bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

「目と心を一つにして」

緑の綺麗な季節です

確か、棚田百選にも入っていたような気もするが、定かではない。

何かと人口減で人手不足は目に見えて、一望に棚田風景、というわけにもいかない。

    f:id:bull87:20210515084725j:plain 島根県浜田市室生の棚田


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断捨離せんとや生まれけむ〜〜〜

さて、来春の今頃には終の住処に引越しと確定したこともある。

また、7月には別件で函館に行かなければならないので、その際幾らかの荷物を送り込んでしまいたいということもあって、仕舞い込んでいた段ボール箱詰の本を取り出して、もう一度断捨離断行となって、広げたまま1週間になる。

 

昨夜、夫は言った。

司馬遼太郎は、もう、いいんじゃないの」

そう、確かに「坂の上の雲」とか、もう読まない99%確定本だ。

 

それなら、競馬道?関係の本とか、これはどういう扱いになるのかな。

寺山修司虫明亜呂無の対談「競馬論」、これを「どうするの?」とは、私は夫に聞かないで残している。

    f:id:bull87:20210515105632j:plain 古色蒼然ながら、輝きを失わない。こういう本はもう無い。

 

で、司馬遼太郎はもういいのか?という意見についてだが、それはそれで頷く面もある。

 

けれども、である。

昨夜「峠」の下巻で、こんな言葉に出会った。

妻のおすがの月代の剃り方が実にうまいという場面で、

  「目と心を一つにして、ねえ」

   と、継之助は、その言葉に感じたようにつぶやいた。「スーッと剃るか」

 

河井継之助の、幕末の騒乱の中での身の処し方は、この「目と心を一つにして」という定めを自分に課したことだったのだろうと、合点がいった。

「目と心を一つにして」身を処する、というか、生きる、というか、これのどこをもって「司馬史観はもう古い」と言わせるのだろうか。

 

以前、朝井リョウの「スター」の読後感で、私はこんなふうに書いた。

 

で、こんな小さな世界の境界を飛び越えることができるのは、『目』と『心』だけだという、これまた、陳腐な、元の鞘に収まるみたいな、とりあえず、そういうことにしておくしかないという思考の行った先が、ある意味、寂しくもあり、ホッとしたというのは、それこそ退化じゃないかというもの足りない感じが残る作品だったな〜

 

もし、こんな小さな世界の境界を飛び越えることができるのは、『目』と『心』だけだ、と、朝井リョウが20代の二人に思わせたのだとしたら、司馬遼太郎朝井リョウと同じところにある。

 

文久ロスジェネ世代?

さてさて、河井継之助は松本良順に破傷風の治療を受けに、籠城の最中にある会津に連れて行かれている。

数年もどって、やっぱり文久年間、あそこで人は「目と心を一つにして」生きていくことになるのか、ならないのか、その究極の選択を強いられたのだ。

 

そうして、その文久2年に生まれたのが森鴎外である。

森鴎外とは、文久年間のロストジェネレーションだったのではあるまいか。

 

マッチする 束の間見えし 霧の海 身捨つるほどの 祖国はありや  寺山修司

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかも痛烈な美に満ちている」

なかなか言葉が出てこない映画

緊急事態宣言下であろうと万難を排して劇場で観るべきだろう、

とは言うものの、島根県出雲市シネコンでは、朝イチ、11名の観客しかいなかった。

中国山地の山間から2時間半車を飛ばして街中に映画を見に行くというのは、東京や大阪の人たちには想像し難い勇気を要する行為なのである。

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         こういう朝焼けは初冬の山間部でも見ることはできる

いかにもアメリカ映画だという気がした。

圧倒的な自然の美しさを、作為なしに、ありのままに見せるカメラワークは、一種、爽快でさえある。

そのままの、あまりの美しさに、自然と涙が出てきたなあ〜

 

この映画の感想をどのように表現してよいのか、ちょっと言葉が見つからなくて二日ほど放っておいた。

今読んでいる司馬遼太郎の「峠」で、昨夜、こんな言葉を見つけた時、ああ、これだなあと思った。

 ・・・道は多難であり、悲壮であり、しかも痛烈な美に満ちている・・・「峠」上巻

 

ノマド(放浪の民)の生活を「多難であり、悲壮であり」と言うのは間違いであるということは分かっている。

しかし、この映画で映された自然の「痛烈な美」は、そのノマドを包んでいる。

圧倒的な自然の「痛烈な美」に包まれたノマドの生活も、同じように「痛烈な美」である、というふうに思われた。

 

まあ、映画の感想は人それぞれではあるし、映画.comのレビューでも、良かった、あまり響かなかった、の両方みたいだ。

私が⭐️4にしとこうかなと言ったら、夫は⭐️5だろうと言った。

⭐️5でない理由を私は考える。

それは「恐れ(おそれ)」じゃないだろうか。。。

 

 

「はい、愛です」というわけにはいかない

忘れたふりして半年あまり

心のどこかに引っかかっているけれども、知らんふりしていることって、誰にもあることじゃないかとも思うが、私だけのことかな?

