bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

「高貴な単純さ」に妻は死す 2

「阿波紀行」に関寛斎のことは書かれていた。

昨夜はぱらぱらとめくっただけで、しかも池田のあたりに書かれていたような思い込みがあって、阿波紀行の始めのあたりは飛ばしてめくっていた。

 

しかし幕末に蜂須賀家の藩医となって最後の藩主の死を看取った、とあったから、もう一度阿波紀行を丁寧にめくったら、関寛斎の名が出て来た。

 

胡蝶の夢」で「高貴な単純さ」と司馬遼太郎が書いたのを、信じがたいほどの馬鹿、と言い換えた私は恥じなければならない。

 

阿波紀行でこう書いている。

「ひとことでいえば、幕末・明治の名医である。さらにいえば医術によって暖衣飽食しようとしなかった人である。」

「もうひとつ言いかさねると、人生に強烈な意味を見出そうとし、その後半生、古代インドの苦行僧のように身をくるしめた人でもあった。」

「栄爵や栄職をつぎつぎにすてて、後半生、北海道の陸別にほとんど単独で入植し、斧をふるって密林をひらき、自ら、くわをとって畑をつくったひとである。」

 

「明治三十五年、七十三歳のとき、徳島の医院をたたみ、結婚五十年の老妻をつれて北海道に入植し、明治四十五年、八十三歳のとき、開墾屋敷で死んだ。」

 

しかしやはり、彼の「高貴な単純さ」は、その妻を道内随一の寒冷地に引き連れ、阿波の鳴門の穏やかな暖かさの中で老後を過ごさせなかった人であることは事実だ。

胡蝶の夢」を読めば、この妻のことを司馬遼太郎がどのようにか書いているだろう。