桜のあとは緑が美しい季節になります。
休耕地はどんどん牛の牧草地になっている。
こういう牧草地をどう表現したらいいのだろう。
「草は青々と」という候孝賢監督の若き日の映画のタイトルにこんなのがあったような。。。
(正確には「川の流れに草は青々」でした)
ニュースで花蓮県と聞いた時、胸がキュンとした。
大変な事故だったから不謹慎には違いないけれど、「台湾の花蓮県」という響きには心が反応してしまう。
司馬遼太郎の「街道をゆく」の中では、私は「台湾紀行」が一番好きかもしれない。ああ、「愛蘭土紀行」、どちらが一番か、悩むところだ。
このことはつまり、台湾とかアイルランドとか、その歴史が心を惹くからかもしれない。
外省人、本省人、客家、アイリッシュ、こういった言葉に心が反応する。
自分とは遠い出来事だから、余計に心が憧れに近い反応を惹き起こすからだとは思う。
私の母校は、小泉八雲が英語教師を勤めた旧制松江中学だ。彼もアイリッシュだった。
話はどんでもない方向ではあるが、ビートルズのメンバーの何人かはアイリッシュの血を引いているのではないか、間違っていたら、すみません。
彼が監督した映画はみんな好きだ。
お話がそれてしまった。
私は司馬遼太郎の書くもので、なんだってあんなに引き込まれてしまうのかと思うに、やはりその文体と比喩表現にあるような気がする。もちろん、書かれている物語や内容は当然として。
昨夜読んだ「胡蝶の夢」(5)には、こんな比喩表現があった。
「数日して真野湾の波が青玉を溶かしたように青くなり、陽の光が空いっぱいにあふれた。日本海から冬の名残りがの陰鬱さがぬぐったように消えたのである。」
また、関寛斎が最期を藩医として看取った蜂須賀斉裕をこう表現している。
「それやこれやで最晩年は精神も体も豆腐のように無力な人物になった。」
「それやこれや」は幕末の騒動でこの藩主の責任感の強さが精神も体も蝕んだことを言っている。
関寛斎はひどくこの藩主の苦悩を気の毒に思ったのである。
つまり、私は牧草地の幼い青い草草が風に揺れる美しい様子を表現できないのである。
このことを言いたいがために夕食支度を、ちょっと待ったにしてこうして書いている。
ありがたい!
今、角寿司が届いた。こうなると、筍をうんと上手に煮なければ。。。
こういうふうに、道明寺が届いたり、角寿司が届いたり、そのうち柏餅が届いたり、もちろんみんな手作り!筍は昨日いただきました。
山の中の田舎暮らし、ですね!!!
角寿司の中の具が各家庭の味。お酢の具合もみんな違う。