終の住処と決めてリノベをした函館の家のことだ。

 

昨年末にはほぼ工事を完了して、本来なら引っ越しの段取りをいつしてもいい状態になっている。

夫の、仕事上の片付けがはっきりしないというか、私からすれば、どうしてそう曖昧なの?という状態で、おまけにこのコロナ!ときていて、Y子は「山にこもっている方がいい」と言ったが、これは正解でもある。

つまり、私の気持ちは、「袋に詰めて」「縛って」「仕舞い込んでしまった」状態にしてある。

心の状態を守る防衛本能?だと思う。

 

ところで、3月末に、夫はやっと「来年の3月にはちゃんと辞められる」と、確かにこう言った。

さんざん引っ張られてきたわけだから、ふ〜ん、とりあえずそういうことか、みたいな反応しか湧かなかった。

(これって、お付き合いの長い二人が、さて結婚するか、そんな時の感じがそうじゃないかと思うよ)

 

先日久しぶりに建築士さんから電話がきた。

「お客さんにS さんの家の台所をお見せしたいのですが、良いでしょうか?」

どうぞどうぞお好きなように。

で、いつ、来ます?

次の春の今頃には。

建築士さん、笑いましたね。

そうですかあ・・・

ハナミズキが二度、主人無しの住処に咲く。

 

というわけで、忘れたふりをしていたリノベの話をしてみるかな・・・

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キッチンは非常に悩ましい(システムキッチンは嫌だと夫が言ったので)

この棚だって、こういう棚を取り付けるのががあまりお好きでないように(私には)思われた建築士さんに、すがりつくように頼んで取り付けてもらった棚だ。

(普段使いの食器などを並べる)

この棚の下部は幅60センチあまりの作業台が端から端に取り付けられている。

(ここも扉なしの丸出し。半分ほどは棚を取り付けてもらうように、これもすがりつく思いで半年前にメールしてある)

 

この反対側が、toolboxに発注した艶消しステンレスの調理台になっている。

こちらの調理台も下部は丸出しの状態なので、したがって悩ましい・・・となる。

 

つまり、ワゴンやら、ボックスやら、収納の仕方に思い悩むことになるのは、普通の女の心情ではないか、違ってる?

 

丸出しですよ、キッチンの諸々が。

「布を垂らすとか、ダサくない?」夫の言。

 

そいうえば建築士さんの家のキッチンも、丸出しだった。

 

カーテンとかも、この約2名の男子は必要と思っていない。

 

フライミーの鏡が・・・

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センスのある人なら、この洗面所をなんとか自分好みに仕上げるのは楽しいだろう。

私には無理、無理。。。 

歯ブラシ置いたり、ドライヤー下げたり、タオル掛け、諸々・・・

どこにどう置くんじゃ!

 

なんかシステムキッチンのコマーシャルで「ハイ!愛です」っていうのがあったような。

別に約2名の男子に「愛がない」と言っているわけではない、悪しからず。

「愛」の話ではなく、「好き好き」の話だろうから。

がんばれ!というか、頑張らなくてもいいんじゃない・・・

MacBook Airはとても綺麗です。

綺麗は綺麗であるけれど、昨日届いたこのノートパソコンを起動するのに、ああ〜疲れた。。。

その過程で、誰かヘルプしてくれないかなあって、まあ確実に土曜日はお仕事はお休みのはずのKちゃんにLINEトークしたけれど応答なし・・・

岩牡蠣でつって20分、お付き合いしてくれないかなあと目論んだのだが、二人の男子小学生の習い事やら、サッカーの試合やら、歯医者さんやら・・・忙しいに決まってるかあ・・・

 

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    隠岐島の観光は相当な痛手みたいで、ニュースで丸山知事が岩牡蠣を試食していた

それでもとY子にLINEしたら相手をしてくれた。珍しいこともある・・・

いずれにしても、私の不安やら質問やら疑問やらは、彼女らには意味不明に違いなく、Y子にも適当にあしらわれた・・・

 

でもって、夕方我が息子のMが「なんだった?」って電話をくれた。

意外や意外、 Mはきちんと丁寧に教えてくてた。

以前は「ごめんね、お母さん、僕はMacのことはよく分からないんだよ」って、いかにも!面倒から逃げていたのに、これはどうしたことだと、この変化はびっくりモンだった。

