bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

ポジティブ思考も鍛えられるんだって

山陰はやっと峠を越したようだね。

一昨日から給湯器のお湯が出なくなって、マイナス6度の雪道を近場の温泉まで行くしかなかった。 

下りの山道をぬっていくのだから、怖いことこの上なし!

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夫に命を預ける心境になったのは、マイナス14度を記録した十数年前の深夜の山下り以来だったかもしれない。

35分の道だが、50分はかかった。

なおかつ、温泉場のいつもの食堂が、6時半に「ご飯がもうありません」状態😢

 

こんなに凍りついて雪降りしきる山の中だから、お客さんはいないだろうと予想していたが、

意外や意外、温泉は普通以上に賑わっていて、従ってご飯屋さんも考えが甘かった・・・

スキー帰りの県外客かとも思ったが、県内ナンバーばかりの家族連れで、つまりだね、私たちみたいに給湯器を凍らせてしまった?家が結構あったのじゃないだろうか。

 

今日は日曜日だというのに昼前にガス屋さんが来てくれた。

結局、家の下を通してある水道管が凍りついているのだろうから、この寒波が緩むまで待つしかない!というお手上げ状態。

 

お餅を焼いてぜんざいでお昼を食していたら、なんと、突如、燃焼ランプがついてお風呂のお湯が勢いよく流れ出した😀

 

今夜も温泉を覚悟していたのに、家でご飯も食べられる。

(あのね、明るいうちに行けばいいのに、競馬があるものだから、4時半過ぎないと出かけられないのだよ。

3連ちゃんの年初めの競馬にイチャモンつけるほど私は野暮じゃないのだ)

 

12月20日以来に、久々に書いた。

今年はこういうことがないように、今日から毎日書くことにしようと思う(ホントだな!)

どんなことでもいいから、いいこと、一つでも見つけて書けばいいのだそうだ。

これ、昨夜のNHKラジオ深夜便でリスナーさんが今年の目標にしていたから、私もまねる。

「筋肉を鍛えるみたいに、ポジティヴ思考も鍛えられるんですってよ」と、早見優さんがおっしゃってました。

 

では、今日のいいこと。Y子に送るコロッケを作った。

在宅ワークになっているらしいから、コロッケを送っても食べてくれるに違いない。

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  これ全部じゃないよ。この半分を冷凍して、あときんぴらを作ってこれも冷凍してから送る。

自然解凍して、レンジではなくトースターで焼くと、美味しく食べられる。

我が家用にもこうしていくと、意外と 役立つコロッケときんぴらなのだ。

『目』と『心』に気をつけて

朝井リョウ「スター」

夫が読んだ本だ。

「どんな感じ?」

「『赤頭巾ちゃん気をつけて』ってあったじゃない。ああいう立ち位置かな?」

ふ〜ん、そんなふうに表現されると読まないわけにはいかない。

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読み始めから、「頑張る」を強いられた。

そうして2、3日放っておいた。

昨夜、就寝前の歯を磨きながら、夫がジェスチャーで、多分、こう言った。

「半分くらいから面白くなるから、我慢しろ」(ジェスチャーでちゃんと通じる。)

 

うん、半分手前くらいから、一気に読んだ。

 

庄司薫という不思議な作家を、今の若い人は知らないだろう。

旧い価値観の崩壊?というか、それでいて自分たちが作り出している新しい価値を、未だ信じることができない?というか、

夫が庄司薫を持ち出したのは、こんなところだろうか。

いやいや、違うかな。

 

ものすごいスピードで次から次と新しい小さな世界が、泡ぶくみたいにあっちこっちで現われて、正しいとか正しくないんだとか、そんなことは誰も判断できない、いや、しないで、好きとか嫌いとかで、とりあえずやり過ごす。

泡ぶくを作っている若い人たち自身が、そのことを一番よく知っていて、自分の足がどこに立っているか、あるいはどこからも足が離れて浮かんで漂っている、その不安が渦巻いているのに、それさえも、風船みたいにどこかへ飛ばしてしまうしかない。

 

とりあえず、私は、私には理解しがたい人たちや世界のことを、この本で少し理解したような気がする。

そうして、トンチンカンな私の反応に我が娘がイラついたり、逆ギレするのも、なるほどなあ〜って思った次第だ。

 

で、こんな小さな世界の境界を飛び越えることができるのは、『目』と『心』だけだという、これまた、陳腐な、元の鞘に収まるみたいな、とりあえず、そういうことにしておくしかないという思考の行った先が、ある意味、寂しくもあり、ホッとしたというのは、それこそ退化じゃないかというもの足りない感じが残る作品だったな〜

 

「頑張る」のを強いられる本読みというのは、こっちがバカで、書かれている内容を理解する能力がないとき、いや〜な題材だった時、そういう時なのだが、文体が楽しめない時も、頑張りを強いられる。

 

あのお〜太宰治の「走れメロス」って、あれ、今も中学校の国語教科書に載っている。

そうして何度読んでも、唸る!

