なまタラの身って、はかない感じ
須田剋太画伯の中では、アラン島と礼文島は哲学用語なのだ、と司馬遼太郎は書いた。
NHKラジオ深夜便で「日本列島くらしのたより」というコーナーがある。
礼文島からのお便りが特に好きなのだけれど、いい加減な性格なものだから、聴き逃しで探し当てて聴く。
リポーターの宮本さん、このお方の声とか、話し方とかが、北の果て礼文島への憧れを大きくする。
先週、1月のお便りを聴き逃しで聴いた。
お話は、隣の漁師さんから鱈を貰ったんだが、鱈の白子は茹でてポン酢で食べた、ということだった。
「○○がいた時にはこの鱈の子をかまぼこにしていたんですが、一人になったらそんな大変なことはできませんから」というような話をされた。
はっとした。
ああ、もしかしたら奥様を亡くされたんだ。
○○としたのは、どういう表現をされたのか、覚えていない。妻でもなく、家内でもなく、連れ合いでもなく、パートナーでもなかったような・・・
私はずっとこのお方は30代とか40代とか、そういうお若い写真家だと思い、ご家族のことは知らなかった。
お声がお若い感じなんだよね。
それに、礼文島で暮らされているくらいだから、なんだか浮世離れした感じの方なんだろうかなあ〜って、勝手に思い込んでいたらしい。
翌日に、普段はこんなことをしないけれど、検索した。
奥様も植物写真家で短歌作者、杣田美野里さんだということだった。
2021年10月に亡くなられていた。
そのころも私はラジオを聴いていたはずだが・・・
宮本さんご自身は、昭和35年のお生まれで、30代?という私の思い込みも飛んでいった。
すみません。勝手に写真をいただきました。
イラナイ
息するだけの命なら
その日までヒタ、
ヒタ、ヒタと生きる 美野里
この短歌が載った写真の花はレブンウスユキソウとエゾカワラナデシコだった。
「掲載歌は思い切ってちょっと尖った表現に挑戦しました。がん患者はみな、命の終焉を意識しながら生きています。でもその感覚を受け入れると、その先には『優しい宇宙』が広がっているように思います。」
エゾカワラナデシコの花の写真、7月21日とあるから、夏に行けばナデシコがみられるのじゃないだろうか。
この掲載歌もいいなあと思う。
母よりも愛おしい男(ひと)
できたのね
ふくよかであれ娘の恋心 美野里
前の「イラナイ」の歌の、次の歌である。
三つの歌を並べる。
このような心豊かな奥様を亡くされて、北の島の厳冬に、ひとり鱈の白子を食べている宮本さんという人がいる。
鱈の白子で作った蒲鉾って、私がまだ食べたことのない味がするんだろうなと思う。
何事もなければ?今夏、礼文島に行きたい。
私たち二人は、日本海側をひたすら車で稚内まで行き〜の、稚内まで羽田から飛ばせた孫のAちゃん(小3男子)を拾い〜の、なんなら友人のOちゃんも拾い〜の、そうして礼文島に渡る。
Aちゃんに「花の浮島」礼文島のフォト、いっぱい撮らせたいなあって思っている。