晩年の北海道移住は有りか無しか
確か、晩年になって、北海道のへそ、厳寒の地に移住して、奥さんを死なせた江戸時代の学者がいたはずだ。
昨夜お風呂から出て、ちっとも温まらない洗面所で髪を乾かしながら、そんなことを思い出してしまった。
この二日、またまた寒波がやって来て、山の中は零下に凍えている。
おそらくこの次の冬は函館だと思うと、暖房のことが気がかりだ。
家全体を夜間にも温めておくのだろう。
司馬遼太郎の「街道をゆく」で読んだはずだと、とりあえず阿波紀行をめくったが、ない。
「北海道の諸道」はしまい込んだか、見つからない。
こういうとき、検索はありがたい、と言うべきかどうかだが、実際助かる・・・
関寛斎!
司馬遼太郎は「胡蝶の夢」で「高貴な単純さは神に近い」と書いているそうだ(「胡蝶の夢」は読んでいない)。
この言葉、つまりは、信じられないほどの馬鹿、と言い換えてもいいような気がする(スミマセン)。
関寛斎、72歳、志はよし、しかし付いて行かされた妻はどうなる・・・
零下の、荒涼たる未開の地で、薪を燃やすだけの掘っ立て小屋で、
綿を重ねてまとい、眠り、開拓途中の惨めな作物を食いつないで、夫の志に死んだ老妻は、どうなる・・・
山田風太郎の「人間臨終図鑑」4に、関寛斎の死は書かれていない。
82歳の服毒自殺を、何故、山田風太郎は書かなかったのか。
単純に漏れたか、山田風太郎には関寛斎の「高貴な単純さ」が、お気に召さなかったおそれもある。