そもそも愚痴は書かないって、私の今後の生活のためにいいこと書きを始める〜
これが目的なのでありました。
でも、兼好法師も「物言わぬは腹ふくるる心地す」っておしゃっていましたから。
言わないと、おなかが破裂するかも。。。
ただ今「夏休み前の小中連絡会」っていうのに行ってきました。
おお〜まさに何年来繰り返される、いつか見た、これ、デジャブっていうの?
教育委員会から毎度のように、不登校、いじめ、問題行動、とかの数値が出されて、
ご説明があります。
「あの、不登校の理由の中に、学校が窮屈であるというような、そのような理由を持つ子はいるのでしょうかね?」
と、私だっていい歳なんだから、本当はもっと当たり障りのない言い方でお尋ねしました。
完全に空振り。
もし私が今の学校に通う子どもだとしたら、私は不登校になっていたかもしれない。
「開かれた学校」とかなんとか、地域が出張って何かお手伝いをする。
必ずお礼のお手紙を書かせる。ほぼ同じ文面。
何が楽しかった、何を教わってよかった〜
「お友達のいいとこ探し」とかなんとか、書かせられる。
見つからないから、「この間はナントカカンとかでありがとう」みたいな?
「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どうした」で作文は書くものになっている。
「この間の『春を探しに行こう』はつまらなかった。」
こんな出だしで作文を書くのはアウト、このことを子ども達自身が一番よく知っている。
建前、これを教わりに学校へ行っているのではないかと、最近私は思っている。
だから、子ども達は心のずっと奥に、誰にもわからないような、あるいは自分でも気づいていない、秘密を育てているのではないかしら。