額田王の歌
中学校の国語教科書では
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る (1−20)
この歌だったか?
あるいは
にきたづに船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな (1−8)
こちらだったか?
もしかしたらどちらかは高校の古典教科書だったのかもしれない。
NHKラジオ「古典講読」の(8)(9)を聴き逃しで続けて聴いた。
(9)では相聞歌から挽歌にかけてのお話だった。
この挽歌は、次の時代の柿本人麻呂を思い起こさせる・・・
というようなお話をされた。
ああ、なんかドキドキするような、楽しみだ。
もしかしたら、私の期待するようなお話はないかもしれない。
それならそれでもいい。。。
柿本人麻呂は、そんじょそこらのサスペンス本では味わえない登場人物なんだ!!!
梅原猛が猛烈に想像力をかき立てられたんだからね。
淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ (3-266)
持統朝のサロンでこの歌が詠まれたのなら、何かしら不穏な空気ではないか。
石見国へ流刑というのはどうか分からないけれど、飛ばされる?というのはあり得ると考えても、いいのじゃないか。
いずれにしても素人の一読者が勝手に万葉集を楽しんでもいいわけだし、その辺りを充実させるべく、鉄野先生が教えてくださるというのは、誠にもって慶賀。。。