目の前に、おあつらえ向きに大きな美しい月が見られたのです。
月天心貧しき町を通りけり
この句を思い出しました。
「月天心」のこの月は新月の弓張のような細い月ということですが、細かろうがまん丸だろうが、とにかく蕪村のこの句は素晴らしいです(私的には)。
ちょっとおちゃらけたような句の中に、ポーンと!このような句が投げ込まれている感じの蕪村俳句が私は好きです。
なおかつ、江戸ですか?みたいなもんです。
月天心貧しき町を通りけり〜〜〜石川啄木が釧路の街を一人歩いていてもおかしくないです。
ああ、啄木はもっと甘い感じになるかな?
蕪村には非常に現代的な感受性(感受性に現代も大昔もないと言えば、ハイ、それで終わりになってしまう😩)を受け取るのですね、私は。
芭蕉はピラミッドを登りつめたような、つまり縦方向を極める、という俳句なのでしょうが、
蕪村は横方向です。
横に、横に、輪郭の定かでなく広がるような、蕪村はそんな風に私には思えます。
「夜ごと夜ごとにひとつづつ」
炭団の燃えていく様は、人もかくありなん・・・
心定まらないときは良き本を読むのだ
改めて「万葉を考える」(梅原猛著作集)を読んでいますが、このような本を読んでいると、心の平静が保たれます。確信犯的硬派、こうでなくっちゃ。。。
父の書棚にあった本で、父が私のところから持って行ったと思ったけれど、もしかしたら父は父でこの本を持っていたのかもしれない。何れにしても、梅原猛は本当に古くさくなった。こういうことがさみしいね、でも、読んでいると心が踊る。。。