bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

「竜とそばかすの姫」

たった30秒の特報が、すご〜く綺麗で、刺激的

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8月公開の細田守さんのアニメ、オリンピックよりも楽しみじゃないですか。

(まあ、開催かどうかは知らないが)

だって、五輪って、何だか泥にまみれた旧態依然の価値の残照みたいな雰囲気が顕になってきたから・・・

 

あの特報で、あまりの美しさには感動した。。。

それと、[高知の現実世界×インターネット空間の仮想世界<U>がどんな風に折り合いをつけるのか、なにか予感。

 

パンデミックの後には必ず新しい文化が生まれるっていうのが、歴史の理だそうだ。

 

 コロナ禍だけでなく、環境の問題とか、食料の問題とか、格差の問題とか、今の若い人たちにとっては、自分たちの未来はものすごく不安だらけの状況に違いない。

今の自分の仕事や状況に悩んだり、生活自体に困ったりしている人はたくさんいるだろうから、シニア割で映画を観れるおじさんおばさんは、精一杯あなたたちを理解することしかできないんだなあ〜〜〜

 

けれども美しいものに感動するのは、みんな一緒だ。

 

 

島根県民を持ち上げられてもねえ〜

あっちこっちのコメントでは

丸山知事を選んだ島根県民はエライ、とか、こういう知事を持つ島根県民は幸せだよね、とか、云々・・・

 

ホントのところ、何のしがらみもない普通の島根県民としては、そんなに積極的選択でもなかったんじゃないのかなあ。

知事選挙の時、もう一人のO候補より若い、これが一つの選択。

もう一つは竹下王国へのウンザリ感、こういう感じで丸山候補に消極的投票行動が向いた一面があると思うよ。

 

結局、政治家にも65歳定年、情状酌量で70まで、ここのところを解決するのが一番なのだけれど、これが一番厄介で、誰も手を出さない。。。

 

繰り返すが

「60越えたおっちゃんは、口出すな!畑で野菜でも作ってろ!」

と言い放ったS女史、シンプルに言い当てているよ。

 

必要があれば先輩の意見を聞きに出向いたり、ちゃんと相談してきましたよ、私だって。

だから、若いもんがご意見を伺いに来るような一目置かれる隠居さんになっていればいいのだ。

そのためには誠実な仕事人生を全うして、視野の広い心優しいジジババになるべく、はい!これにて隠居します! こういう潔さを見せたジジババが育たなくてはならない。

 

実はT議員下ろしは水面下では起きていると思う。

その気配を感じたことがあったのだよ。

去年12月のはじめ頃かなあ、ある県議会議員さんから電話が入った。

お元気ですか?みたいな話に終始して、「議会の合間にご機嫌伺いの電話をしただけですから」という。

 

う〜ん、今度の地方選挙では彼は当選間違いなしの議員さんだったから、何故の突然の電話?すご〜い違和感。

で、まてよ、これは、彼、今度の衆議院選に出るつもりじゃないだろうな、って思ったのだね。

あり得る話だ。

T国会議員はあの体たらくだし、健康不安もあるし、丸山知事の選挙で竹下王国に反旗を翻した県議さんたちは、自分たちの中から次の衆議院議員を出そうという話になっていてもおかしくはない。

 

それが本当ならば、今回の竹下亘さんは、マジで墓穴を掘った。自爆だね。

う〜ん、しかしながら、例の県議さんだって、ガチで竹下派から出てきた人だからね。

竹下亘さんの後釜を狙って(DAIGOは出る気配がないから)、よしんば国政にお出になったにしても、まだまだ青木幹雄さんの目は光っている? 先輩格の青木2世がいるからなあ〜〜〜

 

同じ穴に入れば、泥にまみれちゃうんじゃないの?

 

だから、やっぱり60過ぎたおっちゃんは、畑で野菜でも作っていればいいのだよ。

耕作地は山ほどある。

食糧危機が10年後、20年後に現実的になる前に、これらの耕作地を耕して、いつでもジャガイモやサツマイモが作れるように最後の社会貢献をするべきなのだ。

それこそ幸福度の高い老後じゃないか!!!

