bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

「それなりに」の言葉に、世代間ギャップはあるか?

なんだか今日は考える(?)ことが多くって

ある若い人のブログを見るきっかけがあって、

彼?が「それなり」という言葉を考えていた。

つられて私も、今日は家事をしていても、ずっと気にかかってしまったです。

 

で、「お母さんは考えない」〜コレ、娘が高校生の頃、私に言った言葉です。

だから、肩、凝っちゃったー😅

 

ちょっと、思い出すことが多くて、でも、書いておく。

 

息子の結婚式の前日だった。

 

結婚式の前日ともなると、いろいろあって夜も遅くなっているのに、

ホテルで同室の娘が何か書き物をしていて、私たちも眠れないから。

「もう、寝ようよ」

「待って、私、毎日、これを書かないと終わらないから」

 

「イヤなこととかなんでも、とにかく、書く。

そうすることで、冷静に自分が考えられる習慣がつくって、聞いたから、

それを実行しているから、癖になって・・・」

 

娘は当時二十歳前後。

たくさん、たくさん、不安とか悩みとか、あったんだろうなぁ。

そういうのに、自分の力で、彼女は向き合って、格闘していたんだ・・・

 

 

高校に入るときは二人とも、この山の中の田舎から出て、

県庁所在地の高校に行った。

それから大学は2人とも首都圏へ行ったから、

私はこの子達の、悩み多き時代を知らずに過ごした。

 

能天気な母親だから、遠く離れているのをいいことに、

一切の干渉もしなかった。

驚きに近い話だけれど、私は子ども達の大学を見たこともなく、

さらにどんなところに住んでいるかも、見に行くこともしなかった。

 

さすがに娘は女の子だから、アパートに関してだけは注文をつけた。

以降、卒業前にアパートを出るときも、次の住まいも、

娘は全部自分で決めて、自分で動いた。

 

息子が初めてと言っていいことに、父親に相談を持ちかけたのは、

就職のことだった。

「お父さん、いる?」

ある社から内定をもらって、日曜日までに返事をしなければならないけれど、

月曜日に違う会社の重役面接がある〜意見を求めた。

そうして息子は彼なりに、つまり「それなりに」決断したのだと思う。

 

 

反対に娘は、頑として、親にはいかなる相談もぜず、

自分のしたいことの方だけを向いて、自分で決めて、自分で動いて、

そんな娘をパパは、

「3年続いたら、あいつを認めてやってもいいかなぁ」と、言った。

 

3年続いた。

そうして2回、勤め先を変えたけれど、やっと辿り着いた感じがある。

「ねえ、お母さん、私って、すごくない?中学生の頃からの夢が叶ったんだよ」

それを近くで聞いていた、娘のダンナが、

「1本、作ってから、言いなさい」って。確かに😅

 

娘は「それなりに」ということをしなかった。

頑なに自分のしたいことの方だけを見て、他を見なかった。

 

でも、「それなりに」ができない娘の、これからを私は思う。

人は「それなりに」年齢を経て、

「それなりの」生活を重ねていく生き物だ。

 

そうじゃない人もいるだろうけれど、

つまり「それなりに」生活を重ねていくことを、断固、拒否するというか、

できないというか・・・

 

でもそれだって「それなりの」その人の生き方ということはできないだろうか

 

こういう場合、「それなりに」という言葉は、決してネガティブな言葉ではない。

むしろ、ある意味では、人が生きていく上での、

ポジティブな言葉のように感じられる。

 

今日の結論はこうなった・・・明日は違うかも・・・

それなりに〜

つまり、あなたらしく考え、あなたらしく生き、あなたらしく生活し、

あなたらしく迷い、あなたらしく判断し、あなたらしい価値を生きなさい。

 

私はそういう意味で、この言葉を、彼ら彼女らに送りたいと思う。

 

これだって、一生懸命考えたんでやんすよ・・・

 

  PS.建築士さんからのヒアリングシートも仕上げないといけないし〜

   函館行きやら、お正月の東京スケジュールのお伺いとか〜

   で、あっちゃこっちゃ頭を使って、肩、凝っちゃったー

   情報処理能力が確実に落ちているのであります。