思うに、彼ももうすでに部下もいるだろうし、二人の子どものパパをやっていたら、そりゃあ人間、成長するだろう。

子供に育てられるっていうのは、何も母親だけの話ではなく、父親も子供に育てられるに違いない。

私が育てた息子は、ただご飯を食べさせて、寝かせて、交通事故に遭わないようにって、そんなことにすぎないわけで、今度は自分の子どもに育てられるというわけだ。

なおかつ岩牡蠣は自分で買うよ。隠岐島も応援してあげないとね。」

う〜ん、まあ、よかったねえ、と思うことにした。

 

我が夫はといえば、土日は競馬モードに入るので私の話には上の空というか、聞いてくれない。

それなのに、Touch ID指紋認証だけは、「僕のも追加して」とのたもうた。

 

それからLINEもダウンロードしたけれど、カメラトークの時スマホより断然綺麗に映るということが分かった。

とにかくスマホは老眼には厳しいのよね。それにあの文字打ちが苦手なのだ。

とんでもないトークが行ってしまうことが、多々あり。

 

比喩表現は天与の才か

桜のあとは緑が美しい季節になります。 

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      休耕地はどんどん牛の牧草地になっている。

こういう牧草地をどう表現したらいいのだろう。

「草は青々と」という候孝賢監督の若き日の映画のタイトルにこんなのがあったような。。。

(正確には「川の流れに草は青々」でした)

ニュースで花蓮県と聞いた時、胸がキュンとした。

大変な事故だったから不謹慎には違いないけれど、「台湾の花蓮県」という響きには心が反応してしまう。

 

司馬遼太郎の「街道をゆく」の中では、私は「台湾紀行」が一番好きかもしれない。ああ、「愛蘭土紀行」、どちらが一番か、悩むところだ。

このことはつまり、台湾とかアイルランドとか、その歴史が心を惹くからかもしれない。

外省人本省人客家アイリッシュ、こういった言葉に心が反応する。

自分とは遠い出来事だから、余計に心が憧れに近い反応を惹き起こすからだとは思う。

 

私の母校は、小泉八雲が英語教師を勤めた旧制松江中学だ。彼もアイリッシュだった。

話はどんでもない方向ではあるが、ビートルズのメンバーの何人かはアイリッシュの血を引いているのではないか、間違っていたら、すみません。

クリントイーストウッドアイリッシュの血を引いている。

彼が監督した映画はみんな好きだ。

 

お話がそれてしまった。

私は司馬遼太郎の書くもので、なんだってあんなに引き込まれてしまうのかと思うに、やはりその文体と比喩表現にあるような気がする。もちろん、書かれている物語や内容は当然として。

昨夜読んだ「胡蝶の夢」(5)には、こんな比喩表現があった。

「数日して真野湾の波が青玉を溶かしたように青くなり、陽の光が空いっぱいにあふれた。日本海から冬の名残りがの陰鬱さがぬぐったように消えたのである。」

 

また、関寛斎が最期を藩医として看取った蜂須賀斉裕をこう表現している。

「それやこれやで最晩年は精神も体も豆腐のように無力な人物になった。」

「それやこれや」は幕末の騒動でこの藩主の責任感の強さが精神も体も蝕んだことを言っている。

関寛斎はひどくこの藩主の苦悩を気の毒に思ったのである。

 

つまり、私は牧草地の幼い青い草草が風に揺れる美しい様子を表現できないのである。

このことを言いたいがために夕食支度を、ちょっと待ったにしてこうして書いている。

 

ありがたい!

今、角寿司が届いた。こうなると、筍をうんと上手に煮なければ。。。

こういうふうに、道明寺が届いたり、角寿司が届いたり、そのうち柏餅が届いたり、もちろんみんな手作り!筍は昨日いただきました。

山の中の田舎暮らし、ですね!!!

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       角寿司の中の具が各家庭の味。お酢の具合もみんな違う。

 

 

 

 

一反風呂敷って、どんな大きさ?

松本良順さんとか、西周さんとか、出てきますか?