たった一文で、しかも短い!太宰はワンシーンを見せる。

 

高村薫さんはこれでもか、これでもかとしつこいほどの繰り返しと、思考の行ったり来たりでで、グイグイと読み手をその世界に引きずり込む。

 

こんな偉そうな読後感を言っちゃたから、次回作、この「スター」の『黒版』を読まないといけなくなってしもうたなあ〜〜〜

期待します!

 

 

 

意外なところに「悩みのるつぼ」

この間から気になっている。。。

胸の内に収めておいては精神衛生上、良くないと思います。

 

12月5日土曜日(おお、一週間近くも前の話)、朝日新聞「be」の「悩みのるつぼ」にこのような相談者がおられました。

「母の敵意を急に意識した」(女性 40代)

「私は一人娘で父にはとても可愛がられました。しかし、母からはー。」という書き出しで、子どもの頃のことが、いくつか書かれていました。

 

お母さんから愛されていなかったのではないか(さらにそれはお母さんから自分に向けられた敵意だったのではないか)、という思いが40代になってムクムクと湧いてきて、この女性を悩ませているのです。

 

ふ〜ん・・・

 

「母と二人で旅行中に寝台列車の上側のベッドに一人で寝させられ、夜中に床に落ちたこと〜」

確か私も、小学1年の娘を寝台列車の上側のベッドに寝かせ(どうしても上で寝たいと娘が言い張った)、娘は夜中に落ちた。落ちはしたが寝ぼけたまま、また上に上がって寝ました。

 

「小学生の頃、白米が敷き詰められただけの弁当を一度持たせられた」

私なぞは、娘のお誕生日の夕食がチャーハンだった。多忙に紛れて忘れていただけです。

 

「急斜面の途中で運転席の母がサイドブレーキをかけずに自分側のドアを開け、ご近所さんの郵便ポストに回覧板を入れようと身を乗り出した時、左足がフットブレーキから離れて母だけ車から出た状態で車が坂道を下っていったこと〜(幸い車は塀に激突するだけで難を逃れた)〜」

私は後部ドアをバンと閉めて、小指を挟まれた幼い娘がギャアと叫び声をあげました(幸い骨は折れていませんでした)

 

相談者の彼女が思い出してあげたのはこの三つです。

まあ、上手に伝えることができない他の例もあったかもしれません。

 

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ふ〜ん・・・

もっとたくさんのエピソードが私と娘の間にはあります。

ちょっとシュックを受けました。

してみると、我が娘もこのような思いに悩まされているというか、母を恨んでいるというか、つまり、自分は母親から愛されていなかったと思っているのではないかと、今度は母である私の方が「悩みのるつぼ」にはまってしまったのです。

 

そうしてアレコレ、

長じた娘とのやりとりが、どこがぎこちないというか、

娘の気持ちがよくわからないというか、

娘から疎まれているのではないかというか、

どこか気持ちが通じ合わないというか、

娘も私に甘えてこない?理由はこんなところにあるのかというか、点々・・・

 

確かに私は猫可愛がり?する母親ではありませんでした。

あるとき、「子どもは神様からの預かりもの」と急に思われて、自分の「もの」ではないと思いました。

ですから、遊びに出かけても、夕食時に「今日は楽しかった?」なんて子どもに向かって聞いたりしたことは一度としてありません。

 

「あの頃の自分が泣いていませんか」

回答者の清田隆之さんは上手にお答えになっていました。

この「悩みのるつぼ」は回答者さんのお答えに読み応えがあるのです。

「今なお泣いているかもしれないあの頃の自分を最初に抱きしめてあげられるのは、相談者さん自身を置いて他にいないと思うのです。」

最後にこのようにお書きになっています。

 

私は思います。

「今なお泣いているかもしれないあの頃」の娘を抱きしめてあげられるのは、Sくんだけです。

私は私で、「非常に扱いにくい、めんどくさい」娘を、静かに優しく守ってくれているであろうSくんに、ただただ願います。

そうして私に芽生えた「悩みのるつぼ」はどうなるのでしょう。。。

 