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  この雪が溶けたら、田起こしだね。最近は耕作地にハウスだから、景色は良くない。

  ちゃんと草刈りして畑を耕す体力が地方にはもう残っていないのが現状だ。

 

で、丸山知事の発信だが、あれは、島根県民に対する発信でもあったと思う。

ぬるま湯に浸かってんじゃねえ!そんな発信だったんじゃないか。

 

あのね、一番は教育行政、ここんとこは旧態依然、県の教育委員や各市町村の教育委員、ほとんどが公務員とかの定年退職組やどこかのお偉さん。

まあ、何かしらの体裁のために、若い女性とかもいれているけれど、彼女たちって、何の発言権もない感じはありありだからね。

おまけに教育委員の定例会の議事録は非公開になってる。

 

島根県の教育行政の遅れは致命的だ!

教育長一人も変えられない知事なんですけどね。。。

したがって女性にはそんなに評価されていません。。。

 

今回の騒動のメリットは、全国的に、おお〜島根県スか・・・ってところかなあ。

でもだ、丸山知事、前に進め!!!

ファーストラヴ

意外だった堤幸彦監督

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堤監督の作品には当たり外れがあるって、どこかで誰かが書いていたけれど、これは当たり?と言っては申し訳ないかな〜

 

映像が違っているのだね(と言うほど全作品を見ているわけじゃないからすみません)。

 

例えば、「SPEC」、ちょっと変だけれど、私は好きなのだ。

戸田恵梨香ちゃんの洋服がわざとみたいにダサかったり、あの地下?の倉庫みたいな部屋のパイプ椅子に、黄緑色のラインジャージがなにげにひょいとかけてあったりする、そういう小道具の色使いとかが、とてもとても好きなんだ。

 

11日封切りの「ファーストラヴ」、昨日12日に観に行った。

最初からおそらく最後まで、小道具とかに目が行かない展開というか、すごく丁寧に作ってあって、その上途中からはハンカチ投入になってしまったから・・・

 

多分一年前頃か、NHK BSの単発ドラマで真木よう子さんが「ファーストラヴ」をやった。

この時にはとっくに堤監督の映画の方の撮影は済んでいるはずなのに、NHKさんに遠慮して公開が後になる?とか、思ったりもした。

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堤監督は上映会で、「全身全霊」(本人の言葉だけれど、どこまで受け取ったらいいかなあ)の作品とかおっしゃったらしいから、1年間編集がすごかったのかもしれない。

 

あの美しいい映像は、きっと、どこかの、誰かの、あるいは世界中の女の子の「ファーストラヴ」がそんなふうに美しく、儚い淡い桜色みたいでありますように、って、これは、みんなの祈り?

 

淡い桜色、私は翌朝、つまり今朝になって、ああ、やっぱり、こういうところが堤監督の映画だって、気がついた。

最後の最後に、桜色だった・・・

 

窪塚洋介くんがいい!  芳根京子ちゃんがいい!

*男の人とかはどうでもいいけれど、女の人はみんな見て欲しい映画だと思う。

 

「高貴な単純さ」に妻は死す 2

「阿波紀行」に関寛斎のことは書かれていた。

昨夜はぱらぱらとめくっただけで、しかも池田のあたりに書かれていたような思い込みがあって、阿波紀行の始めのあたりは飛ばしてめくっていた。

 

しかし幕末に蜂須賀家の藩医となって最後の藩主の死を看取った、とあったから、もう一度阿波紀行を丁寧にめくったら、関寛斎の名が出て来た。

 

胡蝶の夢」で「高貴な単純さ」と司馬遼太郎が書いたのを、信じがたいほどの馬鹿、と言い換えた私は恥じなければならない。

 

