憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
「公共の福祉」を歪めているのは誰か?
この「JAL裁判」という本は、2021年3月26日に東京地裁に提出された「ボイスレコーダー等開示請求」の裁判の記録と、その周辺の事実を扱っている。
青山透子さんの前の5冊「日航123便墜落」を読んでいると、2021年のこの裁判の重要性は痛いほどに伝わってくる。
本書の最後に、判決・要旨の記録がある(判決文は筆者による要約)。
判決言渡は2022年10月13日。
主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
東京地裁の棄却の判断についての要約を読むと、私みたいなおばさんでさえも、ああ、ひどいなあ・・って思うんだよ。
いったい「幸福追求権」「人格権」ってそんなにああでもない、こうでもない、って、制約をうけるものなんかいなあ・・って思うんだよ。
だって「最大の尊重を必要とする」って憲法にはあるよ。
「なんちゃらかんちゃら〜従って、原告と被告との間において、情報の開示を請求する権利が生じるものと認めることは困難である。」
「なんちゃらかんちゃら〜人格権や人格的利益を根拠とした情報の開示請求権について、これを認める法律の明文の規定は見当たらない。」
「なんちゃらかんちゃら〜従って、人格権に基づき本件データ開示請求権を有するという原告の主張には、理由がないというべきである。」
「なんちゃらかんちゃら〜被告が原告に対し、運送契約に付随する信義則上の情報提供義務を負っていると認めることはできず、同義務を根拠とする本件ボイスレコーダー等のデータの開示請求を認めることはできない。」
結論 よって、原告の請求はいずれも理由がないことから、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。
「理由がない」からって、理由はちゃんとあるんだよ。
終わりに、青山透子さんは書いている。
一九八五年八月一二日から、いまもなお、隠蔽工作に加担する人がいる。
それにしてもなぜ、このような大惨事を平気で隠すことが可能だったのだろうか。
過去に目をつぶって生きてきた人生は後ろめたかったに違いない。むしろ一生涯隠し通すことの方が、その人の人生において最大の苦痛であったろう。
この東京地裁での判決に控訴した東京高裁での判決が、6月1日に言い渡される。