bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

ファーストラヴ

意外だった堤幸彦監督

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堤監督の作品には当たり外れがあるって、どこかで誰かが書いていたけれど、これは当たり?と言っては申し訳ないかな〜

 

映像が違っているのだね(と言うほど全作品を見ているわけじゃないからすみません)。

 

例えば、「SPEC」、ちょっと変だけれど、私は好きなのだ。

戸田恵梨香ちゃんの洋服がわざとみたいにダサかったり、あの地下?の倉庫みたいな部屋のパイプ椅子に、黄緑色のラインジャージがなにげにひょいとかけてあったりする、そういう小道具の色使いとかが、とてもとても好きなんだ。

 

11日封切りの「ファーストラヴ」、昨日12日に観に行った。

最初からおそらく最後まで、小道具とかに目が行かない展開というか、すごく丁寧に作ってあって、その上途中からはハンカチ投入になってしまったから・・・

 

多分一年前頃か、NHK BSの単発ドラマで真木よう子さんが「ファーストラヴ」をやった。

この時にはとっくに堤監督の映画の方の撮影は済んでいるはずなのに、NHKさんに遠慮して公開が後になる?とか、思ったりもした。

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堤監督は上映会で、「全身全霊」(本人の言葉だけれど、どこまで受け取ったらいいかなあ)の作品とかおっしゃったらしいから、1年間編集がすごかったのかもしれない。

 

あの美しいい映像は、きっと、どこかの、誰かの、あるいは世界中の女の子の「ファーストラヴ」がそんなふうに美しく、儚い淡い桜色みたいでありますように、って、これは、みんなの祈り?

 

淡い桜色、私は翌朝、つまり今朝になって、ああ、やっぱり、こういうところが堤監督の映画だって、気がついた。

最後の最後に、桜色だった・・・

 

窪塚洋介くんがいい!  芳根京子ちゃんがいい!

*男の人とかはどうでもいいけれど、女の人はみんな見て欲しい映画だと思う。

 

「高貴な単純さ」に妻は死す 2

「阿波紀行」に関寛斎のことは書かれていた。

昨夜はぱらぱらとめくっただけで、しかも池田のあたりに書かれていたような思い込みがあって、阿波紀行の始めのあたりは飛ばしてめくっていた。

 

しかし幕末に蜂須賀家の藩医となって最後の藩主の死を看取った、とあったから、もう一度阿波紀行を丁寧にめくったら、関寛斎の名が出て来た。

 

胡蝶の夢」で「高貴な単純さ」と司馬遼太郎が書いたのを、信じがたいほどの馬鹿、と言い換えた私は恥じなければならない。

 

阿波紀行でこう書いている。

「ひとことでいえば、幕末・明治の名医である。さらにいえば医術によって暖衣飽食しようとしなかった人である。」

「もうひとつ言いかさねると、人生に強烈な意味を見出そうとし、その後半生、古代インドの苦行僧のように身をくるしめた人でもあった。」

「栄爵や栄職をつぎつぎにすてて、後半生、北海道の陸別にほとんど単独で入植し、斧をふるって密林をひらき、自ら、くわをとって畑をつくったひとである。」

 

「明治三十五年、七十三歳のとき、徳島の医院をたたみ、結婚五十年の老妻をつれて北海道に入植し、明治四十五年、八十三歳のとき、開墾屋敷で死んだ。」

 

しかしやはり、彼の「高貴な単純さ」は、その妻を道内随一の寒冷地に引き連れ、阿波の鳴門の穏やかな暖かさの中で老後を過ごさせなかった人であることは事実だ。

胡蝶の夢」を読めば、この妻のことを司馬遼太郎がどのようにか書いているだろう。

 

 

「高貴な単純さ」に妻は死す・・・

晩年の北海道移住は有りか無しか

確か、晩年になって、北海道のへそ、厳寒の地に移住して、奥さんを死なせた江戸時代の学者がいたはずだ。

昨夜お風呂から出て、ちっとも温まらない洗面所で髪を乾かしながら、そんなことを思い出してしまった。

 