阿波紀行でこう書いている。

「ひとことでいえば、幕末・明治の名医である。さらにいえば医術によって暖衣飽食しようとしなかった人である。」

「もうひとつ言いかさねると、人生に強烈な意味を見出そうとし、その後半生、古代インドの苦行僧のように身をくるしめた人でもあった。」

「栄爵や栄職をつぎつぎにすてて、後半生、北海道の陸別にほとんど単独で入植し、斧をふるって密林をひらき、自ら、くわをとって畑をつくったひとである。」

 

「明治三十五年、七十三歳のとき、徳島の医院をたたみ、結婚五十年の老妻をつれて北海道に入植し、明治四十五年、八十三歳のとき、開墾屋敷で死んだ。」

 

しかしやはり、彼の「高貴な単純さ」は、その妻を道内随一の寒冷地に引き連れ、阿波の鳴門の穏やかな暖かさの中で老後を過ごさせなかった人であることは事実だ。

胡蝶の夢」を読めば、この妻のことを司馬遼太郎がどのようにか書いているだろう。

 

 

「高貴な単純さ」に妻は死す・・・

晩年の北海道移住は有りか無しか

確か、晩年になって、北海道のへそ、厳寒の地に移住して、奥さんを死なせた江戸時代の学者がいたはずだ。

昨夜お風呂から出て、ちっとも温まらない洗面所で髪を乾かしながら、そんなことを思い出してしまった。

 

この二日、またまた寒波がやって来て、山の中は零下に凍えている。

おそらくこの次の冬は函館だと思うと、暖房のことが気がかりだ。

家全体を夜間にも温めておくのだろう。

 

司馬遼太郎の「街道をゆく」で読んだはずだと、とりあえず阿波紀行をめくったが、ない。

「北海道の諸道」はしまい込んだか、見つからない。

こういうとき、検索はありがたい、と言うべきかどうかだが、実際助かる・・・

 

関寛斎

司馬遼太郎は「胡蝶の夢」で「高貴な単純さは神に近い」と書いているそうだ(「胡蝶の夢」は読んでいない)。

この言葉、つまりは、信じられないほどの馬鹿、と言い換えてもいいような気がする(スミマセン)。

 

関寛斎、72歳、志はよし、しかし付いて行かされた妻はどうなる・・・

零下の、荒涼たる未開の地で、薪を燃やすだけの掘っ立て小屋で、

綿を重ねてまとい、眠り、開拓途中の惨めな作物を食いつないで、夫の志に死んだ老妻は、どうなる・・・

 

山田風太郎の「人間臨終図鑑」4に、関寛斎の死は書かれていない。

82歳の服毒自殺を、何故、山田風太郎は書かなかったのか。

単純に漏れたか、山田風太郎には関寛斎の「高貴な単純さ」が、お気に召さなかったおそれもある。

 

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「高校文芸部のような感想文」だって。。。

中古で買った本

2、3日前、アマゾンから返金の通知と、同じく古書店からお詫びと、無料で進呈との通知が来ていた。

傷んだ本が届くのかとも思ったが、別に開くのが恐ろしいような本ではなかった。

 

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再版もされないで(届いたのは1998年の初版本)、古書店からタダで!(送料も向こう持ち)届くという、この不思議を私は受け入れられない・・・が、とりあえず読み始めたわけだ。

 

はっきり言って、たまりません。

関川夏央山田風太郎、こんな組み合わせ、これほど面白いことはない。

 

「年若い作家たちは、すでにあまたの人手に磨かれてつるつるになった近代的自意識の表面をいまだ執拗になでまわし、高校文芸部の感想文のような小説を書くために〜〜〜」

これは文中の関川さんの文章。

確かにそうだ。芥川賞だからといって、我慢して読むのはもう止めだ!

関川さんが今どうしているのか知らないけれど、山田風太郎を見習って、「好きなことだけ」をしているから音沙汰がないのじゃないだろうか。

 

<「山田、列外へ!」ーこれはいい言葉だ。そうだ。私は今まで、いつもこの世の列外にいるような気がし、やがてそのことに安らぎを得て来たようだ。列の中にはいると、かえって、これは変だと違和感を感じるのである>

これは山田風太郎が「半身棺桶」の中に書いた文章。

 

とにかく、関川夏央には山田風太郎を書かないという、理由がない。

 

関川夏央「人間晩年図鑑」は残念ながら文庫本になってはいず、単行本を買うしかないので日和っていたが、ここは買うしかないということに腹が据わった(大げさだ!)

