ずっと昔から、ときどき、ふっと、このフレーズがよぎる事がある。
ワンピースを重ね着する 君の心は
不思議な世界を さまよい歩いていたんだ
井上陽水「ジェラシー」。
小川洋子さんの「約束された移動」(河出書房新社 2019年)
我が家から徒歩5分で函館市の支庁があって、その隣になんとかセンターというビルがある。
まあ、地域の色々な団体さんの定例会とか、子ども達や大人のカルチャースクールなどで利用される建物かな?
一階にはゆったりとしたフリースペースがあり、図書の貸し出しと、学習コーナーも完備!
ちょっと居心地の良い場所な気がする。
通りがかりに、思えば吸い寄せられるように目に止まったのがこの本。
「博士の愛した数式」しか読んでことはないのに、どうして小川洋子さんにひきよせられたんだろう。
そうして、最初の短編「約束された移動」、次の短編「ダイアナとバーバラ」と、本当に不思議な空間に彷徨い誘い出されたような、そんな時間だったね。
あとの短編も然り。
つまり、「ワンピースを重ね着する 君の心」みたいな、そのような感じとしか、私には言えないですよ。
こじつけで、言おうとすれば、こういう言葉しか出てこないね・・・
日常の中に、必ず人は非日常を隠し持っているんだ。
日常の中でごまかしながらというか、隠し持ってることを忘れてたり、忘れなくっちゃって自分をなだめたり、こういう自分を嫌いになったり、他人の目に自分を任せたり、つまり、嘘つきを日常でやっちゃってる。
そういう日常の中で、幸せ?とか、考えちゃってるよ。
いや、幸せとかがそもそも日常の言葉であって、非日常には幸せもナニもなくって、いかなる物差しもいらない。
窓辺にたたずんでる 君を見てると
長い年月に 触れたような気がする
いつの頃から人は非日常が怖くなったんだろう。
ああ、加速度的に、日常に埋没する方が楽に違いないって、ほんとはそれがすご〜くどんどん、どんどんしんどくなっているのに、ごまかしが反射神経みたいになっちゃってるよ。
例えば誰かに、そういう感じを感じた時、なんか、苦しくなるなあ。
かすかにだね、わがままっていうことにして、非日常が日常に抵抗する?
それくらいかな。。。