この二日、またまた寒波がやって来て、山の中は零下に凍えている。

おそらくこの次の冬は函館だと思うと、暖房のことが気がかりだ。

家全体を夜間にも温めておくのだろう。

 

司馬遼太郎の「街道をゆく」で読んだはずだと、とりあえず阿波紀行をめくったが、ない。

「北海道の諸道」はしまい込んだか、見つからない。

こういうとき、検索はありがたい、と言うべきかどうかだが、実際助かる・・・

 

関寛斎

司馬遼太郎は「胡蝶の夢」で「高貴な単純さは神に近い」と書いているそうだ(「胡蝶の夢」は読んでいない)。

この言葉、つまりは、信じられないほどの馬鹿、と言い換えてもいいような気がする(スミマセン)。

 

関寛斎、72歳、志はよし、しかし付いて行かされた妻はどうなる・・・

零下の、荒涼たる未開の地で、薪を燃やすだけの掘っ立て小屋で、

綿を重ねてまとい、眠り、開拓途中の惨めな作物を食いつないで、夫の志に死んだ老妻は、どうなる・・・

 

山田風太郎の「人間臨終図鑑」4に、関寛斎の死は書かれていない。

82歳の服毒自殺を、何故、山田風太郎は書かなかったのか。

単純に漏れたか、山田風太郎には関寛斎の「高貴な単純さ」が、お気に召さなかったおそれもある。

 

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「高校文芸部のような感想文」だって。。。

中古で買った本

2、3日前、アマゾンから返金の通知と、同じく古書店からお詫びと、無料で進呈との通知が来ていた。

傷んだ本が届くのかとも思ったが、別に開くのが恐ろしいような本ではなかった。

 

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再版もされないで(届いたのは1998年の初版本)、古書店からタダで!(送料も向こう持ち)届くという、この不思議を私は受け入れられない・・・が、とりあえず読み始めたわけだ。

 

はっきり言って、たまりません。

関川夏央山田風太郎、こんな組み合わせ、これほど面白いことはない。

 

「年若い作家たちは、すでにあまたの人手に磨かれてつるつるになった近代的自意識の表面をいまだ執拗になでまわし、高校文芸部の感想文のような小説を書くために〜〜〜」

これは文中の関川さんの文章。

確かにそうだ。芥川賞だからといって、我慢して読むのはもう止めだ!

関川さんが今どうしているのか知らないけれど、山田風太郎を見習って、「好きなことだけ」をしているから音沙汰がないのじゃないだろうか。

 

<「山田、列外へ!」ーこれはいい言葉だ。そうだ。私は今まで、いつもこの世の列外にいるような気がし、やがてそのことに安らぎを得て来たようだ。列の中にはいると、かえって、これは変だと違和感を感じるのである>

これは山田風太郎が「半身棺桶」の中に書いた文章。

 

とにかく、関川夏央には山田風太郎を書かないという、理由がない。

 

関川夏央「人間晩年図鑑」は残念ながら文庫本になってはいず、単行本を買うしかないので日和っていたが、ここは買うしかないということに腹が据わった(大げさだ!)

今、もう一度検索したが、1995~1999年度版が品切れというのもどうだろう。

岩波書店のWEBマガジンで2000年からのが書かれているみたいだが、この仕事はなさっているみたいだね。

 

いえ、私が死んだ後、余計な単行本を残して、誰か知らないが、片付けにため息をつかせることはしたくない。

 誰かのため息になることは分かっている本で、残してもいいのは、私の場合、もう決まっているから、それ以上、新たに本を増やしてはいけないのだ。

今もって買っていいのは文庫か新書版。

あとは図書館でリクエストする。

 

おっと、そういえば宮城谷昌光さんの「公孫龍」が新潮社から出た。

 

 

 

 

 

 

 

