「畠も畑も日本製文字で中国にはない」
1981年7月から1982年3月に週刊朝日に連載され、1987年に朝日文庫「街道をゆく19」で刊行されている。
2008年に発行されたこの新装版は、フォントが大きくなっていて、初めは「おお、読みやすいではないか」と思ったが、読んでいるうちに、なんとなく居心地の悪さ、違和感を感じ出した。
司馬さんは、こういう新装版を望まないんじゃないだろうか。
(ワイド版は、私的には残念だったが、あれはあれで必要かもしれない)
私が以前から持っている「閩のみち」は2006年の15刷版のものだ。
「蜀と雲南のみち」も2006年の20刷版で、このあと2008年頃から新装版が出たらしい。
セーフだった。。。
「街道をゆく」はすでに立派な古典?
この古典を多くの読者に届けたいという出版社側の気持ちは理解するが、古典なら古典らしく?字体もフォントもそれらしくあって欲しいと、まあ、ノスタルジーだって笑われそうだが・・
「井々と積まれている」
「山海を見遥かす」
「畳づく山々にかこまれた」
「うまれもつかぬ漢民族の姓名になってしまった」
こういう語に出会うと、思わず「いいなあ」って思ってしまう。
そのうち、司馬さんの文章には注が施されるようになってしまう恐れ無きにしも非ずだが、おおよそ「漢字」から想像はできるだろう。
それにしてもなんだって中国共産党は簡体字などを制定したのだろうか。
中華文明を否定するような大一級の!愚挙だと、まあ言うのは簡単だけれど、それなりの意味もあったやもしれず、かな?
台湾ではまだ日本と同じように繁体字らしい。
上の3冊の「街道をゆく」では、現代史批判らしき物言いが割合に見受けられる。
だろうね、稲だって、お茶だって、この漢字だって、元々は中国から頂いて、日本国は大事に育ててきたのだから、司馬さんはその面影を求めている。
で、これらを読むのに私が必要としたのは、地図。
検索するより手っ取り早かったのは、ご存知高校生の時の世界史年表、日本史年表。
これには時代ごとの地図があって、大雑把な把握には重宝だ。
数年前に買い直した新しい物。高校生じゃないのにね。
このはてなブログでも、古代中国の歴史的版図を自前で作って載せている奇特な方がおられます。すごいなあと感心してしまいます。
そういえば、短歌や俳句の言葉の使用用例を万葉集から現代短歌まで調べて教えてくださる方もおられました。
その中から随分と気に入った短歌を私は見つけさせてもらいました。
その方は、ご自身の作歌を年代ごとにまとめて載せて、このブログを閉じられたようです。