萩の城下はやはり特別
一泊二日の小旅行に行ってきた。
旅行というより、これは夜の宴会がメインだったので、山口の秋芳洞、萩市を移動中にざっとあちこち見て回ったに過ぎない。
萩は2度ほど行ったことがあったのだけれど、物知らずとは言え、田中義一が萩の出身だったことは今回初めて知った。
「あの右手の家が総理大臣になった田中義一の家です」
と、ホテルの運転手さんが道すがら教えてくれたのは、多分何かの間違いではなかろうかと思う。
川向こうの道に沿って、低く白い土塀がまっすぐに続いていて、車中の皆が感嘆の声を上げたほど、土塀の中には立派で大きな屋敷があるに違いないと思わせた。
「今も子孫の方が居住しておられます?」
「いや、市の展示館みたいになってます」
「田中義一が総理になったのは大正の終わりころですかねえ?」とあやふやな知識の端くれを頼りに尋ねると、
運転手さん、わりかし自信たっぷりに
「山口出身の総理大臣は7人います。言えますか?」
「1代目内閣総理大臣、伊東博文、二代 田中義一、三代 山縣有朋、四代 桂太郎、
観光ガイドさんではないので、間違いはどうってことはないし、こちらの知識もいい加減なものだから、一向に差し障りのない話ではある(何しろ夜の宴会メインの一行の付け足し観光なのだから)
どうしても気になって、先ほど田中義一を検索した。
田中義一は藩主のの籠担ぎの家に生まれたそうだから、生誕の地や総理大臣としての銅像などはあるようだが、あの立派な白土塀に囲まれた屋敷は田中義一が出世してからの屋敷だったのだろうか?
で、今日は「桜を見る会」で賑やかなことになっているわけだが、
やはり8人も総理大臣を出している県というのは、どこか普通とは違った政治風土があるのかもしれないと、思ったことだった。
やっぱ会津藩ゆかりの我が家としては、長州のやり口は気に食わないね笑
吉田松陰は嘆いているか、あるいは松蔭の中にこそ内在されていたものが、なんか不思議な現れ方をしているのだろうか・・・
秋の日本海
昨日の帰りの車中、日本海は穏やかな波の秋日和で、途中途中で降車しては日本海の空気を思う存分味わった。
美しい夕日を見ることができた。上の写真とは全然違う場所。