NHK大河ドラマ「青天を衝け」は、今日はもう安政の大獄だそうじゃないですか。

で、徳川慶喜を演じる草彅剛くんですが、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読んでいると、彼ははまり役だったんじゃないかなあと思っています(といっても、ドラマはここ2回しか見ていませんが)。

胡蝶の夢」(4)で、大政奉還のことを、司馬遼太郎は良順にこんなふうに表現させています。

 「ーそれほどなら。

 と、政権を一反風呂敷につつんで御所の塀の中へほうりこんだ、ということは考えられまいか。」

     (司馬遼太郎のこういう比喩表現にはいつも唸ってしまう。)

胡蝶の夢」で描かれる徳川慶喜は、草彅剛くんを思い浮かべてもちっとも違和感がないのです。まあ他の人が書いた慶喜を記憶しているわけではないので、この感想はあくまで個人の感想に過ぎません。

 

で、「胡蝶の夢」もいよいよ最後の(5)に入っていますが、そこで伊之助がこう思ったと司馬遼太郎は書いています。

 伊之助は世の中でおよそ勇ましいという言葉ほど嫌いなものはない。なんのために人は勇ましくしたがるのか、勇ましくすれば世間がよくなるのか、ひとびとが楽しくなるのか〜(略)〜わからない以上に、男どもが勇ましくしはじめると、伊之助はおそろしくなってしまう。」

 

「男どもが勇ましくしはじめると」、つまり、ろくなことにはならない、これは昨今のニュースとかを見ていても感じることですね。

男性陣は早々に隠居されて、後進に道を譲り、4割の女性リーダーを登用されたらよかろうと思います。これは、陳腐なつぶやき〜

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      近所のしだれ桜、一昨日がギリギリの満開。昨日の風で散ったことでしょう。

 

で、「胡蝶の夢」が遅々として進まないのは、他にも読むものがあるからです。

新年度の小学校の読み聞かせに、一年を通して、奥本大三郎先生のジュニア版「ファーブル昆虫記」にしようか、福岡伸一先生の「ドリトル先生航海記」にしようかと、今、迷っています。

今年度は小4の教室に行くのですが、「ファーブル昆虫記」は少し難しいような気もします。

自分ちの子どもに読みきかせするなら小1でも小2でもなんの問題もありません。

最初から読み進めたらいっそう楽しいに違いありません。

しかし教室での読み聞かせには、小さな挿絵を見せながら読むことはできませんから、挿絵を拡大コピーしてホワイトボードに貼り付けたり、「ファーブル昆虫記」用の写真集とかを並べておく必要があるような気もします。

時間の制約もありますし、あれやこれやの困難を考えて、でもだ、「ファーブル昆虫記」を知らずに大きくなるのはあまりに可哀想だ、奥本大三郎先生の訳本で、という気持ちが強いのであります。

まだ迷う時間があります。

 

 

 

 

 

 

今、ここにある文久2年 2

橋本左内の弟

一昨日には、橋本左内も医学の道に進んでいればあんなことにはならなかった、と書いたが、昨夜読んだ「胡蝶の夢」(四)の中ほどで、そんなこんなの思いがさらに複雑なことになってきた。

 

佐内には弟がいて、その橋本綱常は福井藩が長崎医学伝習所に留学させていたのである。

佐内は安政6年(1859)に斬死されていて、ポンペが長崎の医学伝習所で初めて解剖実習をした年だ。

 橋本家は福井藩藩医の家だった。

佐内は家を継ぐべく緒方洪庵の塾へ行きながら、医の道を離れたため、弟の綱常が家を継いだ。

文久2年(1862)、松本良順が幕命で長崎から江戸に戻った時に一緒に江戸に戻り、その医学所で起居した伝習生23名のうちに、この橋本綱常もいた。

この同じ年、津和野藩の藩医、池田多仲は幕府医師に登用されている。

文久3年、森鴎外の父、静泰が松本良順の門に入っている。

 

・ 橋本綱常は明治5年には松本良順の推薦でドイツ留学する。

明治18年には軍医総監(中将)、陸軍省医務局長と、トップにまで登りつめている。

・この同じ役職に後年、森鴎外が登った。

・初代の陸軍軍医総監には明治6年に松本良順が就いた。

・この頃に、西周軍人勅諭・軍人訓戒の起草に携わっている。

・池田多仲の養子の池田謙斎は、東京帝国大学医学部の初代綜理である。

 

あ〜あ、入り乱れて(それでいながら狭い世界の出来事に過ぎず)、ため息というか、つまり、ブッとんだ感想にたどり着けば、

江戸時代の各藩にいた藩医という職業を複雑な思いであれこれ想像したくなる。

 

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        どうしても文久2年が心ざわめくことになる

 もう一つついでに、明治政府というのは、あれはもうある意味「生き残り」のえらく自意識の複雑怪奇な、またある意味「青年喪失した」人の集まりでできていた、と言うことはできないか。

森鴎外の遺言

「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」

この言葉には、存外そんな意味合いもあったと感じてもいいのではなかろうか。

 

それにしても津和野藩の藩医は。。。

他藩の藩医にも、それぞれの文久2年があったと思った方がいい。