錦織圭くん、あまりヒヤヒヤさせないで
1時間半くらいで終わると軽〜い気持ちで見始めたのに、何と、やっとこさ12時前までかかってしまった。
はっきり言って、見させていただく方はつかれま〜
思いがけない展開で、釈然とはしませんが、何はともあれ、次があるという楽しみはもらいました。ありがとうです。木曜日まで、生き延びます?
「しびれる短歌」、私の勘違い・・・
穂村弘さん、東直子さんの対談、たまには馴染みのない本も読まなくちゃあと思ったのです。
ラジオ深夜便の作戦でしょうか?
おじさんおばさんの意識改革、おじさんおばさんの冒険、おじさんおばさんの前進?
という手?に見事にハマった私は、翌朝、すぐにアマゾンにお頼みしました。
で、はっきり言って、意識改革、冒険、前進、まずあり得ません・・・
私、自分勝手に勘違いしていました。
「しびれる短歌」を古い歌の中から、再発見させてくれるのかと思ったのです。
こういう発想しかできないこと自体が、もう古いですね。
新しい歌に、私はしびれませんでしたねえ〜
社会のあり方表現として短歌を味わうことはできません。
一つ、だから私は与謝野晶子さんの短歌にはあまり「しびれなかった」のだと、気づかせてもらいました。
うらうらと 照れる春日に 雲雀あがり こころ悲しも ひとりし思えば
大伴家持は大好きです。万葉の時代に、この感覚、ここに「しびれます」。
「うらうらと」こういう言葉の力に「しびれます」。
ああ、この「しびれる」という使い方はあまり好きでないですが、
こういう私が、あのような現代短歌に「しびれる」ことは、今後ともあり得ないと思いました。
ご時世なのですよ・・・歌は世に連れ世は歌に連れ?こういうのあった?
こういうの駄目かなあ〜よくないかなあ〜もっとわかる努力しないといかンのかなあ〜
どんどん置いてけきぼりにさせられちゃうのかなあ〜