ふ〜ん、

逆バージョンで相談者になるという手もあるか。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アレクサに悪態をついてもねえ〜

昨日の夕方の空は、ちょっと感動した。

丸い輪のところの雲が切れているのには、きっと理由があるに違いないのだが、それにしても珍しい夕焼け空だった。

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 初冬の山の空を見るのも、おそらくこれが最後になると思えば、少々もったいない気もする。

けれども行った先にはその土地の空があるのだろうから、前向きに考えて楽しみと捉えよう。

 

で、このお正月は余計にいつもとは違ったお正月なので、我が夫は先日、fire tv stickを投入した。

iMac27インチでプライム・ビデオやTVerの見逃しとかを見ていたわけだが、近視の夫は目が疲れるらしい。

 

昨夜は面白かったですよ。

「アレクサ、TVerをお願い」

「極道主婦にして」と夫は言った。

「何だこれ、違うだろ」

「アレクサ、なめとんのか」

「ごめんなさい、よくわかりません」

 

「あのね、極主夫道、なんです。ちゃんと言わないからだよ」

アレクサに気を悪くした夫は「極主夫道」と打ち込んでました。

 

このようにしてアレクサちゃんとのおつきあいにまだ慣れない夫は、時々アレクサに向かって暴言を吐いています。極主夫道の影響です。

これはこれで時間つぶしというか、結構!オモロイ。

 

アレクサちゃんがなんでもしてくれるなら、それはそれで年取ったら便利だし、アレクサちゃん相手に無理難題を話しかけて、その反応に時間潰しするっていう手もあることはある。

けれどもできるだけ早めにアレクサちゃんとのスムーズなおつきあいを構築?していかなければならない。

 

しかし、どうなっていくのだろう。

私らこそに必要な便利なのに、私らの頭の中はトン散らかって、うまいこと利用できないことがいっぱい増えてきている。

アレクサちゃんがちゃんと暖房の設定とか、ルンバのお仕事とか、お出かけの時間の催促とか、本当にちゃんとやってくれるように、そうなるまでに私らの頭の中は働いてくれるのだろうか。

 

あのお〜ある意味怖いのですが・・・

でもね、ちょっと気がついたのだけれど、適当にかまっていたらなんとかなるものだ、ということです。

 

そのうち勝手に!!!アマゾンさんだか誰だか知らないが、うちん家の行動パターンというか、うちん家の好みというか、それに合わせてくれるということになるらしいのだね。

アレクサちゃんにも、我が家の夫は悪態をつかないでも済むようになるだろう。。。

杉本八段と不二家ルックチョコ

いい感じでした。。。

夕食後に

「あっ、そうだ。藤井くんの将棋!」って、思い出してアベマを見た。

「ええっ、ルックチョコだあ」

杉本師匠がすっごく!可愛らしく見えた。

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 お菓子箱が可愛くて写メしました。将棋会館に行けば、このお菓子箱、買えるのですかね?欲しいです!!!

どなたかのコラムを見たら、このルックチョコにはいわく因縁があるらしく、どうやら不二家がここの叡王戦のスポンサーになったとか?

ゆえに対局中のおやつとして、この写真のようなお菓子の箱が置かれているのだそうだ。

もちろん藤井くんの側にも、藤井くんが好きな?ルックチョコの入ったおやつ箱が置かれているということになる。

 

おやつ箱もさることながら、この絵は、近年珍しく、心温まる優しい絵でした。

お二人がなんかリラックスしているというか、楽しいことをしているというか、そういう感じがするのは、見る方の主観なんですかね。

 

でもって8時頃にまだ三十数手だったので、これは長丁場になるなと台所の片付けなんぞをして9時過ぎですかね、のぞいたら、なんともう藤井くんの例のボソボソが始まっている!

ええっ〜七十三手で杉本師匠、投了ですか、みたいなもんです。。。

 

一気に藤井くんの攻めが始まったのでしょうが、その場面のお二人を生で見ることができなくて、大損をした気分になりました。。。

 

今日はルックチョコを買います。

あんなに大好きなルックチョコを、しばらく食べていませんでした。

こういうことでは心が痩せる・・・

 

 

マイナス2度の山の上の空

今朝はよく冷えた

朝集合の空を子どもたちと眺めました。

iPhoneじゃないんだね」

小学6年になれば、見るところをちゃんとおさえる。

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       Android携帯で撮った今朝の空

 

でもって、3年生くらいだと、まだ非常に可愛いのであります。

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小学校の読み聞かせで、「黄泉の国」を読みました。

○○くん「あっ、ぼく、そこに行ったことがある」って、思わず口にしたのです。

高天ヶ原!!!

