小学校の卒業式も間近になった。
こんな山の中でも、来賓無しの卒業式になっている。
先月あたりからなんとなく感じていたことを書いておく。
朝の集団徒歩登校組には卒業式を控えた6年生の男子が3人いる。
そのうちのO君の変化が著しい。
まずは朝の挨拶を下級生たちに厳しく指導し始めた。
もちろん自分が率先して、大きな声でお手本を見せる。
おまけにマスクの着用にも厳格に臨む。(こちらはいささか問題アリのようにも思える)
「持ってるなら、今しなさい。」
「鼻からずり落ちたら、直す!」
1年生のおチビで入学した当初から見ている私には、このO君の変わりようが、なんだか眩しくもあり、寂しくもある。
気ままに、マイペースだったO君だから、6年生になった当初は、私をつかまえて「学校に行きたくない」だの、「今日の朝朝会に何を話したらいい?」とぼやくほどに、最上級生になったストレスを全身で訴えていた。
それが1年を経ていつの間にか、なんだか普通の、まあ、いい子になった。
そうして今、小学校へ通う残りの日を数えるようになって、一生懸命に1日1日を丁寧に送っている。
うん、悪いことではない。
もう一人のT君も、私に話しかけながら歩くことが多くなった。
T君は早産の超未熟児で産まれて、小学校へ行くようになってからは普通学級でみんなと同じ様に学習するのが困難になった。
アニメ映画の話をしたり、お兄ちゃんのことを話してくれたり、昨日食べた夕ご飯の話をしてくれたり、会話を楽しんでいる様なT君の暖かさは全身から伝わってきて、こちらもゆったりした心持ちになる。
もう一人のM君は、小学校5年で漢検の3級に受かり、学校のテストでも100点以外取ったことのないというお勉強のできる子で、なおかつ、非常に礼儀正しく、なおかつ、常に情緒が安定しているのか、いつでも同じM君しか、私は見たことがない。
遠慮深いから、私が話しかけない限り自分から何かを言ってくることはあまりない。
でもって、今朝はO君の背中のランドセルが、あまりにも小さく見えたから、
「う〜ん、モノって、つまりは相対的なものなんだなあ」
「ほら、R君(小1)のランドセルはあんなに大きいでしょ。
同じランドセルなのに、あなたのはすご〜く小さく見える。」と言ったら、怪訝な顔をしたから、まあ、O君をケムに巻いたつもりだったが、
「ほら、すごく高い靴を履いていても、着ている服がボロかったら、高い靴に見えない」
「相対的って、そういうものなのよ」と言って、ごまかした。
少年は旅立つ。。。私は残る。。。春あさき日の、朝の一コマ。。。
ところでこちらの少年はIちゃん。彼も4月からは最上級生になる。
今朝、学年のお別れ遠足の写真をKちゃんがラインでくれて
「Mくん(我が息子、Iちゃんのパパ)がYちゃん(我が娘、Mの妹)に似ているって言ってました」とあった。
甥っ子が叔母の子供の頃に似ていても不思議はない。
Y子に転送したら「いや、お兄ちゃんそっくりでしょ」。
私、気がついたのだけれど、Kちゃんはお弁当箱を使用しないみたいだ。
大体が家のタッパーで済ませているのを見る。
お弁当はお弁当箱に、なんていう思い込みから彼女は!解放されているらしい。
Kちゃんのこういう感じ、合理的?どうでもいいことにはこだわらない?
これって、実に心地いい。
まあ、子供達もそういうことはどうでもいい風に育っているのだろうから、ば〜ばとしては何よりではある、か。。。
ミラボー橋の下を川は流れ・・・少年たちは旅立ち、わたしは残る・・・
通学路に沿った○○川を流れる水は、春浅き、冷たき色。