「悽惆の意(せいちゅうのこころ)ー詩の頂点」(山本健吉「大伴家持」)
家持が柿本人麻呂に触れたところ、見つかりました。(ああ、スッキリした)
「万葉集」巻17・3969 越中国守として赴任中、掾(じょう)であった大伴池主との書簡でのやり取りにあった。
幼くして「山柿の門」をくぐることなくここに至っているゆえ、自分の歌などは〜というふうに書いて、池主と歌のやりとりをしている。(岩波書店「万葉集」下)
池主もこれに応えて自分などさらに下手くそ?みたいに応じているんじゃないかな?
29歳で越中国守として赴任、あからさまに中央政界から遠ざけられた(橘諸兄の配慮か?とも)のではあるが、くさらずに大伴家の嫡男、律令の官僚としての務めに励んだ時代ではあった。
それでも個としての家持は「悽惆の意、歌にあらずは、はらい難きのみ〜」の自覚がますます募った田舎暮らしでもあったらしい。
NHKラジオ「古典講読 万葉集」でもこの越中時代を、鉄野昌宏先生はお話になられるに違いなく、ちゃんと訓読してくださるから待っていよう。
6年後に帰京して、家持・絶唱の三句、山本健吉が言う「詩の頂点」の三句が詠われたんだよね。
春の野に霞たなびきうら悲しこの暮影に鶯なくも 巻19・4290
我が屋戸のいささ群竹ふく風の音のかそけきこのゆうべかも 4291
うらうらと照れる春日にひばりあがり情悲しもひとりしおもへば 4292
万葉の抒情は、家持に至って、心理的な「細み」の精髄を掴み出すことに成功したと言えそうだ。〜折口信夫氏はそれを心の微動と言った。それの表現を家持のこれらの歌に見出して、驚喜した経験を語っている。(山本健吉「大伴家持))
昨夜、やっとこさ、山本健吉さんを読み終えた。
で、先ほど届いた本、2017年発行だから、「水底の歌」に言及あるやもしれず・・・
ああ、でもこれ、ちょっと間を開けたほうがいいかもしれないなあ・・・
だって、私のこの状態、なんかあんまり良くない気がする・・・
もうすぐ春だ!書を捨てて街へ出よう笑