無粋と不粋の二つ重ね

「月夜の森の梟」2

先週の土曜日に読み逃していた朝日新聞小池真理子さん「月夜の森の梟」を読んだ。

ご主人のデニムを片付けたことが書かれていた。

ああ、本当に少しずつ少しずつ、なんだなあと読む方の気持ちもすこ〜し軽くなるようなお話であった。

 

一つだけ、不粋とは承知ながら、

「気がつくと私はキッチンに行き、燃えないゴミ用の袋を手にしていた」

と書いてあって、あれ?デニムは燃えるゴミじゃないの、と思ったのである。

 

自治体ごとにゴミの分別は違うようだが、私の所では、ランドセルやベルト、革靴まで可燃ゴミになっている。

バッグやベルトには留め具もついているのだけれど、新しい焼却炉は燃やしてしまう。

 

一つには不燃ゴミが増えすぎていることもあるらしい。

それに、プラスチックも汚れのついているものは可燃ゴミの袋に入れておくように指導されている。

例えばプラの袋に、生産者や内容物が書かれている、あの小さな紙が貼られていたりすれば、これを綺麗に剥がすことはできないから、リサイクルできない可燃ゴミの方に入れてしまう。

黒糖かりんとう笑のお菓子袋さえも、粉を綺麗に取り除くことはできないから、可燃ゴミ行きになる。

もちろんホテトチップスの袋も然り。

 

家事には一切の当事者意識がない(私にはそう見える)夫には、ゴミの分別を言っても、聞くふりをしているだけだ(こういうお説教が良くないことも承知はしている)。

ゴミの袋に町名と名前が書いてないものは、集積場に置いていかれているし、稀に、取り残されているゴミ袋を見かけるから、何か見逃せない分別の間違いがあったからなのだろう。

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        前に写メしたもの。今日読んだのは29回目

 

思い出すのは、舅が亡くなった後の、姑の片付けである。

葬儀が終わって、函館から島根まで帰るその日の私たち夫婦に、下駄箱にあった舅の下駄が目に入った姑は、

「〇〇子さん、お父さんのこの下駄を持って帰って。

○ちゃん(我が夫、つまり姑の息子)が玄関ばきにでもできるでしょ」

と、帰りの靴を履いている私の荷物に、無理やり入れさせたのである。

 

この下駄は数年我が家の下駄箱に収まっていた。

 

本当に!綺麗に姑はさっさと片付けた。

当時はこういう姑を私は不思議な思いに感じたが、

今思えば、これからは一人で生きていくことになるという、覚悟のなせる潔さであったかもしれない。

 

女にも、夫の遺品をあっという間に片付ける人と、ずっと囲まれて暮らす人と、大別していいのかもしれない。

そのことは、愛情の問題とは別の話のようにも思われる。

  

ちなみに、「不粋・無粋」って、自分には使わない、自分を言うのは誤用、とあった。

「無粋を承知で〜」、これはどうなる。。。

 

 

「良き時代」は人それぞれじゃないのか

「私は、日本は昭和四十年代のころが一番『良き時代』ではなかったかと考えている。」

山田風太郎は言う。

まあすぐさま「あてずっぽう」などという言葉を持ちだしているから、なんとなくそんな気分になることもある、という程度くらいにはぐらかしている。

 

白絣を着た国語の先生が、夏の日差しを浴びながら窓に寄りかかって、こんなふうに言う。

「二年生にねえ、一人、川端狂いがいましてねえ〜」

 

定期テストの前に、数学の先生が授業が終わって、問題集を持ってこいと私を手招きする。

いくつかの問題に印をつけて

「この中から3問出すから、誰かにノートを見せてもらってやっておけ」

膝の上に本を広げて読みふけっている私を、先生はいつも見逃していた。

 

三島由紀夫の市ヶ谷のことは、秋晴れの美しい日であった。

学校を怠けてお昼前に帰った私に、珍しく玄関まで出てきた母が

「○○子、三島由紀夫が・・・」と、告げた。

屋根に干された布団に寝転がって、私は泣いた。

人間って、悲しい、というか、一人ぽっちで遠くに行ってしまうんだ、って、そんなことを初めて思った。

今考えたら、人は死を憧憬することがあるという、怖さだったのかもしれない。

 

