なんだか今日は考える(?)ことが多くって
ある若い人のブログを見るきっかけがあって、
彼?が「それなり」という言葉を考えていた。
つられて私も、今日は家事をしていても、ずっと気にかかってしまったです。
で、「お母さんは考えない」〜コレ、娘が高校生の頃、私に言った言葉です。
だから、肩、凝っちゃったー😅
ちょっと、思い出すことが多くて、でも、書いておく。
息子の結婚式の前日だった。
結婚式の前日ともなると、いろいろあって夜も遅くなっているのに、
ホテルで同室の娘が何か書き物をしていて、私たちも眠れないから。
「もう、寝ようよ」
「待って、私、毎日、これを書かないと終わらないから」
「イヤなこととかなんでも、とにかく、書く。
そうすることで、冷静に自分が考えられる習慣がつくって、聞いたから、
それを実行しているから、癖になって・・・」
娘は当時二十歳前後。
たくさん、たくさん、不安とか悩みとか、あったんだろうなぁ。
そういうのに、自分の力で、彼女は向き合って、格闘していたんだ・・・
高校に入るときは二人とも、この山の中の田舎から出て、
県庁所在地の高校に行った。
それから大学は2人とも首都圏へ行ったから、
私はこの子達の、悩み多き時代を知らずに過ごした。
能天気な母親だから、遠く離れているのをいいことに、
一切の干渉もしなかった。
驚きに近い話だけれど、私は子ども達の大学を見たこともなく、
さらにどんなところに住んでいるかも、見に行くこともしなかった。
さすがに娘は女の子だから、アパートに関してだけは注文をつけた。
以降、卒業前にアパートを出るときも、次の住まいも、
娘は全部自分で決めて、自分で動いた。
息子が初めてと言っていいことに、父親に相談を持ちかけたのは、
就職のことだった。
「お父さん、いる?」
ある社から内定をもらって、日曜日までに返事をしなければならないけれど、
月曜日に違う会社の重役面接がある〜意見を求めた。
そうして息子は彼なりに、つまり「それなりに」決断したのだと思う。
反対に娘は、頑として、親にはいかなる相談もぜず、
自分のしたいことの方だけを向いて、自分で決めて、自分で動いて、
そんな娘をパパは、
「3年続いたら、あいつを認めてやってもいいかなぁ」と、言った。
3年続いた。
そうして2回、勤め先を変えたけれど、やっと辿り着いた感じがある。
「ねえ、お母さん、私って、すごくない?中学生の頃からの夢が叶ったんだよ」
それを近くで聞いていた、娘のダンナが、
「1本、作ってから、言いなさい」って。確かに😅
娘は「それなりに」ということをしなかった。
頑なに自分のしたいことの方だけを見て、他を見なかった。
でも、「それなりに」ができない娘の、これからを私は思う。
人は「それなりに」年齢を経て、
「それなりの」生活を重ねていく生き物だ。
そうじゃない人もいるだろうけれど、
つまり「それなりに」生活を重ねていくことを、断固、拒否するというか、
できないというか・・・
でもそれだって「それなりの」その人の生き方ということはできないだろうか
こういう場合、「それなりに」という言葉は、決してネガティブな言葉ではない。
むしろ、ある意味では、人が生きていく上での、
ポジティブな言葉のように感じられる。
今日の結論はこうなった・・・明日は違うかも・・・
それなりに〜
つまり、あなたらしく考え、あなたらしく生き、あなたらしく生活し、
あなたらしく迷い、あなたらしく判断し、あなたらしい価値を生きなさい。
私はそういう意味で、この言葉を、彼ら彼女らに送りたいと思う。
これだって、一生懸命考えたんでやんすよ・・・
PS.建築士さんからのヒアリングシートも仕上げないといけないし〜
函館行きやら、お正月の東京スケジュールのお伺いとか〜
で、あっちゃこっちゃ頭を使って、肩、凝っちゃったー
情報処理能力が確実に落ちているのであります。