阪本順治監督、やはり、好きです
大手映画館での上映が一通り、というか、早々と上映打ち切りした後で回ってきた映画が、函館シネマアイリスでは上映されるみたいです(多分)。
「冬薔薇」は「そんなに面白くないらしいよ」と人伝に聞いてはいましたが、どうしても観たかった映画で、上映初日の昨日、観てきました。
「伊藤健太郎は、あのメンバーの中じゃあなあ〜」
これは夫がもらした言葉です。
いいのです。
そのざらざら感、違和感、場違い感、これを見せる映画だと思っていいかもしれません。
伊藤健太郎という男の子?の、今その時をそのまま見せようとした映画だと思えば、なんらの批評もはねつけます。
「退屈だ」「だからどうなのよ」「えっこれで終わるわけ」「意味わかんねえ〜」
こういうレビューを見ました。
反対に、これぞ阪本順治監督と、星5の御仁もちゃんといらっしゃいます。
だから、見たい人が見たらいいのではないでしょうかね。。。
1日経ってフッと思いました。
これは私の単なる思いですが、子どもを亡くした父や母の、それでも生きていかなくちゃあしょうがない、そういう父や母のその後の人生を、思わせられます、共感を持って。
「団地」の時もそうでした。
日常の生活の中で、隠していた痛みがふっと立ち上る、それがものすごく滑稽な形になって・・・私、滂沱の涙が。。。
「冬薔薇」の父(小林薫)母(余貴美子)も、溺れそうな悲しみを押し込めて社会生活を続けていく。
だって、生きていくしかないじゃん・・
母が淳にこう問いますよね。
「あんた、背中がゾッとするような感覚、味わったこと、ある?」
たった二十年かそこらしか生きてこなくて、自分のことしか興味のない息子「淳」の耳もとを、なんらの意味も持たないままこの言葉が通り過ぎていく、この感じ、伊藤健太郎だから、ピッタリきています。
このどうしようもないズレ感が、この映画の底をずっと流れているような気がします。
阪本順治監督はすごく恥ずかしがり屋さんではないでしょうかね笑
分かるだろ・・・
あの〜、子を亡くした親のことがテーマとかの映画じゃないですよ。
伊藤健太郎による、伊藤健太郎のための映画、そう思えばいいのかなあ・・・