男の子は、大変だ
K君が登校集合場所で会うなり
「今日、もう家に帰りたいなぁ」と言った。
「えっ、どっか具合が悪い? それとも昨日、ゲームしすぎて眠いんじゃない?」
「違います。ちゃんと早く寝ました。
なんかさ、いっぱいすることあってさ・・・」
「そっかぁ、6年生は大変だものね。役がたくさんあるものね」
彼の変化は目に見えてあったから、ああ、6年生になって自覚が出たんだな、くらいに思っていた。
元々が周囲を気にせず、自分の気の向くままに行動する子だった。
学校の学習支援員として、彼の入学した時からを知っている。
「ハイ、教科書の○ページを開きましょう」の先生の指示に、彼も教科書を開くが、途中で気になったページをそのまま読んでいる。
私がそっと寄って、ページを変えても、またさっきのページに戻してしまう。
それ以上は私も手を出さないで、ヤバイ時だけ、手を貸した。
2、3年になっても、廊下で先生の指導を受けている彼の姿をしばしば見た。
自分勝手にやっていてもちゃんと勉強はできていたし、おそらく低学年の頃の担任の先生も彼の個性と捉えていらしたように思う。
6年生になった途端の変化。。。
そう言えば先週、こんなことも言った。
「ねえ、今日、何話したらいいと思う。
毎朝、朝会でなんか言わなくちゃいけなくて、今日は、何も言うこと、思いつかない」
そうだなあ、K君、大変なんだ。
今までフワフワと糸が切れた風船みたいに好きなところに飛んで、好きな楽しみの中で生きてきたのに、その糸を引っ張り取られて、どこかの杭に巻き付けられて、みんなと違うところへ飛んで行かないようにされている。
同じ風で、同じ方を向いて流れるいくつもの風船の一つにさせられようとしている。
学校は一つの権力の場である
かつて、ゾッとしたことがある。
まだ30代の男性教師のクラスだった。
先生が親指と中指でパチッと鳴らすそのサインで、子どもたちは一斉に立ち上がって机の移動をした。
しかも「5、4、3、2、1!」この声が響く。
ある時は「ハイ、やり直し」
机を引きずった子どもがいた。机は持ち上げて移動しなければならないのだ。
先生たちの学級経営のご苦労は実に大きなものだということは分かる。
野放図にしておけば、子どもたちは手のつけられない集団と化す。
泣いてしまう新任の女性教師も見た。
美しい女性教師が突如声を荒げて、子どもたちを「オマエら」呼ばわりし、机を蹴飛ばす場面にも出くわした。
本当に、子どもたちの集団は生半可な裁量では引っ張って行かれない。
しかしながら、指パッチン一つでその教室を支配していいということにはならない。
K君の話に戻せば、6年生の一番奥まった教室で、つまり開かれた空間ではないところで、
「オマエら、最上級生だからな」という先生の圧力と支配の時間を過ごしている。
まさか平手打ちはないだろうが、ちゃらんぽらんは見逃してはもらえないのだ。
もちろん一般的には、子どもたちは学年が上がるにつれて、学校内での責任を徐々に負い、社会性を身につけていく。
今まで適当を通してきたK君が問題だということもできるが、やはり、と私は釈然としない。
子どもたちを権力で支配してはいけない。
分け隔てのない優しさと、絶え間ない見守りと、時々の叱咤激励と、あきらめない繰り返しで真正面から付き合う、それしかないだろうと、私は思うのだ。
「オマエら」呼ばわりと、指パッチンと、「5、4、3、2、1、ハイ、終わり」
これだけは子どもたちに向けないでほしい。
子どもたちは権力の支配を受けないでも、それぞれのペースと、それぞれの色で、成長していく力を、ちゃんと持っている。
私ら大人にとは比べ物にならないくらい、その力はすごいんだぞ!!!