「月夜の森の梟」2
先週の土曜日に読み逃していた朝日新聞の小池真理子さん「月夜の森の梟」を読んだ。
ご主人のデニムを片付けたことが書かれていた。
ああ、本当に少しずつ少しずつ、なんだなあと読む方の気持ちもすこ〜し軽くなるようなお話であった。
一つだけ、不粋とは承知ながら、
「気がつくと私はキッチンに行き、燃えないゴミ用の袋を手にしていた」
と書いてあって、あれ?デニムは燃えるゴミじゃないの、と思ったのである。
自治体ごとにゴミの分別は違うようだが、私の所では、ランドセルやベルト、革靴まで可燃ゴミになっている。
バッグやベルトには留め具もついているのだけれど、新しい焼却炉は燃やしてしまう。
一つには不燃ゴミが増えすぎていることもあるらしい。
それに、プラスチックも汚れのついているものは可燃ゴミの袋に入れておくように指導されている。
例えばプラの袋に、生産者や内容物が書かれている、あの小さな紙が貼られていたりすれば、これを綺麗に剥がすことはできないから、リサイクルできない可燃ゴミの方に入れてしまう。
黒糖かりんとう笑のお菓子袋さえも、粉を綺麗に取り除くことはできないから、可燃ゴミ行きになる。
もちろんホテトチップスの袋も然り。
家事には一切の当事者意識がない(私にはそう見える)夫には、ゴミの分別を言っても、聞くふりをしているだけだ(こういうお説教が良くないことも承知はしている)。
ゴミの袋に町名と名前が書いてないものは、集積場に置いていかれているし、稀に、取り残されているゴミ袋を見かけるから、何か見逃せない分別の間違いがあったからなのだろう。
前に写メしたもの。今日読んだのは29回目
思い出すのは、舅が亡くなった後の、姑の片付けである。
葬儀が終わって、函館から島根まで帰るその日の私たち夫婦に、下駄箱にあった舅の下駄が目に入った姑は、
「〇〇子さん、お父さんのこの下駄を持って帰って。
○ちゃん(我が夫、つまり姑の息子)が玄関ばきにでもできるでしょ」
と、帰りの靴を履いている私の荷物に、無理やり入れさせたのである。
この下駄は数年我が家の下駄箱に収まっていた。
本当に!綺麗に姑はさっさと片付けた。
当時はこういう姑を私は不思議な思いに感じたが、
今思えば、これからは一人で生きていくことになるという、覚悟のなせる潔さであったかもしれない。
女にも、夫の遺品をあっという間に片付ける人と、ずっと囲まれて暮らす人と、大別していいのかもしれない。
そのことは、愛情の問題とは別の話のようにも思われる。
ちなみに、「不粋・無粋」って、自分には使わない、自分を言うのは誤用、とあった。
「無粋を承知で〜」、これはどうなる。。。