大人は本当に一生懸命働いていた。

その分、子どもたちが何を考え、何をしているか、ほおっていたみたいだ。

けれども要所要所では必ず意思の疎通を図ってきたし、子どもたちの変わりようは、ちゃんと見ていた。

私は本当に自由だったと思う。

そうしてそんなふうにさせてくれた親、特に父親の眼差しを、

山田風太郎の言葉を聞いて、今懐かしく思い出すのだ。

 

この間の映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」を見たら、あのころ、どんなふうに子ども達が自由に生きていたかがよくわかる。

昭和四十年代は、子どもたちにとっても「良き時代」だった。

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「兆候」と「徴候」

調べて納得しました。今日のいいことにしておきます。

国語力アップ.Comで丁寧に教えてもらえます。便利なことになっている。

だのに、昭和40年代のほうが、本当に良かったの?って聞かれても、ねえ・・・

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「脳内」か「脳中」か?

適当というか・・・要はバカなんです

本来ならちゃんと本腰を入れて調べたらいいものだろうが、

山田風太郎は「「脳中大疑問符を描きながら〜」と書いている。

比べるのもおこがましいのは重々承知で!!!

脳内で思い描くのは〜」と、私は書いた。

「脳中」と「脳内」、どう使い分けるのだろうか。

山田風太郎さんは大正11年のお生まれだから、漢文体?が身について「脳中に〜」とかの「てにをは」を必要としない「脳中大疑問符〜」というふうに自然と出てくるからかもしれない。

だから私は「脳内で思い描く〜」などとは書かないで、「頭の中で思い描く〜」というふうに書けばいいのだ。

けれども山田風太郎「脳中大疑問符〜」は、断然かっこいい!

 

でもって、朗読を聴きながら「ビョウチョウ」「ロウチョウ」だったものを、私は文字にした時、「病兆」「老兆」と書いて、なんか変?と思いながらも放っておいた。

「あと千回の晩飯」で「病徴」「老徴」と書いてあったから、ああ、やはりそうであったかと、またまた自分を恥ずかしく思ったのである(恥ずかしいことの繰り返し・・・)

 

今朝は今朝で、「東京都 爆発的感染拡大を示す兆候」などという文字を目にすれば、いよいよもって私の頭は、エイ、めんどくさい、どうでもいいか・・・状態になる。

 

兆候と徴候には、微妙な使い分けが必要そうな、それは感じるし、何かはっきりとした目安?もありそうだ。

私はもうこれ以上深入りしない、というかできないし・・・

それよりなにより、自分の老徴の方を問題にしたほうがいい。

 

昨日午後、生活支援員の「ケース会議」の予定になっていて、10分前に社会福祉協議会の支所に出向いた。

「えっ、会場が変更になっているんだけれど、連絡なかった?」

「そんな連絡、聞いてないわよ。

また30分運転して変更になった会場に行ってもねえ〜」

というようなやりとりで会議をパスして戻ったのだ。

 

30分後、担当者から電話がきた。

「返信葉書に 会議に欠席します の方に○がしてあったので、会場変更の連絡をしなかったのです」

マジか!

じゃあなんで私は往復葉書の半分を後生大事にスケジュール帳に挟んでおいたんだ?

三回に二回くらいはパスしている会だったので、義理を果たす?ために今回は出席と、いつもは破棄する葉書まで取っておいたのに・・・

 

これが「老徴」か?

出席の丸をつけるつもりを、欠席の方に丸して、気持ちの方は、出席する予定にしていた?

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山田風太郎さんの「あと千回の晩飯」を唯一の頼りとして、笑って過ごすようにしていこう。

したがってカテゴリーに「「病徴」と「老徴」を加えた。

山田風太郎さんがついていてくれるなら、「老徴」も怖くない、そんな予感がしている。

                   もうすでに、怖いと思っている、よね! ガンバレ、ワタシ!