今、もう一度検索したが、1995~1999年度版が品切れというのもどうだろう。

岩波書店のWEBマガジンで2000年からのが書かれているみたいだが、この仕事はなさっているみたいだね。

 

いえ、私が死んだ後、余計な単行本を残して、誰か知らないが、片付けにため息をつかせることはしたくない。

 誰かのため息になることは分かっている本で、残してもいいのは、私の場合、もう決まっているから、それ以上、新たに本を増やしてはいけないのだ。

今もって買っていいのは文庫か新書版。

あとは図書館でリクエストする。

 

おっと、そういえば宮城谷昌光さんの「公孫龍」が新潮社から出た。

 

 

 

 

 

 

 

無粋と不粋の二つ重ね

「月夜の森の梟」2

先週の土曜日に読み逃していた朝日新聞小池真理子さん「月夜の森の梟」を読んだ。

ご主人のデニムを片付けたことが書かれていた。

ああ、本当に少しずつ少しずつ、なんだなあと読む方の気持ちもすこ〜し軽くなるようなお話であった。

 

一つだけ、不粋とは承知ながら、

「気がつくと私はキッチンに行き、燃えないゴミ用の袋を手にしていた」

と書いてあって、あれ?デニムは燃えるゴミじゃないの、と思ったのである。

 

自治体ごとにゴミの分別は違うようだが、私の所では、ランドセルやベルト、革靴まで可燃ゴミになっている。

バッグやベルトには留め具もついているのだけれど、新しい焼却炉は燃やしてしまう。

 

一つには不燃ゴミが増えすぎていることもあるらしい。

それに、プラスチックも汚れのついているものは可燃ゴミの袋に入れておくように指導されている。

例えばプラの袋に、生産者や内容物が書かれている、あの小さな紙が貼られていたりすれば、これを綺麗に剥がすことはできないから、リサイクルできない可燃ゴミの方に入れてしまう。

黒糖かりんとう笑のお菓子袋さえも、粉を綺麗に取り除くことはできないから、可燃ゴミ行きになる。

もちろんホテトチップスの袋も然り。

 

家事には一切の当事者意識がない(私にはそう見える)夫には、ゴミの分別を言っても、聞くふりをしているだけだ(こういうお説教が良くないことも承知はしている)。

ゴミの袋に町名と名前が書いてないものは、集積場に置いていかれているし、稀に、取り残されているゴミ袋を見かけるから、何か見逃せない分別の間違いがあったからなのだろう。

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        前に写メしたもの。今日読んだのは29回目

 

思い出すのは、舅が亡くなった後の、姑の片付けである。

葬儀が終わって、函館から島根まで帰るその日の私たち夫婦に、下駄箱にあった舅の下駄が目に入った姑は、

「〇〇子さん、お父さんのこの下駄を持って帰って。

○ちゃん(我が夫、つまり姑の息子)が玄関ばきにでもできるでしょ」

と、帰りの靴を履いている私の荷物に、無理やり入れさせたのである。

 

この下駄は数年我が家の下駄箱に収まっていた。

 

本当に!綺麗に姑はさっさと片付けた。

当時はこういう姑を私は不思議な思いに感じたが、

今思えば、これからは一人で生きていくことになるという、覚悟のなせる潔さであったかもしれない。

 

女にも、夫の遺品をあっという間に片付ける人と、ずっと囲まれて暮らす人と、大別していいのかもしれない。

そのことは、愛情の問題とは別の話のようにも思われる。

  

ちなみに、「不粋・無粋」って、自分には使わない、自分を言うのは誤用、とあった。

「無粋を承知で〜」、これはどうなる。。。