bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

普通にチョコを口に運んだ

藤井聡太くんです。

昨日はとうとう4時からずっとAbemaTVをつけっぱなしだった。

(う〜ん、アベマをつけっぱなしという言い方は変だな。おばさんにはどういう言い方をしたらいいのかわかりません。。。)

対戦を記録する人は「藤井先生」と呼ぶわけだが、中学生の頃からの藤井くんを見てきたおばさんは、今のところはやはり藤井聡太くんと呼びたいのです。

 

どなたかが、将棋を知らない奥さんに、昨夜の四一銀を

「タダでとれる飛車をとらないで、タダで銀をあげた、ということなんだよ」と説明してあげたら奥さん納得、と書いていらした。

あべまの解説棋士さんは、ただただ「神の手」一点張りの自分の感動披瀝解説で、奥さんに説明してあげた旦那様の言がシンプルだ。

 

しかしまあ、アベマの解説棋士さんのやり取りは、これはこれでとっても!面白い。

棋士さんは、どなたも言葉も綺麗だし、皆さん個性的だ。

どんなドラマを見るよりも、藤井聡太くんの将棋を指す姿を見ながら、解説棋士さんのやりとりを聞くほうが断然面白い。

 

今日の昼食は「中華そば」が売れてる?

自分ちの夕ご飯を食べながら、藤井くんの夕食の「中華そば」を見た夫曰く、

「うまそうだなあ」

「今度東京に行ったら、将棋会館近くに行って、この中華そばを食べよう」

そっちか!

そのうち長考に付き合いきれなくなった夫は、カメラ検索に行ってしまった(夫は今、どのカメラにいくべきが、延々長考、ほぼほぼ1ヶ月は過ぎた・・・)

 

「将棋を見る」おばさんはつらつら思うに、

藤井聡太くんの例のボソボソだが、彼は「話すこと」で自分を表現しようとしていないのじゃないか、ということだ。

「話すこと」で説明したり、相手に自分をわかってもらいたかったり、そういうことを、彼は必要としていないのだ。

将棋で彼は自分を表現しきっているから、他の表現への欲求を持っていないのじゃないのだろうか。

「あの手は?」とか、「いつの段階であの手を考えてましたか?」みたいな問いかけには、彼は答えようがない。

従って「あの、そうですね〜」と言葉を探して探して、結局、尋ねた人が「なるほど」と膝を叩く(古いね)ような答えは藤井くんからは期待できない。

 

唯一、終盤で口に運んだ不二家のチョコについて味を聞かれた時には、恥ずかしそうな笑顔がかえったから、見る人を満足させたかな?

すご〜く!何気に!無意識にチョコに手が動いた感が、ちょっと良かった。

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     今日はこのチョコを買いたいところだが、何しろ山の中の村のAコープでは、このチョコはまだ売っていない笑

 つまりだね、人は誰でも自分を表現したいものに違いないが(そうじゃない人もいる?)、うまく話せなかったり、この私の書きなぐりにしても、やはり、上手に文が書けなかったり、そうやって生きていって、そのうちいなくなる、というわけだ。

これはこれで寂しいことではあるが、どうすることも叶わないのだから、まあ、分相応にボチボチやりまっしょ。。。