「殯宮」 山本健吉は「柿本人麻呂」の中で言う。 〜人麻呂の時代を考へてみれば、はたして御用詩人としての道を歩く外に、彼は全力的・全身的な表現の場を獲得することができたであらうか。言ひかへれば、御用詩人となる以外に、詩人であることが可能であつ…
不思議な世界をさまよい歩いているんだね 中国山地の山あいに住んでいた頃(といっても、春先までいたんですけど)、公民館がやっていた子ども達の学習教室で講師役で一緒だったT氏、何かの時に彼はこう言った。 「柿本人麻呂?ああ、持統朝のお抱え歌人ね。…
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