「マジで?」と、私も思わず!口に出ました。

 

○○子「タカマガハラに行ったことのある人はいないよ。」

△△子「空の上にあるんだから。」

女子はさすがに大人です。

 

「この間、イナバのシロウサギを読んだから、○○くんはなんか夢を見たのかもしれないね。

タカマガハラは人間が生まれる前に神様がいた国だよ。その頃のお話だから」

 

ふるさとの面目、丸潰れ?

因幡の白うさぎ」というおまんじゅうがあって、山陰地方ではテレビコマーシャルも流れます。

ですから「因幡の白兎」と言えば、普通にこのおまんじゅうを思い浮かべるみたいです

あるいは、「ガマのホ」がなにかを知らなくて、「ガマの油」と勘違いしていた40代の先生もいました。笑い話。。。

 

「ガマの穂綿にくるまってえ〜〜うさぎは元の白ウサギ〜〜〜」

10年前にはガマが生えているところが、まだ残っていました。

本当に、あの穂からは真っ白い穂綿が、大量に!ふわふわ、ふわふわ、出てきます。

大国主命に教えられたように、赤裸のウサギも、あの穂綿にくるまればきっと良くなったと思われます。

古代の山陰の湿地帯、至る所にガマが見られたのではないでしょうか。ちゃんと出雲神話に表現されているのですね。

 

で、私は別に「ふるさと教育」のためにこういったお話を子どもたちに読み聞かせているのではありません。

この地方ではとにかく子どもたちは神楽が大好き、保育園から神楽舞をしますから、スサノオノミコトヤマタノオロチのお話を読めば、よ〜く聞いてくれるからです。

いまどきは20分の読み聞かせに我慢のできない子が多いかもしれません。

不思議な物語を「不思議のままに心におさめる」、そういうことができかねるようです。

従って、あえて古いお話を読みます。

 

 

 

 

 

歴史再発見を楽しむ 2

NHKカルチャーラジオ「歴史再発見」

10月半ばから始まった「朝鮮半島から見た『古墳時代』」は11月24日で8回目になっている。

 聴き逃しで聴くので、私の場合、遅れが多々あって。。。

7回目で、講師の高田貫太先生(国立歴史民族博物館准教授)が話された言葉は、すごく清々しかった。

 

日朝関係史を研究する上で三つの課題がある、と。

その中の3番目、

朝鮮半島と日本列島の関係の本質は何か」

「60、70年代に学校で教えられた日本列島から見た朝鮮半島」という視点しか持たない私たち年代には、本当に、悔い改めよ笑と案に諭されたようであった。

高田貫太、 40代半ば?

こういう若い研究者たちが喜々として韓国の研究者たちと一緒に発掘作業をしたり、古代の日朝関係を論じたりされているのを想像すると、明るいね。

 

で、下の町の図書館で、たまたま通りかかった新刊書のコーナーで見かけたのがこの本で、当然読みたくなりますよね。

 

「海から読み解く日本古代史」(近江俊秀著、朝日新聞出版

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これが意外とハマってしまった🙇‍♀️

刺激的なわけです(私が無知なだけで、もしかしたらみんなは当然知っていた・・・)

4、5世紀にやっとこさ畿内倭王権がその形を成しはじめた?頃に、それ以前からもうすでに関東以北との活発な交流があって、一方でオホーツク方面からの南下の交流もあった、なんてことを発掘調査から考えておられるのです。

 

このことも先の朝鮮半島との交流も絡めて想像すると、学校で教わった「蝦夷」という言葉に抱いた罪深さ?が思い知らされる、というわけです。

 

 続けて借りて読んでいます。

「境界の日本史」(森先一貴 近江俊秀共著 2019発行 朝日新聞出版)

「日本の古代道路」(近江俊秀著 2014年発行 角川選書

(あのお〜自分で買いなさいとも思うのだけれど、我が家は1年以内に終の住処へ引越しの算段となっているので、いかに物を減らすかを常に考えながら今を生活しているという状況なんです・・・持っていく本はすでにダンボール詰めになっています)

 

近江俊秀、1988年学部卒 50代前半

森先一貴、1979年生まれ 40代前半

高田貫太さんも40代?なわけで、楽しみですね!

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ちなみに、田舎の街の図書館では、この3冊とも、まだ誰も読んだ形跡がなかった。都会の図書館ではありえない話ですよね、きっと。これをラッキーというべきか、微妙な・・・